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蒸気機関街  作者: 仇花七夕
1/8

序幕

煤煙が渦巻く真鍮色の街。そこにある殆どのモノは機械仕掛けであることは疑いようもない。

蒸気機関や歯車の音が絶えず賑やかでいて煩わしい。

地下に存在しているのか、太陽の光は殆どを遮断されているようだ。

その代わりと言わんばかりに、あちらこちらを煌々と照らすガス灯は白く黒く揺らめいている。

巨大な歯車、入り組んだ機構。外からやってきた人間に果たして用途が理解できるのだろうか。

いや、あるいは最早内部の人間でさえ把握しているのか定かではない。

継ぎ接ぎだらけの、補強に補修を繰り返した成れの果て。

それはまるで、遊び古されたブリキのジオラマ。



ある一匹の猫がいた。

左目はビー玉のような赤。右目は全てを見透かしたような青。所謂オッドアイ。

煤で汚れているのかその体は漆黒で、しなやかな肢体を持ち、動きは機敏だ。

不自由な街の、自由の象徴。

飼い主である半身は、猫をこう呼んだ。最高傑作、と。


こんな街で日向を探すわけでもなく。閑静な住宅街があろうはずもなく。綺麗な川の代わりに流れているのはスモッグだ。

ただその猫にはルーティンがあった。



緻密な計算の上成り立っている、やや過密気味の建物の屋根を伝う。

過密であるのにも理由がある。単純に狭すぎる。

外郭をそれはもう巨大な歯車が囲っているのだ。本来ならば外へ向けての拡張性は皆無と言っていい。

だから建物は所狭しとぎっちりと詰まっている。通路を惜しむかのように。


煤で汚れた足場など気にも留めず、そこかしこのシリンダーから吹き出る蒸気はリズミカルに躱す。

各家庭規模で蒸気機関は普及している。

炊事洗濯掃除など家事は当然のこと、移動手段や生業に至るまで全てを蒸気機関に依存している。

健康面から自宅には窓や通気口もない。が、欲しいと願った人間などいるだろうか。

外出時には必ず不格好なガスマスクを装着している。

若者はそれをファッションに昇華しているらしい。なんとも逞しい。

在宅時にはその不細工な仮面を外すことが可能だ。


生活用の空気の循環機構が全住居に備わっている。

これは中央にある時計塔から全家庭に伸びている。

一般市民程度では入ることの許されない、時計塔。

内部で何が行われているか、誰がいるのか、その多くが謎に包まれている。


つまるところ、生かすも殺すも中央の時計塔にある管理組織次第と言う訳。

ひとたびバルブをきつく捻れば、下層の住人たちはたちどころに清浄な空気に飢えるだろう。



ところでこの街では、なぜかその日には罪が明らかになり、そして犯人の特定に至る。

窃盗や強盗・殺人は当然として、他人の気圧を弄ったり許可なく街から出ることは重罪とされている。


監視の目は一体どこにある。

明らかな密室。夜も深い時刻。音も気配もない場所で、犯された犯罪もすぐに露呈した事があったそうだ。

そして自宅に送られてくるはずの新鮮な空気は供給が止まり、外へ飛び出さざるを得なくなる。

扉の前で待機していた全身防護服の奴らに連行されるのだ。


あまりの無慈悲で完璧なその彼らの行いに、一部では『冷血』と呼ばれている。

この街の秩序は歪な形で保たれていた。



慣れた足取りで進む猫は、巨大な歯車に乗り近道をすることを忘れない。

昇降機を扱うが如く。上から下に。下から上に。

歯から歯へ、身軽に乗り移る。

機構の狭間で、鋼鉄の怪物に噛み砕かれる心配はいらないらしい。

これまでもなかったからだ。これからもあるはずはない。



人々が市場に集まりだす頃、猫もまた時を同じくして人混みに紛れた。

外から仕入れた新鮮な野菜や肉を売り買いしているのだろう。

この街で野菜や家畜を育てようという狂気の持ち主でもない限り、食料が全て輸入頼りなのは子供でも知っている。

食物を直接視認することは叶わない。全て外装に包まれている。印字されている文字や絵で中身を判断しているのだ。

どうにも不便であることは間違いないが、外気に晒すよりよっぽど良いと言える。

それに疑問を呈する住人などいない。皆、手慣れた手付きで生命維持の売買をしている。


強制的に、しかし美しく並べられたチューブを伝い降りる。

蒸気がくぐる管は蜘蛛の巣のように、いやそれ以上の高密度で摩天楼を網羅していた。

尤も、タコの八ツ足に見える太いパイプは、住民からは気味悪がられていたが。

辿れば大概が中心に鎮座する時計塔の根本に繋がっている事がわかる。

神話におけるユグドラシルのように高く聳える機械仕掛けの塔は、四方に巨大な時計盤を取り付け睨みを利かせている。

蒸気機関街で唯一、煙霧より上へと顔を覗かせているともっぱらの噂だ。

事実、いくら首を痛めようとも頂上を拝むことは許されない。



だからこそ猫は、時計塔から目の届かないこの下層に降り立ったのかもしれなかった。



突如として大きなブザー音が鳴り響いた。市民の食料事情を支えている飛行船の到着を告げる音に驚くモノはそういない。人間はおろか、猫や鳥も涼しい表情だ。

規則正しい周期で発着する歯車付きの鉄クジラは、高濃度の有害物質の海などものともしない。

各地域に直接航路が組まれているこの街では、スモッグの切れ間から飛行船が出入りしている光景は珍しくない。

昨日は食物が中心だったな。今日は娯楽品だったか? あるいは医薬品の類だったか?

色めき立つ人々は、荷が集まる広場へと流れ始めた。

その中で一人。少し方角のズレた、発着場へと歩を進める人影があった。



人目を避けるように暗い路地を急ぐ男を、鋭く青い眼光が追った。

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