7手紙
見てくださってありがとうございます。
ナルは去り、やがてビルは一人取り残される。
「………………」
ビルは手紙を眺め、意を決して封を開ける。
パチパチと音を立てる焚き火の明かりが字を照らす。
「ママの字だ……」
間違いない。本物の母からの手紙だ。
生まれてから今まで、誰よりも近くで母をずっと見て育ったビルは母のことなら何でも理解できるつもりでいたが、この時ばかりは分からない。 この手紙にはどんな内容が記されているのか、全く見当がつかなかった。
ビルは未知の地を進むような気持ちで、手紙を読み進めていく。
「………………」
手紙にはビルの知らない母がいた。 ひたすらに可愛がって甘やかしてくれて、どんな頼みごとも最後には笑顔で受け入れてくれる母ではない。
手紙の母はビルの甘えの全てを切り捨ててきた。
結論から述べると、母はビルとの別れを受け入れている。 その事実が、ビルを絶望の底に突き落とした。
「う……そだ……」
今のビルに手を差し伸べてくれる者はどこにもいない。 ナルから逃れられないと口にされた時、頭では理解していても実感は伴わなかった。
だが、母からの手紙を目にしてようやく思い知らされた。これまでの平穏な暮らしが終わりを告げたのだと。
「う……うぅ……」
途方もない喪失感と生まれて初めて味わう孤独に、ビルの心が耐えられるはずがなかった。
「うあぁぁぁあぁあ!」
行き場の無いぐちゃぐちゃの感情が決壊し、ビルは泣いた。 悲鳴のような、助けを求めるような、運命を呪うような、悲痛な叫び。
「少し様子を見に来てみれば……ピーピーピーピーやかましいのですけど」
号泣するビルから少し距離を置いて声をかけてきたのはリアだった。 だが、そんなことはビルにとってどうでもいい。本当に側にいて欲しい相手はリアじゃない。
「わぁあぁん!わあぁぁん!」
「………………」
どれだけ涙を流しても、悲しみは消えない。現状は何も変わらない。だが、今のビルは泣き崩れることしかできなかった。
「あぁもう!」
「!?」
ギュッとビルの身体が包まれる。 身体を通じて伝わってくる優しい温もり。 母とは違う、少し荒っぽい不器用な抱擁。
「身体はこんなに大きいのに……中身はまるで子どもですね……」
「うぅ……」
子どもをあやすように優しく頭を撫でられる。 子どもじゃないと反論したいビルだったが、見栄に反して心は落ち着きを取り戻してきている。
「……大切な者と別れる苦しみは私にも分かります。私だけじゃない。ここにいる全員です」
「そんな簡単に分かったように……」
「あなたにとっては違うみたいですが、私達にとって魔王様は特別な存在でした。魔王様は私達が私達として生きていける場所を創り、護り、支え、生きる喜びを教えてくださったかけがえのないお方なのです」
「……そう」
「ですが、お伝えしたように魔王様は亡くなった。そして、私達は今のあなたと同じように絶望しました。どれだけ願っても二度と会うことは叶わない……その苦しみと魔王様を奪った人間に対する憎しみに耐えることができませんでした」
リア達が苦しい思いをしてきたのは分かった。だが、
「何それ……不幸自慢?」
だから何なのだ。そんな話を聞かされたからといって、ビルの苦しみが消えるわけじゃない。 何の慰みにもならないし、慰みになると思われるのは酷く腹が立つ。
リアの浅慮に失望したビルであったが、
「えぇ、そうです。不幸自慢です」
「え……?」
この返答は予想外だった。そして、リアは感情をぶつけるように言ってくる。
「あなたはまだ何も失ってはいないじゃないですか!」
「!」
「あなたも!あなたのお母様も生きている!今生の別れではありません!」
「……そんなの……無理だよ」
そう呟いたビルの反論には力が無かった。
「魔族の状況は絶望的……俺もいずれは人間に……」
ここにいる魔族の数は50ほど。いくら世間知らずのビルであってもその数がどれだけ儚く脆いのか想像に難くない。
ここから逃げ出して母とまたひっそりと隠れて暮らしてみるか? 否、母はそんな提案を受け入れたりはしない。 それに、魔王と深い関係にある母とビルをいつまでも人間が放っておいてくれるとも考えられない。
立ち向かったとしても、逃げたとしても、待ちうけるのはどちらも破滅。
詰みの状況が出来上がってしまっている。 しかし、
「無理ではありません!」
「え……?」
「我々にはあなたがいます。あなたには我々がいます。人間に負ける道理はありません!」
「……言ってることの道理が無茶苦茶だよ……」
ビルの口にした通り、リアの言っていることに道理がない。状況を忘れたどこまでも都合の良い暴論。
「……弱虫の俺なんかに何ができるって言うのさ……?」
自分は魔族のようには強くない。人一倍弱虫で人一倍泣き虫にできることなどありはしない。それでもリアは言ってみせる。
「何だってできるようになります。あなたは魔王様が認めた魔族の希望なんですから」
えっへんと芝居がかったように胸を張ってみせるリア。 そんなリアの不器用な優しさに、ビルは母と同じ温かさを感じた。 そして、
「ふふっ」
気がつけば笑っていた。
「……ごめんね、リアさん。慣れない真似をさせちゃって」
「うぐっ……突然大人びたこと言うのやめてくれませんか……」
顔を赤くして目を逸らすリアに、ビルは軽く吹き出して笑う。
「リアさん」
「む……何です?」
「ありがとう」
「べ、別にお礼を言われる筋合いはありません」
ここに自分を支えてくれる人がいる。それが分かっただけで、ビルは救われた気持ちになった。
「リアさん、俺決めた。リアさん達と一緒に行くよ」
「……いいのですか?」
「……やるだけやってみるよ」
もう元の暮らしには戻れない。生きていくためには今までとは別の道を進むしかないのだ。 だったら……リアと共に歩める道が良い。ビルはそんな風に思うのだった。
恥ずかしいから絶対に口にはしないが。
「これからよろしくね。リアさん」
ビルはリアに手を差し出す。
「………………」
リアは挨拶に困ったように苦笑する。だが、ビルの手を取るリアの手に躊躇は無かった。
「こちらこそよろしくお願いします。ビル様」
結ばれる二つの手が、二人の顔を綻ばせる。
「立派な魔王様になれる日まで、ビシビシいきますので」
この目は社交辞令じゃない。本気だ。
「……お手柔らかにお願いします」
ビルはせめてもの抵抗でそう言ってみるが、
「嫌です」
笑顔でバッサリと切られるのだった。
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