第10話 シュザンヌ視点 人の姿は不便なものです
猫に生まれとうございました。そうであれば、このような悲しみはございませんでしたものを。
テオドール様、猫の私は、あなたの慰めになったのでしょうか。あなたの安らぎだったのでしょうか。わたくしがいくら問いかけても、お返事などありません。
いつもどおりの神殿でのお祈りの後に、司祭様がわたくしに、声をかけてくださいました。
「あなたのお屋敷の下男に、とても感心な方がおられますね」
「まぁ」
屋敷のものへのお褒めの言葉は、うれしゅうございました。
「神殿の下働きを、手伝ってくれましてね。言葉数は少ないですけれど、実直な若者です」
我が家の下男に、若者などおりましたでしょうか。皆、壮年だったはずです。
「最近王都に来たとかで、勇者様の、あの件について随分詳しく尋ねられましてね。わたくしの知る限りをお伝えしました。人に語ると、いろいろ思い出すものです」
司祭様の言葉に、わたくしもまた、当時を思い出し悲しくなってしまいました。
「不思議なことに、勇者様の婚約者だったシュザンヌ様が、どうしておられるかと、私に尋ねたのです」
「まぁ」
わたくし、驚きました。
「下男とはいえ、お屋敷の方が、不思議なことをおっしるなと思いましてね。ご婚約しておられたのですか」
わたくしは、返事に困りました。わたくしとテオドール様との婚約は、公にはされておりません。陛下や、私達家族と、ごく一部の家臣、テオドール様ご自身しか、知らないはずのことですもの。そのなかでも、若者と言えるのは、兄とテオドール様だけです。
勇者とはいえ、平民であり後ろ盾のないテオドール様と、中途半端な魔法を使える、貴族のわたくしとの婚約です。何もおこらないはずがございません。用心していたのです。
どこかから、漏れた情報で、お優しいテオドール様は、謀略に巻き込まれてしまわれたのです。
「いろいろな噂があるものですね」
「そうですな。人とは勝手なものです」
司祭様は、わたくしの言葉に、それ以上の追求はなさいませんでした。
もしかして、テオドール様、あなたは生きておられるのですか。生きて、この町にいらっしゃるのでしょうか。好きで王都にいたわけでもないとおっしゃっていた、テオドール様。戻っていらっしゃったのですか。もしかして、わたくしに会いにきてくださったのでしょうか。
わたくしの言葉は、テオドール様に届くことはありません。朧気な、猫だった時の記憶でも、わたくしの言葉は、テオドール様には届いておりませんでした。悲しい気持ちと高揚する気分を抱きしめながら、わたくしは屋敷にもどりました。
お部屋で一人、わたくしはサイズの合わない指輪を指に嵌め、幾度も読んだテオドール様からの最期の手紙を、眺めておりました。
テオドール様。あなたが、猫のわたくしにと選んで下さった首輪は、今も大切に保管しております。あなたが、わたくしへのお別れの手紙を縫い付けた首輪ですもの。首輪を見る度に、朧気ながら、お別れをした日のあなたを思い出されてなりません。あのとき、あなたの言葉の意味に気づけばと、悔やまれます。
もし、猫のわたくしが逃げ出して、行方不明になれば、優しいテオドール様のことですもの。探してくださったでしょう。一日や二日程度の時間は稼げたはずです。使者の到着が間に合ったはずです。
わたくしの魔法はなんとも不自由なものです。猫になるための呪文を唱えても、数回に一度、猫になれたら上等という程度です。逆に、とくに意図していないときに、突然猫になりますから、困ったものです。
あなたとのお茶会では、毎回、突然、猫になってしまいましたらどうしましょうと、緊張しておりました。それも懐かしい思い出です。
わたくしは、連日、なんとか猫になろうと、努力いたしました。何度も呪文を唱えました。前に猫になってしまったときと、同じことをいたしました。どれも上手くはいきません。
テオドール様に似た下男がいることは、お父様からお聞きしました。家臣の一人が、見かけたそうです。似ていたけれども、髭面で、無口で無愛想な男で、挨拶もしてこなかったから、違うだろうというのが、家臣からお父様への報告でした。
なぜ、お優しいテオドール様が、そんなことになっているのか、わかりませんけれど。
あの方の訪問を、心ならずも何度もお断りしてしまったわたくしが、お会いするのは気が引けます。
件の下男がテオドール様なのか、わたくしが確かめに行くには、猫のシュザンヌにならねばなりません。
わたくしはお母様に、わたくしが猫になったら、テオドール様がわたくしに下さった首輪をつけてくださいとお願いしました。
テオドール様が、猫のわたくしのために、選んだ下さった首輪ですもの。わたくしが、テオドール様が可愛がって下さった、猫のシュザンヌだったと、わかってくださるはずです。
猫になった時、わたくしが人であることを、覚えているとは限りません。それでもきっと、テオドール様。わたくしのやさしいご主人。わたくしは、あなたのことを、きっとおぼえておりますわ。ですから、テオドール様、わたくしを見つけてくださいませ。