《 ある殿方様のお話 》
其処は酸いも甘いも熟知した、殿方と御婦人が集う場所。
皆お気に召したお相手と語り合ったり、日常の出来事や思いを自由に発表したり、そのような場所。
その殿方様も心の中の色々なものを言葉にしておられて、初めて耳にした時は私の凍えた頬を、暖かい春の風がふわりと撫でて行ったような気分になり…。
言葉の一つ一つから、他人様に向ける視線の優しさを感じられて。
けれども私はお姿は目にせず、唯時々発せられる言葉を聴いているだけ。
日が経って何故あの時、その殿方様のお顔を拝見しようと考えたのか…。
発する言葉に近寄り、もっと暖まりたかったのか…。
いつものように皆が集う場所に行き、その殿方様の言葉が聴こえたので、初めてお顔を真正面から見つめた時。
それは暖かい春風というより温かな両手で直接私の頬をそっと挟み、しっかり撫でて下さってるようなそんな気持ちになり、私はその殿方様のお姿から目を逸らせる事が出来なくなって。
一瞬で心惹かれたのは、他の殿方には感じた事の無い不思議な安堵。
まるで、ずっと探し求めていたものに巡り合えたような。
殿方様の言葉は直情的でありながら控えめで、決して御自身の魅力を自慢する事は無い。
幾度もお顔を拝見しているうち、次第に私の内側で殿方様の心に触れてみたいと望むようになり。
雄々しさを秘めた柔和な眼差しの目は、深い濃黒の瞳で扁桃のような形をしている。
微かに寂しげで、優しく微笑んでいるような光りを湛えて。
意を決して一歩近づいてみたら、殿方様から御挨拶を頂いて。
少しずつ声を掛け合っていたのは束の間、私が感じた安堵感を殿方様も持って下さったのか…。
互いに心の中を全て曝け出し、あらゆる思いを言葉にして交わし合う。
哀しみに共鳴する。
喜びに共鳴する。
苦しみに共鳴する。
愚かささえにも共鳴する。
そして、愛欲に呼応して。
逢瀬では心も体も融合する。
今宵も逢いに来て下さる丑三つ刻の殿方様は、変わらず微かに寂しげな 優しい濃黒の瞳。
私の為に、涙を溢して下さった事もあった。
言葉は暖かく、繋ぐ手は温かく、心は柔らかく、体は熱く、そんなある殿方様のお話。




