『メゾン・ドラキュラ~お隣のドラキュラさん~』
○ 第一章 破格の物件
「家賃5万円で渋谷から徒歩10分の物件ってないんですか!?」
私は不動産屋のカウンターに両手をつき、必死に食い下がった。故郷の青森から上野駅に降り立った瞬間から、東京という街の厳しさを痛感していた。コンビニ弁当一つが青森の1.5倍。電車代も馬鹿にならない。そして何より住む場所がない。
「お客さん、ここは東京ですよ」
不動産屋の男性は呆れたような顔で私を見た。年齢は40代後半といったところか。どこか掴みどころのないマイペースな雰囲気を漂わせている。
「6畳一間で家賃8万、風呂トイレ共同でも文句言えませんよ。渋谷徒歩10分なんて夢物語です」
「でも、就職先のお給料が手取り18万で...」
「ところで」男性は急に私の顔をじっと見つめた。
「あなたって健康的ですね」
「え?」
「いや、血色がいいなぁと思って。運動でもされてます?」
突然の話題転換に戸惑いながらも、私は答えた。
「田舎にいた頃は毎日2時間かけて徒歩で学校に...」
「そうですか、そうですか」
男性は何かを確認するように頷くと、おもむろに引き出しから一枚のパンフレットを取り出した。
「実は...特別な物件があるんです」
○ 第二章 メゾン・ドラキュラ
「メゾン・ドラキュラ」
パンフレットに印刷された物件名を見た瞬間、私は思わず吹き出しそうになった。
「すみません、このネーミングは...」
「大家さんの趣味です。気にしないでください」
物件の詳細を見て、私は目を疑った。1LDK、オートロック、エレベーター付き4階建てマンション。渋谷から徒歩10分。築10年以内。そして家賃は...
「5万円!?」
「そうです。ただし」男性は声のトーンを落とした。
「少し特殊な条件があります」
私は身を乗り出した。この家賃なら多少の条件は飲める。ペット禁止だろうが楽器禁止だろうが構わない。
「まず一つ目。深夜0時以降は南側の階段を使用禁止です」
「階段?まあ、エレベーターがあるから問題ないです」
「二つ目。深夜0時以降は必ずカーテンを閉めること」
「防犯上ですね。当然です」
「三つ目」男性は一呼吸置いた。
「4か月に一回の献血を行うこと」
「...献血?」
「はい。指定の日時に必ず400ml献血していただきます。健康管理も兼ねてということで」
確かに奇妙な条件だった。しかし東京の家賃相場を考えれば、これくらいは安いものだ。献血なんて社会貢献にもなる。
「分かりました。お願いします」
○ 第三章 引っ越し初日
メゾン・ドラキュラは予想以上にまともな建物だった。外観もそれなりにモダンで、近隣の物件と比べても見劣りしない。私の部屋は3階の301号室。隣の302号室が大家さんの部屋らしい。
引っ越し作業を終えて夜の9時。ようやく一息つけそうだった時、不動産屋から渡された注意書きを改めて読み返した。
『深夜0時以降は南側階段使用禁止』
『深夜0時以降はカーテン必須』
『4か月に一回の献血(次回は来月15日午後2時、渋谷献血センター)』
なぜこんな条件があるのか疑問だったが、家賃を考えれば些細なことだ。
その時、隣の部屋から何かを引きずるような音が聞こえた。時計を見ると9時50分。もうすぐ10時だ。
ドンッ。
今度ははっきりと重いものが床に落ちたような音がした。壁が薄いのかもしれない。明日挨拶がてら、生活音について相談してみよう。
10時ちょうどになった瞬間、隣の部屋が急に静かになった。嘘のような静寂だった。
○ 第四章 お隣さんとの出会い
翌朝、私は勇気を出して302号室のインターホンを押した。挨拶は大切だ。
「はい」
低い男性の声が応答した。
「昨日お隣に引っ越してきました田中と申します。ご挨拶に伺いました」
しばらく沈黙があった後、ドアが開いた。
現れたのは30代半ばくらいの男性だった。背が高く、痩せ型。肌が異常に白い。そして何より印象的だったのは、真昼間なのにサングラスをかけていることだった。
「ドラキュラです」
「え?」
「大家のドラキュラです。よろしく」
私は一瞬、耳を疑った。ドラキュラ?まさか本名ではあるまい。きっと変わった苗字なのだろう。
「あの、昨夜10時頃に物音が...」
「ああ、すみません。棺桶の移動をしてました」
「かん...おけ?」
「仕事道具です。気をつけます」
仕事道具?一体何の仕事をしているのだろう。葬儀屋さんだろうか。
「それと」ドラキュラさんは私をじっと見つめた。
「あなた、とても良い匂いがしますね」
「匂い?」
「ええ、とても...健康的な」
不動産屋と同じことを言っている。東京の人は健康に敏感なのだろうか。
○ 第五章 奇妙な日常
メゾン・ドラキュラでの生活が始まって一週間。私なりにこの建物の特性を理解し始めていた。
まず、ドラキュラさんは完全な夜型人間だった。朝の10時頃から夜の10時頃まで、隣の部屋は墓場のように静かだ。しかし10時を過ぎると途端に活動的になる。足音、物音、時には何かを運ぶような音まで聞こえる。
そして朝の6時頃になると、また静寂が戻る。
「規則正しい生活ですね」
ある日、廊下で会った時に私は言った。ドラキュラさんは相変わらずサングラス姿だった。時刻は午前2時。私はコンビニから帰る途中だった。
「夜の方が集中できるんです」
「お仕事は何を?」
「...輸血関連です」
曖昧な答えだった。医療関係だろうか。それなら夜勤があるのも納得できる。
「ところで田中さん」ドラキュラさんは振り返った。
「献血の予定は覚えてますよね?」
「ええ、来週の15日ですね」
「必ず行ってください。とても...大切なことですから」
その時、ドラキュラさんの口元がわずかに笑ったような気がした。サングラスのせいで表情は読めなかったが。
○ 第六章 献血の日
渋谷献血センター。人生で初めて献血をする日がやってきた。
受付で名前を告げると、職員の女性が妙に嬉しそうな顔をした。
「田中様ですね。お待ちしていました」
「お待ちしていた?」
「はい、とても良質な血液をお持ちとお聞きしています」
良質な血液?健康だから当然だろうが、そんな事前情報があるものなのだろうか。
血液検査、問診、そして献血。400mlの血液が袋に溜まっていく様子を眺めながら、私は考えていた。この血液は誰かの命を救うのだ。社会貢献している実感があった。
「ありがとうございました」職員は採血袋を大切そうに持った。
「次回は4か月後ですね」
「はい」
「必ずいらしてくださいね。田中様の血液は...特別ですから」
帰り道、なぜか妙にフラフラした。400mlくらいで体調が悪くなるほど虚弱ではないはずなのに。
○ 第七章 真実への疑問
献血から一週間後の夜中、私は奇妙な光景を目撃した。
廊下に出てゴミを捨てに行った時、エレベーターが開く音がした。時刻は午前1時。こんな時間に誰だろうと思い、角に身を隠して様子を見た。
エレベーターから降りてきたのはドラキュラさんだった。しかし普段と様子が違う。顔色が良く、どこか生き生きとしている。そして手には見慣れたビニール袋を持っていた。
献血センターの袋だった。
私の血液が入っていた袋と同じものだった。
ドラキュラさんは302号室に入っていく。ドアが閉まる直前、彼が振り返った気がした。サングラス越しでも、こちらを見ているのが分かった。
翌日、私は不動産屋を訪ねた。
「あの、ドラキュラさんについて聞きたいことが」
「何でしょう?」男性は相変わらずマイペースだった。
「本名は何というんですか?」
「ドラキュラです」
「いや、戸籍上の」
「戸籍上もドラキュラです。正確にはドラキュラ・ヴラド・ツェペシュ・紅井・昴」
私は絶句した。
「冗談ですよね?」
「帰化する時に改名したそうです。元々はルーマニア系の方で」
ルーマニア。ドラキュラ。ヴラド・ツェペシュ。
まさか。
○ 第八章 確信
その夜、私は南側の階段を確認しに行った。時刻は午前0時30分。規則違反だが、真実を知りたかった。
階段は4階まで続いているが、なぜか4階の扉だけが重厚な作りになっていた。他の階の扉は普通の鉄製なのに、4階だけは木製で、古めかしい装飾が施されている。
そっと扉に耳を当てると、中から音楽が聞こえた。クラシック音楽だった。バッハだろうか。
ふと足元を見ると、扉の隙間から赤い液体がわずかに漏れていた。
私は慌てて階段を駆け下りた。
翌朝、ドラキュラさんに会った時、私は思い切って聞いてみた。
「4階は何に使ってるんですか?」
ドラキュラさんの動きが一瞬止まった。
「...書斎です」
「書斎?」
「ええ、研究をしているので」
「何の研究を?」
「血液学です」
もう確信した。お隣さんは本物のバンパイアだった。
○ 第九章 共存の道
しかし、確信したからといってどうするわけでもなかった。家賃5万円の魅力は絶大だし、ドラキュラさんは良い隣人だった。音も夜中以外は立てないし、挨拶もちゃんとしてくれる。
それに、私の血液が誰かの役に立っているなら(たとえそれがバンパイアだとしても)悪いことではない。
「田中さん」ある夜、ドラキュラさんが話しかけてきた。
「あなた、気づいてますよね?」
「何をですか?」
「私のことです」
私は正直に答えた。
「ええ、まあ」
ドラキュラさんは困ったような表情をした。
「引っ越しされますか?」
「いえ、家賃が安いので」
「...そうですか」
「ただ一つお願いが」
「何でしょう?」
「献血の頻度、3か月に一回にできませんか?その代わり半月割りで家賃を…」
ドラキュラさんは考え込んだ。
「...4万円でどうでしょう?」
「お願いします」
○ エピローグ 奇妙な隣人関係
それから半年が過ぎた。
私とドラキュラさんの奇妙な隣人関係は続いている。献血は3か月に一回。家賃は4万円。破格だ。
ドラキュラさんは意外にも良い相談相手だった。何百年も生きているだけあって、人生経験が豊富だ。仕事の悩みを話すと、的確なアドバイスをくれる。
「人間は短い時間を気にしすぎです」
「でも僕たちは長くて100年しか生きられないから」
「だからこそ、一瞬一瞬を大切にすべきでしょう」
時々、4階から美しいピアノの音色が聞こえる。ショパンの夜想曲だったり、ドビュッシーの月の光だったり。ドラキュラさんは音楽の造詣も深かった。
先日、宅配便を受け取れない時には代わりに受け取ってもらった。もちろん日中は不可能だが、夜間配達なら問題ない。
「お隣のドラキュラさん」
最初は奇妙に思えたこの状況も、今では当たり前になった。東京で一人暮らしをする上で、これほど心強い隣人はいないだろう。
たとえ相手がバンパイアであっても。
唯一の問題は、友人に住所を聞かれた時の説明だった。
「メゾン・ドラキュラの301号室で、お隣がドラキュラさん」
誰も信じてくれない。
でもいいのだ。東京での生活は、予想していたより遥かに充実している。家賃は安いし、隣人は親切だし、定期的な献血で健康管理もできている。
ただ一つ気になるのは、最近ドラキュラさんが言った言葉だった。
「田中さんの血は本当に美味し...いえ、栄養価が高くて助かります」
美味しいと言いかけたのは気のせいだろうか。
まあ、細かいことは気にしないでおこう。
東京で学んだ最も重要な教訓。
それは、良い物件を見つけたら多少の条件には目をつぶることだ。
たとえお隣がバンパイアでも。
プロンプト
「『お隣のドラキュラさん』。場所は東京。「家賃5万円で渋谷から徒歩10分の物件ってないんですか!?」。田舎から上京した私。しかし、東京の現実を知らされる。「ところであなたって健康的ですね」。マイペースな不動産屋さんはそう言った。そして、紹介された物件がここ。「メゾン・ドラキュラ」。1LDK。オートロック。エレベータ付き4階建マンション。渋谷から歩いて10分。築10年以内。破格の物件。しかし、ある奇妙なルールがあった。1.深夜0時以降は南の階段を使わない。2.深夜0時以降はカーテンを閉める。3.4か月に一回の献血を行うこと。奇妙なことに隣の大家の部屋は深夜10時になると音がする。このプロットを元にシリアスコメディ短編小説を書きましょう。」




