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かえりみち 前編

「――仕方がないですよ」


 あきらが僕の前を歩きながら、こちらを振り返らずに言う。


 昨日は中等学校の、今日は高等学校の「選別」発表の日だった。

 その二日間は毎年のことながら授業も部活も休みになる。生徒たちはそのまま冬休みに突入するのだが、全国の教師たちは全員出勤している。

 そんな中、僕たちは部活の自主練習という名目で登校していた。


 僕とあきらは丘の上に建つこの高校の水泳部に所属している。しかし僕の場合に限ってはそれは過去形だ。

 僕は高校三年生で、今年の夏の大会を最後に既に部活を引退しており、今は大学の受験勉強に追われている。

 それでも体がなまるのを良しとしない僕を含めた何人かの三年生は、たまに部活に顔を出し、後輩の子たちと練習することがあった。


 そうは言っても、もうすぐ年を越えようとしている。

 そんな寒い時期に水泳部の僕らが学校でやることといえば、走り込みや筋トレぐらいしかなかった。

 僕とあきらは自主練習を終え、帰宅のために校門へと向かっているところだった。


 空はすでに夕暮れで、学校からは市街地が一望できる。僕はその景色が大好きだった。時折吹く風は強くはなかったが、それでも十分に僕の体を冷やした。僕は体を震わせながら、首に巻いたマフラーに口元を埋める。このマフラーは胡桃(くるみ)が作ってくれたものだ。僕の一番の宝物でもある。


 僕は校庭やテニスコート、屋外のバレーコートやハンドボールコートに目をやる。さすがにこの日ばかりは、どの部活動もやっていなかった。

 大半の生徒たちは家で家族と過ごしていることだろう。気が抜けた一部の奴らは、友達同士でどこかへ遊びに行っているのかもしれない。

 しかし、きっと、ほとんどの子どもたちは家族と過ごしているはずである。なので、それに比べて僕らはかなりの変わり者であると言えるだろう。


 もちろん、胡桃も家族と過ごすと言っていた。


 そもそも僕だってこんな日に学校なんかへ来るつもりはなかった。昨日から僕の気分はとにかくひどく落ち込んでおり、何もする気なんて起こらなかったからだ。

 それなのに今日の朝、あきらから電話がかかってきて、かなり強引に自主練習の誘いを受けたのだ。


 あきらは男の子のような名前をしているが、実際のところはとても女の子らしい女の子だ。僕や胡桃より一つ後輩で、中学校からの仲だ。

 僕とあきらは中学の水泳部で知り合った。そこから僕たちは徐々に仲良くなり、今では胡桃以外の異性では最も親しい存在となっている。


 あきらはボブの髪型がよく似合っていて、運動もでき、勉強もできる。堅実で物腰やわらかな性格と容姿の美しさから、男女を問わずにかなりの人気があった。


 それとは逆に、胡桃は人を寄せ付けぬ雰囲気から、表向きでは彼女の人気を(うかが)い知ることはできなかった。しかし、彼女が持つ圧倒的な無垢の美しさと、妖艶(ようえん)な雰囲気から、教師を含めた周りの人々には一目置かれていた。

 胡桃が西洋の人形のような美しさだとすると、あきらは大和撫子(やまとなでしこ)と呼ぶにふさわしい美しさだろう。


 今朝、あきらから電話が来た時に、僕は胡桃のことについて話した。

 あきらは僕の話を聞くと最初は絶句し、そのあとは必死に僕を慰めてくれた。僕たちはそれが仕方のないことだと理解していた。それは、僕たちが生まれた時から当たり前に起きていることだからだ。


 小学校の頃から授業でも説明を受け、毎年ニュースにも大きく取り上げられている「それ」が、この国では当たり前のことになっていた。「それ」に選ばれる確率は決して高くはなかったし、今までも「それ」は僕にとって他人ごとのものとして存在していた。


 それでも、決して「それ」は僕たちとは無関係なものにならず、「それ」は常に僕たちの近くで、静かに、しかし圧倒的なものとして存在し続けていた。


 そして昨日、僕は「それ」が他人ごとではないと知った。


「――ジュース」


 ふいにあきらが僕に言う。気づくとすでに僕たちは学校を後にしていた。いつの間にか僕たちは、学校から坂道を下る途中にある、自動販売機の前に差し掛かろうとしていた。

 この坂道は勾配がとても急で、しかも長い。自転車に乗ったままで登ることは、運動部の生徒をもってしてもやっとだった。その為、自転車通学の生徒たちからは「最後の山場」と呼ばれていた。


「え?」


 僕は突然のことに思わずあきらに聞き返した。あきらも僕と同じようにマフラーに口元を埋め、鼻の頭を赤くさせていた。

 あきらは先にある自動販売機を指差している。


「ジュース、飲みませんか?」

 あきらはマフラーで隠れた口を動かし、もごもごと言う。

「いいよ」

 僕もあきらと同じように、もごもごと応えた。


 あきらは自動販売機の前まで来ると、何を選ぶかしばらく迷っていた。そんなに迷うほど種類はないはずなのだが、あきらは無言で全ての種類を吟味(ぎんみ)している。

 そんなあきらの横顔を見てみると、まつげがとても長いことに気づいた。


「先輩は何を買うんですか?」

 あきらが飲み物の見本を見ながら僕に聞く。

「俺はカフェオレ」

「冷たいのですか?」

「あほ言え。凍死するわ」


 僕はポケットから財布を取り出し、小銭を入れる。今ではコーヒーは一つのメーカーからしか発売されていないから、特に迷う必要もない。

 僕がボタンを押すと、ガタン、と乾いた音を立てて、缶コーヒーが落ちてきた。


「――よし」

 あきらも何を飲むのか決めたようで、そう言うと自分の鞄から財布を取り出そうとする。

「いいよ、俺が出すから」

 高校生でも後輩に飲み物をおごるお金くらいなら持っている。

「いいんですか?」

 あきらは遠慮するかのような言い方をしたが、顔は嬉しそうだ。


「うん。あきら、貧乏だもんな」

 僕は自分のコーヒーを取り出しながら、からかうように言った。缶コーヒーは素手で持つには熱すぎて、僕はそれを、制服の中に着ているカーディガンの袖を伸ばして持った。


「失礼ですね。それなりにお小遣いはもらってますよ」

 そう言ってあきらは頬をふくらませる。その仕草がとてもかわいくて、僕は思わず目をそらしてしまう。


「で、何飲むの?」

「じゃあ、私はミルクティーで」

「冷たいの?」

「凍死しちゃいますよ。というか、ホットしかないですよ」

 あきらは微笑みながら僕を見た。


 そういえばあきらはこの間、突然の高熱から肺炎を患い、しばらく入院していて学校を休んでいた。それが僕たちにとって最も重要な全国統一テストの時期だったこともあり、僕はとても心配した。

 あとであきら本人に聞いてみたところ、幸いにも病院で試験を受けることができたということを聞き、とても安堵したのを覚えている。


 僕はまた小銭を入れて、はい、どうぞ、とあきらにボタンを押すように促した。

 あきらはボタンを押し、出てきたミルクティーを取り出すと、とても大切そうに両手で包んだ。僕は缶コーヒーを軽く振り、プルトップを開けて一口飲む。

 しかし、あきらはそんな僕を見ているだけで、自分の飲み物を飲む気配がない。


「飲まないの?」

 そう僕が聞くと、あきらはちらりと微笑み、ミルクティーをそっと自分の鞄にしまった。

「え、なんで?」

 自分から飲もうと言っておいて。

「先輩のジュース、私と半分こしませんか?」

 あきらは僕の質問には答えず、ごまかすように笑ってそう言った。


「え、だからなんで?」

 僕は再び聞く。

「ミルクティーはとっておこうと思って」

「なんで?」

「なんでもです」


 あきらはそう言って僕から缶コーヒーを奪い取り、一口飲んだ。

「わからないやつだな」

 僕はそんなあきらを見つめながら、苦笑して言った。


「わからないと言えば、飲み物をジュースって言うのも珍しいよな」

 僕はあきらから缶コーヒーを受け取って一口飲んだ。

「え、じゃあ何て言うんですか?」

 あきらは意外とでも言うように僕に聞く。

「普通は飲み物とか、ドリンクじゃないか?」


 僕がそう答えると、あきらは納得していない顔をする。その顔がとても子どもっぽくて僕はおかしくなる。

 普段のあきらは人前ではとても大人びた態度をとる。社交辞令も愛想の良さも完璧だ。

 しかし、僕の前だとあきらは一人の後輩の女の子になる。そのギャップは、あきらにとって僕が、気を許せる特別な存在であると言っているように感じられた。


 僕はたまにそのことを誰かに自慢したくなる。一度、胡桃にその話をしたことがあったが、その時に胡桃は珍しく機嫌を悪くしていた。

 しかし、そんな胡桃の姿も僕にはとても愛しく感じられた。


 僕とあきらは、徐々に日が沈み始めた川原道を歩いている。

 僕の買ったコーヒーを二人でまわし飲みしながら、しばらくはテレビ番組や、好きなバンドや、部活の話などをした。


「――なんだかんだ、俺たちって部活で派手な結果は残せてないよな。でもあきらはまだ一年あるか。来年は一種目に絞るの?」

 ちょうど僕たちは、部活の大会について話していた。今年もお互い県の大会までは出られたのだが、結局全国大会には行けなかった。


「県大会も十分に自慢できると思いますけどね。あ、そういえば――」

 あきらは僕の質問には答えず、話を変えるように切り出した。


「胡桃さんとは、付き合ってどれくらいになるんですか?」

さりげない口調だったが、あきらが少し緊張しているのがわかった。

「…急にどうしたの?」


 突然の胡桃の話だったが、僕は思ったよりも冷静に受け止めることができていた。


「いえ、そういえば先輩とあんまりこういう話をしたことがなかったので」

 あきらは僕の態度を見て少し安心したように答えた。きっと怒られると思ったのだろう。


「中一の時からだから、もう6年目かな」

「そうですか。長いですね」

 まあね、と言って僕はあきらからコーヒーを受け取り、中身を飲み干した。


 胡桃と僕は小学校の時から一緒だった。もっといえば、小学校入学前の就学児健診のときに僕たちは出会っている。小学校も中学校も子どもの数が少なく、クラス替えというものはなかった。

 そのおかげで、高校入学時のクラス決めを乗り越えた僕たちは、なんと12年間も同じクラスで過ごすことができている。


「――胡桃さん、今日は?」

「家族と過ごしてるよ」

「そうですか。そうですよね」


 僕とあきらはそれからしばらく無言で歩いた。僕は空になった缶を手持ちぶさたにもて遊ぶ。

 途中、犬の散歩をしているおじさんや、別の高校の生徒らしき二人組が自転車で僕らの横を通り過ぎていった。


「…ほかの奴が選ばれていれば」

 僕は昨日から数えきれないほど考えていることを口に出した。


「たられば論は無意味ですよ」

 あきらはまるで授業中の教師みたいな口ぶりで言う。


「そんなことは結果が出てからしか言えないです。過去に戻れるならまだしも、それができないんですから、今を受け入れるしかないですよ。私じゃなかったらとか、あの時、事故にあっていなければとか、病気になっていなければとか、言いだしたらキリがないです」

あきらは一息に話し終えた。僕にはそれが少し興奮しているように見えた。


「はっきり言うなあ」

僕は空を見上げた。刷毛(はけ)で掃いたような雲が紫色に染まっている。


「経験者は語る、です」

あきらは小さくつぶやいた。


 何の経験だ、と僕は言いたかったが、それは言わずに心の内に留めておいた。


 

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