表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
440/601

『吸血鬼に襲われたら浜松!』

 深夜の東京、新宿の路地裏。終電を逃した私は、タクシーを拾おうと人気のない通りを歩いていた。突然、背後から感じる視線。振り返ると、そこには西洋の貴族のような装いの男が立っていた。


「こんばんは」


 男は微笑んだ。その口元から覗く尖った犬歯が、街灯の光を反射して光った。


「吸血鬼…?」


 思わず口にした言葉に、男は嬉しそうに頷いた。


「そう、私は吸血鬼。ドラキュラ伯爵とは遠い親戚でね。日本に来て三百年になる」


 彼は優雅に一礼した。


「で、どうする?血を吸われる?それとも、ゲームをする?」


「ゲーム?」


「そう、鬼ごっこだ。朝日が昇るまでに捕まらなければ、君の勝ち。捕まったら…」


 彼は舌なめずりをした。


「逃げる時間はあげよう。10分ね」


 私の頭は急速に回転し始めた。吸血鬼の弱点—日光、ニンニク、十字架、流水…。しかし今、夜中の新宿でニンニクや十字架をどこで手に入れる?教会まで逃げる時間もない。そもそも吸血鬼は人間より遥かに速い。朝日まで逃げ切るなんて不可能だ。


 待て。


「浜松…」


 思わず呟いた。


「何?」と吸血鬼が不思議そうに首を傾げる。


「いや、何でもない!」


 私は走り出した。まずは駅へ。タクシー乗り場に向かう。


「面白い!鬼ごっこ、始まるよ!」吸血鬼の声が後ろから響いてきた。


 ***


 タクシーに飛び乗り、「東京駅まで急いでください!」と叫んだ。


「お客さん、何か追いかけられてるの?」運転手は心配そうに聞いてきた。


「はい、命がかかってます!」


 バックミラーを見ると、吸血鬼が微笑みながら手を振っている。彼は追いかけてこない。なぜだ?


 そうか、彼は私の計画を楽しんでいるのだ。猫がネズミと遊ぶように。


 東京駅に着くと、私は最終の新幹線の時刻表を必死で探した。


「あった!」


 あと15分で最終の「のぞみ」が名古屋行きで出る。そこから浜松に向かう手段を考えよう。


 切符を買い、ホームに急ぐ。背後には吸血鬼の気配。彼は私を見失っていない。


 新幹線に乗り込むと、すぐに発車した。窓の外に吸血鬼が立っている。彼は笑顔で手を振り、そして…消えた。


「え?」


 次の瞬間、車内の別の座席に吸血鬼が座っていた。他の乗客は彼を見ても特に驚いた様子もない。どうやら彼は一般人には見えないらしい。


「新幹線に乗るとは。面白い作戦だね」彼は優雅に言った。


「でも、これでどうやって逃げるつもりなのかな?名古屋に着いたところで、朝日はまだ昇らないよ」


 私は黙って窓の外を見た。計画はまだ始まったばかりだ。


 ***


 名古屋に着くと、私はすぐにタクシーを拾った。


「浜松駅まで行ってください」


「浜松?愛知県じゃなくて静岡県の?」運転手は驚いた顔をした。


「はい、急ぎなんです」


「でも、それなら新幹線の方が…」


「時間がないんです!お願いします!」


 運転手は不思議そうな顔をしたが、頷いた。


 タクシーが走り出すと、後部座席に吸血鬼が現れた。


「浜松?なるほど」彼は興味深そうに言った。「でも浜松に何があるのかな?」


 私は黙って前を見つめた。浜松には、ある特別なものがある。それは…


 ***


 浜松に到着したのは深夜3時過ぎ。まだ朝日まで時間がある。


「ここからどこへ行くつもりだい?」吸血鬼は楽しそうに尋ねた。


 私は地図アプリを開き、目的地を確認した。


「浜松城…」


 吸血鬼は笑った。「お城?そこに何があるというんだい?」


 私たちは浜松城に向かった。閉まっている城門の前で立ち止まる。


「さて、ここで何をするつもりだ?」吸血鬼は首を傾げた。


 私はポケットから小さな袋を取り出した。東京駅のコンビニで買ったものだ。


「これは…」吸血鬼は目を細めた。


「浜名湖うなぎパイ」


 私は袋を開け、中身を取り出した。


「うなぎパイ?」吸血鬼は混乱した表情を浮かべた。


「浜松と言えば、うなぎ。うなぎと言えば…」


「まさか!」吸血鬼の顔色が変わった。


「そう、ニンニク」


 うなぎパイの原材料の中には、微量ながらニンニクが含まれている。浜松名物のうなぎ料理には、ほとんどニンニクが使われるのだ。


 吸血鬼は一歩後ずさった。「なるほど…浜松に来た理由はそれか」


「それだけじゃない」


 私は城の方を指差した。


「浜松城は、徳川家康が17年間過ごした城。家康は何を大切にしていたと思う?」


「それは…」


「そう、家紋だ」


 徳川家の家紋は、三つ葉葵。葵はキリスト教の三位一体を表すとも言われ、日本におけるキリスト教の象徴の一つともなっている。


 吸血鬼は苦笑した。


「まさか、そんな歴史的な繋がりまで調べていたとは」


「そして最後に」


 私は東の空を指差した。


「浜松は『出世城』と呼ばれている。なぜか分かる?家康がここから天下統一への道を歩んだから。つまり…」


「日の出…!」吸血鬼が悟った顔をした。


 そう、浜松は「浜の松」。海に近く、東からの日の出が早い場所なのだ。


 空が白み始めていた。


「負けだよ」


 吸血鬼は肩をすくめた。


「君の頭の回転の速さには感心したよ。東京で鬼ごっこを始めた時から、浜松を目指していたんだね」


「ええ、吸血鬼に襲われたら浜松。それしかないと思ったんです」


「興味深い。では、約束通り。君の勝ちだ」


 朝日が地平線から顔を出し始めた。吸血鬼は薄れていくその姿で微笑んだ。


「次は、もっと面白いゲームをしよう」


 そう言って彼は消えた。


 私は朝日を見つめながら、疲れた体を引きずって浜松駅へ向かった。次の鬼ごっこの時は、もっと研究しておかなければ。静岡の伊豆あたりも、何か使えるかもしれない。


 でも、まずは帰ってしっかり寝よう。そして本物のうなぎパイでも買って帰るか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ