『連帯保証人にはなるな!』~取り立て人兼吸血鬼に気をつけろ!!!~
教訓:連帯保証人になる前に、必ず契約書を読みましょう。そして、取り立て人兼吸血鬼に出会ったら、すぐに法律の専門家に相談しましょう。
「こんにちは、私は取り立て人です」
インターホン越しに聞こえた男性の声に、私は一瞬固まった。夜の十時を回ったこの時間に、訪問者など期待していなかった。ましてや取り立て人など。
私は恐る恐るドアを開けた。
「お世話になっております。アカツキ債権回収の柊と申します」
スーツ姿の男は完璧な笑顔で名刺を差し出してきた。中肉中背、しかし妙に白い肌と赤みがかった瞳が印象的だ。
「何のご用件でしょうか」
「こちらをご覧ください」
柊という男は書類の束を取り出した。一番上のページには私の名前が活字で印刷され、そして署名欄には紛れもなく私のサインがあった。
「これは...」
「山本陽介様のローン契約書です。あなたは連帯保証人になっていらっしゃいます」
陽介。大学時代の友人だ。確かに卒業間際、彼に頼まれて何かの書類にサインしたことがあった。あれから五年。連絡も途絶えていた。
「山本さんですが、残念ながら行方不明となっております。したがって、連帯保証人であるあなたに支払い義務が発生します。元金と利息を合わせて...」
柊は冷静に金額を告げた。それを聞いた私は目眩を覚えた。私の半年分の給料に相当する額だった。
「冗談じゃない!そんな大金、どうやって...」
「お支払い方法はいくつかございます」柊は微笑んだ。
「現金、振込、クレジットカード、そして...」
彼はゆっくりと顔を上げ、私の目をじっと見つめた。
「...あなたの血でも構いません」
「は?」
その瞬間、彼の瞳が赤く輝き、口元から鋭い牙が覗いた。
「冗談ではありません。私はアカツキ債権回収の取り立て人であると同時に、吸血鬼でもあるのです」
私は笑おうとしたが、彼の真剣な表情を見て言葉を失った。
「通常、一般のお客様からは現金で頂戴しますが、特別に血でのお支払いもお受けしております。あなたの場合、約三リットルほど頂ければ完済となります」
私は咄嗟に玄関のドアを閉めようとしたが、柊の腕がそれを阻んだ。人間離れした力だった。
「慌てなくても結構です。今夜は取り立てません。明日の夜、また参ります」
彼はにっこり笑った。
「その時までに現金をご用意いただければ幸いですが、ご用意できない場合は...」彼は首筋に指を這わせるジェスチャーをした。
「楽しみにしています」
ドアが閉まり、私はその場に崩れ落ちた。
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翌朝、私は目を覚ますとすぐに銀行に駆け込んだ。しかし、口座残高は悲惨なものだった。派遣社員の給料では、とても返済できる額ではない。
昼休み、藁にもすがる思いで法律事務所を訪ねた。
「連帯保証人ですか...厳しいですね」
弁護士の中村はため息をついた。
「契約書を見る限り、法的には支払い義務があります。詐欺的な勧誘があった場合は取り消せる可能性もありますが...」
「いや、それより!取り立て人が吸血鬼だと言うんです!」
中村は眉をひそめた。
「宮本さん、睡眠は十分取れていますか?」
結局、法律の専門家からも取り付く島がなかった。オフィスを出る際、受付嬢が小声で私に話しかけた。
「吸血鬼の取り立てなら、志村先生に相談してみては?」
彼女は小さなカードを差し出した。
「志村康平・特殊債権対策弁護士」
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志村法律事務所は雑居ビルの七階にあった。扉を開けると、古めかしい応接間に中年の男性が座っていた。
「お待ちしておりました、宮本さん」
「どうして私の名前を?」
「そういった類の相談者は大抵、顔に書いてありますよ」志村はにやりと笑った。
「さて、どのタイプの吸血鬼ですか?」
私は昨晩の出来事を話した。志村は真剣な表情で聞き入り、時折メモを取っていた。
「アカツキ債権回収ですか...なるほど」
「知っているんですか?」
「ええ、彼らは特殊な債権回収会社です。文字通り、血も取る会社です」
志村は立ち上がり、古い本棚から一冊の本を取り出した。
「吸血鬼と言っても種類があります。東欧系、中国系、日本の九州系...それぞれ弱点が異なります」
「弱点?」
「ええ、日光、十字架、ニンニク...しかし、法的拘束力が最も効果的です」
「法的...拘束力?」
「吸血鬼は契約に縛られる生き物です。特に日本の吸血鬼は書面主義に弱い」
志村は微笑んだ。
「今夜、彼が来たら鬼ごっこを提案してください」
「鬼ごっこ?」
「そう。契約書を用意しておきましょう」
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その夜、柊は約束通り現れた。
「用意はできましたか?」彼は優雅に尋ねた。
「できていません」私は震える声で答えた。
「しかし...鬼ごっこをしませんか?」
柊は目を見開いた。
「おや?珍しい。詳しく聞かせてください」
「私が逃げ、あなたが追う。朝までに捕まらなければ借金は帳消し。捕まったら...血を差し上げます」
柊は興味深そうに首を傾げた。
「面白い提案ですね。ですが、何故私がそんな賭けに乗るべきでしょう?」
「吸血鬼は賭けやゲームを拒めないと聞きました」
彼は大きく笑った。
「なるほど、調べましたね。確かに、我々は挑戦を拒むことができない性質があります」
柊はポケットから懐中時計を取り出した。
「では、同意します。ただし、条件があります。この建物から出てはならない。そして...」
「この契約書にサインしてください」
私は志村が用意した書類を差し出した。柊は軽く目を通し、ペンを取った。
「血の契約ですね」彼は指先を噛み、滲んだ血で署名した。
「さて、ゲームの始まりです」
彼は懐中時計を見た。
「午前零時ちょうど。朝の六時まで。始めましょうか」
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マンションの非常階段を駆け下りる私。後ろから柊の足音が聞こえる。
「宮本さん、隠れるのは無駄ですよ。私はあなたの血の匂いを辿れます」
一階に降り、私はロビーに逃げ込んだ。深夜のマンションは静まり返っている。
柊は優雅に階段を降りてきた。
「血の契約、よく思いつきましたね。しかし、それが何の役に立つのでしょう?」
私は黙ったまま、彼の動きを見守った。
「ああ、なるほど」柊は笑った。
「志村康平に相談しましたね。彼はまだ活動していたのですか」
柊はゆっくりと近づいてきた。私はエレベーターの前まで後退した。
「彼の戦略は古いですよ。現代の吸血鬼は法的にも対策を講じています」
彼の瞳が赤く光り、牙が伸びた。
「さあ、逃げるなら今です」
私はエレベーターに飛び込み、ボタンを押した。扉が閉まる瞬間、柊の手がそれを阻止しようとしたが、間に合わなかった。
エレベーターは上昇した。私は三階で降り、非常階段から再び下りた。こうして何度もフロアを行き来しながら、時間を稼ぐ。
時計は午前二時を回っていた。あと四時間。
しかし、次第に柊の動きが読めるようになってきた。彼は常に効率的な経路で私を追っている。このままでは朝まで持たない。
「宮本さん、疲れませんか?」どこからか柊の声が聞こえた。
「人間の体力には限界があります」
そのとき、私は志村の言葉を思い出した。
「吸血鬼は契約に縛られる...特に日本の吸血鬼は書面主義に弱い」
私は急いで書類を取り出した。血で署名された契約書。じっくり読み直すと、ある条項が目に入った。
「第三条:本契約において、『朝』とは日の出の時刻と定義する」
五月の東京。日の出は午前四時半頃。
残り時間は二時間半しかない。
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午前三時。私はマンションの屋上に出た。柊は既にそこで待っていた。
「ついに諦めましたか?」彼は満足げに笑った。
「いいえ、ここで決着をつけます」
私は契約書を広げた。
「第三条をご確認ください。『朝』の定義は日の出です。あと一時間半で私の勝ちです」
柊は驚いた表情を見せた後、大きく笑い出した。
「さすがは志村の助言。しかし、あなたはまだ捕まっていません。残り時間を生き延びられますか?」
彼はゆっくりと私に近づいてきた。
「もう一つ、あなたは見落としています」私は言った。
「第七条です」
「第七条?」
「本契約において、債権者は債務者の居住空間に招かれない限り、立ち入ることはできない」
柊の表情が凍りついた。
「そう、あなたは私の部屋に招かれたわけではありません。インターホン越しの会話だけです」
「しかし、昨夜は...」
「玄関先での会話です。室内には入っていません」
柊は契約書を奪い取り、細かく確認した。確かにそう書かれている。
「さらに第九条。本契約に違反した場合、債権者は全ての債権を放棄するものとする」
柊は歯ぎしりした。
「あなたは既に契約違反をしています。私の住居に無断で立ち入った」
「まさか...」
東の空が少しずつ明るくなり始めていた。
柊は怒りに震えながらも、契約書を握りしめた。
「やられました...」彼はつぶやいた。
「志村康平、さすがですね」
彼は私に深々と頭を下げた。
「お詫びします。債権は放棄いたします」
そして、彼は朝日を避けるように影に溶けていった。
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翌日、志村法律事務所を訪れた私は、志村に一部始終を報告した。
「よくやりましたね」志村は満足そうに言った。
「しかし、まだ終わっていません」
「どういうことですか?」
「アカツキ債権回収は諦めません。別の取り立て人が来るでしょう」
志村は引き出しから書類を取り出した。
「これは債務整理の申請書です。彼らの親会社と交渉するための準備をしておきましょう」
「親会社?」
「ええ、彼らは表向き正規の債権回収会社ですから。法的手続きを踏めば、彼らも従わざるを得ません」
私は呆然とした表情で志村を見つめた。
「そういえば...なぜ志村さんはこんな特殊な分野を?」
志村はにっこり笑った。そのとき、一瞬だけ彼の瞳が赤く光ったような気がした。
「それはまた別のお話です」
彼は立ち上がり、カーテンを閉めた。
「東京には、様々な夜の住人がいるものです」
窓の外では、新しい一日が始まっていた。




