濃いメロンソーダ
『昔ながらの喫茶店』…の『メロンソーダ』という響き。子供の頃からファンタジー世界のような鮮やかなあの色と、シュワシュワと口に広がる甘い風味にわたしは魅了され続けてきた。隣町に住んでいるおばあちゃんによく連れて行ってもらった『バード』というお店。そこはおばあちゃんの古くからの友達が経営していた喫茶店で、わたしはそこで弟と一緒にパンケーキとそしてメロンソーダ(稀にクリームソーダ)をご馳走してもらっていた。店に来るお客さんのほとんどは大人の人で、子供はいつもわたし達だけ。おばあちゃんの友達の自慢のコーヒーが目当てで来ているから当然なのだけれど、メロンソーダを注文する人を見た事が無かった。だから子供心に、
<メロンソーダは子供の飲み物なんだ>
と感じていて、今はこんなに好きなのにいつか飲みたくなくなる時が来るのかなってちょっとだけ勿体無いような気持ちになっていたことがあった。
「おねえちゃん、あのひと!」
そんな時にわたしと弟が目にしたのはスーツ姿の男性…の席にメロンソーダが運ばれてゆく光景。たぶん弟もわたしと同じようにその光景を不思議だと感じて、同時にちょっと感動していたのだと思う。そしてその男性は添えられたストローも使わずにメロンソーダを一気に飲み干してしまった。
ふぅ
飲み終えて一息ついたその時の様子がわたしの脳に焼き付いている。後で思い出したときになんとなくコミカルだったからなのか、気付くとわたしはその人の真似をしてメロンソーダを飲むようになった。氷だけが残ったグラスを見て、
<どうしてこの店のメロンソーダはこんなに美味しいんだろう?>
と考えていた事を思い出す。何か秘密があるに違いないとその頃のわたしは思っていた。
☆☆☆☆☆☆
時は流れ、大学生になったわたしは『バード』でアルバイトをするようになった。その時には店主が「健さん」というおばあちゃんの友達のお孫さんに世代交代していて、わたしより一回り年上の健さんは若い頃に流浪の旅をして世界を回ったというちょっと凄い人。だからなのか妙に色んな事に詳しくて、『バード』では世界各国から貴重なコーヒー豆を仕入れて焙煎してネット販売もしている。アルバイトのわたしも最近では豆のことに詳しくなりつつあって、健さんにご馳走してもらった風味豊かなコーヒーの味に感動して以来、わたしの中で『喫茶店』は『コーヒーを飲む場所』というイメージに改まりつつあった。もちろんメニューの中にメロンソーダはしっかり残されていて、やっぱりお子さんが来店すると必ずと言って良いほどメロンソーダの注文が入る。
アルバイトをするようになって知るようになった事実。『バード』のわたしが愛したメロンソーダは業務用の原液によって作られていたということ。大人になって考えてみれば当たり前ではあるけれど、店で独自にメロンソーダを作れるはずがなく、『裏』にはちゃんと業者が存在する。もちろん、その味は業者の試行錯誤によって生み出された味だし、その味が恋しくて今では自販機などでも売られるようになってきたのだと思う。それでもバイト中に最初に原液のボトルを見た時わたしは、
「えっ…これがあの味の正体だったんですか…」
と健さんに向かって愕然とした表情を浮かべていたらしい。
「渚ちゃん、知らなかったの?」
健さんが可笑しそうに笑った顔を見て、わたしは少しだけ恥ずかしい思いをした気分。でもよく考えてみると、わたしがメロンソーダに抱いていたものはそれだけ素敵なものだったという事なのだと思う。今でも友達とカラオケに行った時には必ずドリンクバーでメロンソーダを何回も汲みにゆく。でもやっぱり『バード』のメロンソーダはわたしにとって特別なのだ。
そんなある日のこと。『バード』には珍しく若い男性が一人で来店して、わたしを呼んで「あれ?もしかして同じ大学に通ってませんか?」と声を掛けてきた。スラッとした体躯でどこか不健康そうな雰囲気のある人だったけれど「ちょっと顔がいい」。服装には無頓着そうなニットとデニム姿で目の下のクマが無ければもっと映えるタイプの人なのに勿体無いなぁ、なんて一瞬の間に考えてしまったのはわたしの悪い癖。
「○△大学ですか?」
というわたしの問いに、
「はい。僕そこの教育学部なんですよ」
どうやら理学部で地球環境を学んでいるわたしとは直接の面識はないけれど、学食などでわたしの姿を見たことがあるらしい。わたしの方はというと残念ながら記憶にはなかった。
「そしたら注文なににしますか?」
同じ大学の学生という意識になったせいかちょっとだけフランクになってしまった接客。心の中で反省しているとその人が、
「じゃあメロンソーダで」
とわたしに言った。その時なんとなく「え?」と思ってしまったのは、てっきりこの人だったらブレンドのコーヒーを注文すると無意識に考えていたから。出来てしまったその「間」を不思議に思ったらしい彼が「あれ?大丈夫ですよね?」と不安そうに尋ねる。
「あ、すみません。わかりました。メロンソーダですね?」
気を取り直してわたしはメロンソーダを『作って』持ってゆく。ストローが必要かどうか確かめるのを忘れていたため、とりあえずストローを付けて席に運んでいった。
「…」
黄昏れるようにして窓の外を眺めている彼。自分と同年代でその憂鬱そうな表情は雰囲気があるなぁとかぼんやり思いながら声を掛けると、
「あ、ありがとうございます。じゃいただきます」
と言うや否やグラスにストローを挿してすごい勢いでメロンソーダを吸い込んでゆく。呆気に取られてしまってその場を立ち去るのも忘れて、見る見る減ってゆくメロンソーダを見守っていた。
<なにこの人…変なヒト>
そんな風に思ってしまったところで彼は飲み干した。
ふぅ
一息ついた彼の姿に奇妙なノスタルジーを感じたわたし。そして彼はわたしをじっと見つめて一言。
「美味いですね。ここのメロンソーダ!」
それはこの上なく実感のこもっている言葉にように感じられた。以来、彼「水瀬くん」は度々「バード」を訪れるようになった。最近、大学の友達からこんな事を言われた。
「渚ってさ、メロンソーダのその人の話するときなんか嬉しそうじゃない?」
そう言われて確かに水瀬くんの姿を思い出すときわたしはニヤニヤしてしまっているなぁと思う。昨日健さんに『こい』と言われてドキッとした。メロンソーダの原液を割る際にちょっと濃くなってしまっているらしい。確かにちょっと「こい」かも。