『ヴァンパニック』
運は時として残酷な形で微笑むものだ。
血に濡れた一枚のエースを握りしめながら、私は運命の意味を考えていた。このポーカーで手に入れた豪華客船のチケット。まさか、そんな些細な勝負が私の人生最後の賭けになるとは思わなかった。
甲板に立ち、満月に照らされた大西洋の波を眺めていた時、背後から妖しい声が耳を撫でた。
「あら、美味しそうな」
振り返った瞬間、息が止まった。そこには月光を纏った幻想的な美しさの女性が立っていた。深紅のドレスは血のように夜風になびき、磁器のように白い肌は月明かりを吸い込んで輝いていた。しかし、その琥珀色の瞳の奥には、何世紀もの飢えと狂気が渦巻いていた。
「今宵、あなたと特別なゲームを楽しませていただこうかしら」
彼女は艶めかしく唇を歪め、鋭い牙を覗かせた。
「逃げ切れたら命は差し上げます。朝日が昇るまでよ。素敵な取引だと思いませんこと?」
私の返事を待つことなく、彼女は優雅な一歩を踏み出した。その瞬間、私の本能が叫んだ。逃げろ。
豪華客船の迷宮のような通路を駆け抜ける。心臓が爆ぜそうなほど激しく脈打つ。しかし、どこに逃げても彼女の気配が纏わりつく。まるで影のように、私の背後にぴったりとついてくる。時折、廊下の向こうで彼女のドレスが翻るのが見える。だが振り返ると、そこには誰もいない。
「ふふ、久しぶりにこんなに楽しめるわ」
彼女の声が耳元で囁く。冷たい吐息が首筋を撫でる。振り返ると、やはりそこには誰もいない。しかし確実に、彼女は私を追い詰めていた。猫が鼠を弄ぶように、ゆっくりと、着実に。
時計を見る。針は午前2時を指している。日の出まであと4時間以上。このままでは確実に命はない。
必死に考える。吸血鬼の弱点は何だ?ニンニク?十字架?聖水?どれも今の私には手の届かないものばかり。そのとき、船底から流れてくる官能的な音楽が私の耳を捉えた。
ダンスホール。
閃きは稲妻のように私の中で走った。
「お嬢さん」
私は立ち止まり、彼女の方を向いた。
「死ぬ前に、最後の踊りを申し込ませていただけませんか?」
彼女は月明かりの下で妖しく微笑んだ。
「まあ、なんて粋な死に方なのかしら」
ダンスホールは深夜にも関わらず、華やかな衣装に身を包んだ乗客たちで溢れていた。オーケストラが情熱的なタンゴを奏でている。そして私たちは、死の舞踏を始めた。
激しく、狂おしいまでに。彼女の動きは蛇のように妖艶で、私の拙い動きさえも芸術に変えていく。私たちの周りの空気が歪み始める。他の客たちも、まるで呪いにかけられたように、次第に激しい踊りに巻き込まれていく。
船が揺れ始めた。
最初は小さな揺れだった。しかし、ダンスが熱を帯びるにつれ、揺れは大きくなっていく。乗客たちは私たちの狂気の渦に飲み込まれ、誰も危険に気付かない。
「あら、なんて狡猾な策なの」
彼女が嗜虐的な笑みを浮かべながら囁いた。
「でも、このまま船が沈んでも、私は永遠に泳ぎ続けられるのよ?」
「ええ、でも」
私は彼女の耳元で答えた。
「朝日の下の大海原では、いかがかな?」
その瞬間、決定的な衝撃が船を襲った。甲高い金属音と共に、船体が大きく傾く。シャンデリアが砕け散り、悲鳴が響き渡る。パニックの中、救命ボートが次々と降ろされていく。東の空は、既に僅かながら白みはじめていた。
「お見事」
彼女は血のように冷たい唇で私にキスをした。
「こんな官能的な夜を過ごせたのは、何世紀ぶりかしら」
そして彼女は、破れた窓から漏れる月明かりの中へと消えていった。
翌朝の新聞は「原因不明の豪華客船沈没事故」を一面で報じた。生存者の証言によると、事故の直前まで船内では前代未聞の熱狂的なダンスパーティーが催されていたという。
「はいはい、またおじいちゃんの作り話」
孫たちは私の膝の上で退屈そうな顔をしている。確かに、吸血鬼との命を賭けた一夜の華麗な舞踏など、誰が信じるだろうか。
「でも、すっごく面白かった!」と、末っ子のミキが目を輝かせる。
「次は違う話して!」
その時、窓の外を指さす長女の優子。
「あっ!」
私の心臓が止まりそうになる。道路の向こう、街灯の下に佇む深紅のドレスの女性。磁器のように白い肌は、夕暮れの中で妖しく輝いている。そして、こちらを見つめる琥珀色の瞳。
「どこ?誰もいないよ?」とミキが首を傾げる。
確かに、もう一度見直すと、そこには誰もいなかった。だが、夕闇に消えていく彼女の残した笑い声は、間違いなく現実のものだった。私の首筋に残る、あの夜のキスの痕が疼きだす。
「さあ」
私は立ち上がり、カーテンを閉めた。外では満月が不気味に輝き始めている。
「おじいちゃんには、まだまだ話したい思い出があるんだ」
孫たちは息を呑んで、私の新しい物語に耳を傾けようとしている。そして私には分かっていた。彼女は永遠に私の物語の中で踊り続けるだろう、あの月下の舞踏のように。
プロンプト
「『ヴァンパニック』。場所はアメリカ。私は旅する青年。今日はギャンブルに勝って豪華客船のチケットをいただいた。「さすが、豪華客船。綺麗な眺めだ」。そのとき、月を背景に一人の女がいた。「あら、美味しそうな」。夜の甲板で私は夜中に吸血鬼と遭遇した。吸血鬼は私に対して鬼ごっこを提案する。私は夜に吸血鬼から逃れるために、思考を巡らせる。吸血鬼の弱点は日光。朝まで逃げれば勝てる。しかし、逃げきれる保証はない。吸血鬼の弱点はいくつもあるが、結局あそこしかない。そうダンスホールだ。過激に踊る俺たちは客船を沈没させてしまう。このプロットを元にシリアスコメディ短編小説を書きましょう。」
「「おじいちゃん、また嘘ついている」。老人のホラ話を聞いている孫たち。そのとき、孫の一人は道路に綺麗な女性を見つける。しかし、瞬きをすると消えていた。このプロットを元に物語を締めくくってください。」