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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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やり過ごす人生

 幼稚園時代からの幼馴染が死んだ。彼女は三軒隣の家に住んでおり、小学二年生くらいまでは一番の仲良しで、よくふたりで遊んでいた。


 最後に彼女を見かけたのは、高校の帰りの電車の駅でだった。小さい頃は華奢で髪は短く、さっぱりした外見の彼女だったが、そのときは、眼鏡をかけ、前髪は長く、背筋は曲がっていて、少し、いや、かなり太っていた。

 俺は彼女に声をかけようか迷ったが、やめることにした。今さら何を語るというのだろう? 近況報告? いやいや、別に互いに興味などあるはずもない。


 彼女の両親がうちに尋ねてきて、葬式に出てほしいというから、そこで俺ははじめて彼女が死んだことを知った。死因が自殺だということも、そのとき、父親の方から教えてもらった。理由はうつだと聞いたが、それについて深く考えるのはやめておいた。

 首を突っ込むべきことではないと思ったからだ。


 葬式はとてもこじんまりとしたもので、俺のほかに、何人か、おそらくは小学生時代、中学生時代仲が良かった者たちが集められていた。男は俺だけだったが、別にそれで気まずい気持ちにはならなかった。

 笑顔の遺影を見ると、少し昔の彼女の面影があって、一瞬だけ悲しい気持ちになり、目が潤んだが、泣くのもおかしいと思ってすぐに気持ちを切り替えた。

 人はみな死ぬ。タイミングがそれぞれ違うだけだ。そう自分に言い聞かせて。


 大学受験が近かったが、俺はあまり勉強していなかった。一番近い公立の大学に入るつもりだったし、塾で受けた模擬試験の結果を見るに、そうとうなことがないかぎり落ちることはなさそうだった。

 俺の両親はどちらも高学歴だったが、同時に放任主義の自由人で、俺に対して勉強についてプレッシャーをかけたことはなく、あくまで俺が効率のいい勉強の仕方を聞いた時だけ、それをわかりやすく伝授してくれた。友達に誘われて塾に通ってみたいと言ったら通わせてもらえたし、そこで成績が伸びるのは楽しくて、勉強は日常の一部となっていた。

 だからか、高校受験においても、受験勉強というものはほとんどせず、今の高校に合格することができたし、大学もそうなるだろうと考えていた。

 万一落ちても、少し離れたところにある私立を滑り止めで受けているから、そこに入る予定だった。

 浪人する気はなかった。きっと、寂しい思いをするだろうということが想像に難くなかったからだ。

 たとえバカばっかりだったとしても、すぐそばに友人がいない生活は味気ない。


 高校三年のクラスの雰囲気はあまりよくなかった。平均より少し上程度のこの高校は、本気で大学受験に挑むものと、全くその気のないものが、ちょうど半分ずつぐらいだった。勉強に集中するために友人付き合いを控えるものも少なくなかったが、そういう人たちに気を遣わず、一年二年の時期以上に毎日遊んで暮らしている連中もいた。

 俺はその中間あたりの態度で、ほどほどに勉強しつつ、ほどほどに遊んでいた。それでいて、そのクラス内の成績自体はいつも一番か二番だった。

 俺が目指しているのと同じ大学を志望している者のほとんどは、本気で勉強に取り組んでおり、それゆえ、妙な温度差を感じて、少し居心地が悪かった。


 前田に声をかけられたのは、金曜日のことだった。

「高橋クン。今日って塾?」

「いや。塾は火曜と木曜と土日。今日は暇」

「何かする予定ある?」

「特には」

 積んでるゲームでもしようかと思っていたが、それを言うのはよしておいた。前田は、ちゃんと勉強をしている側だったからだ。

「あのさ、もし迷惑じゃなかったら、うちに来て勉強教えてくれない?」

「いいよ」

「ありがとう!」

 俺はほとんど何も考えずに了承した。前田にではなかったが、友達の家に誘われてそこで勉強を教えるのはこれが初めてではなかった。女子の友達は多かったし、別の子とふたりきりで勉強をするのも、これまで何度か経験していた。


 俺は高校生にしては、性欲というものが薄いようだった。女子の肉体に対する興味は多少あったが、それに触れたいという欲望はほとんどなかった。ただ、女子と近い距離で何か作業するのはそれだけで、同性と同じようにするのとはまた違った楽しみがあり、また、男のようにデリカシーのない、お互い好きなことを一方的に言うのではなく、双方向的で、気遣いが行き届いているコミュニケーションは、非常に好ましかった。

 俺の勘違いでなければ、異性と一緒に過ごすことが楽しいのは女子の方も同じで、女子同士の会話はどうにもお互いに気遣い過ぎてしまうところが多いからか、時々言いたいことをそのまま言うことのある男子と話すことが心地よいという場合もあるのではないかと思っている。

 女子たちはよく、俺に対して「頭がいい」「賢い」と褒めてくれる。おそらくは、彼女らが言葉にしなかった部分を察したり読み取ったりする能力に俺が長けており、そういったある種の器用さを、彼女らは気に入っているのだろう。


 前田の家は、アパートの三階で、かなり狭いものだった。今まで狭い家に招待されたことがなかったわけではなかったが、ここまで狭いのは初めてだった。

 リビングが八畳ほどで、トイレと洗面所が一緒になっており、他に扉がひとつしかなかったから、そこがおそらく寝室なのだろう。

「狭くてごめんね。うち、貧乏でさ」

 だが、家の中は非常に清潔で、ものが少なく、貧乏くささはまったくなかった。テレビはなかったが、家具の質も別に悪くはなかった。

 特に気になったのは、大きな本棚だった。そこに並んでいる本の中には、両親が俺に勧めたのと同じいわゆる「名著」がいくらかあった。学術的なものもあり、大きな英語の図鑑もあった。

「お父さんが一応考古学者でさ。まぁ偉い先生とかではないんだけど」

 前田は少し恥ずかしそうにそういいながら、リビングのテーブルの上にお茶を持ってきて置いて、カバンの中から教材を取り出した。

「うちさ、お金がないから塾とか行けないんだ。お父さんも、教えるのは下手だし。お母さんは勉強とか全然できない人だし。だからいつも友達に教えてもらってたんだけど……その、いつも教えてくれてた子と喧嘩しちゃってさ」

「笹原さん?」

 前田は休み時間、笹原と一緒にいることが多かった。笹原とは、一度学園祭のときに同じ係になって、結構仲良くなったから、覚えていた。

「うん。私が悪いんだ。いつも一方的に甘えてばっかりだったから」

 そう言いつつも、前田はあまり悪びれてはおらず、終わったこととでも言わんばかりの態度だった。

「それで、どれを教えて欲しいの?」

「あ、その……勉強の仕方を教えて欲しい」

「どういうこと?」

「ふだんどうやって勉強しているかっていうか……どうやったら、あんまり頑張らずに点数とれるかっていうか。あ、その、ほら。私バイトもやっててさ、ちょっと忙しいんだ。だから、ガリ勉の人に教えてもらっても、結局勉強の前提が、長時間やることになるじゃん? だから、あんまり勉強してなさそうなのに成績のいい高橋クンに教えてもらうのが一番いいんじゃないかと思ったんだ」

 俺は、普通の人間ならその言い方はかなり腹を立てるんじゃないかと思って、指摘しようか迷った。だが実際俺は、彼女の発言は的を射てると思ったし、何より彼女の人間性に面白みを感じた。

 なんというか、一切負い目を感じず、それでいて友好的で、悪意のない、ちょっと普通の人間とはずれた感性に、小さな興味を抱いたのだ。

「わかった。じゃあ普段俺がどういうふうに考えながら授業を受けて、勉強しているか教えるよ。あと、暗記法は向き不向きあるけど、塾で教わったのがいくつかあるから、試してみるといいと思う」

「うん。ありがとう」


 前田は非常に呑み込みが早く、頭の回転も早かった。特に計算は早く、暗記の効率は俺よりもよかった。

「前田さんってこんな頭よかったんだ。知らなかった」

「地頭はいいってよく言われるんだ」

「でもちょっとズレてる」

「うん。それは自覚してる。でも別にいいでしょ?」

「うん」


 夢を見た。それは、警告であったと思う。何に対してなのかはわからない。そもそも具体的な内容は何も覚えていなかった。

 今思えば、僕の無意識は、僕の意識よりも先に、前田の異常性に気づいていたのだと思う。

 前田の家に通うようになってから二か月が経ったある日、僕はずっと不思議に思っていたことを彼女に問いかけた。

「ご両親、いつも家にいないね」

 前田はにこっと笑った。

「高橋クンはさ、知らない方がいいことってあると思う?」

「うん」

 俺は特に深く考えず頷いた。

「知ってもどうにもならないことや、知っていることが自分にとって不利益になることはあると思う」

「じゃあさ、知らない方がいいことを、人に教えることって、悪だと思う?」

 俺は少し悩んだ後、答えた。

「俺は善悪というものを、そんな風に簡単に区別できるものだとは思っていない。それに、人間、少しくらい悪くたっていいと思ってる」

「奇遇だね。それについては私も同じように思っているよ」

 そう言って、前田は立ち上がり、彼女のいつも座っている場所の後ろの引き出しを開けた。

 そこにはふたつの、白骨の遺体があった。

「私の両親、これ」

「え?」

 俺はそれが何か悪い冗談だと思った。

「中学生の時に、殺しちゃった。ネットで必死になって死体の処理法とか調べてさ。なんとかこうやってにおわないようにできたんだ。本当はどこかに埋めた方がいいんだけど、なんとなく手放せなくってさ。寂しくて」

 悪びれもしない態度で、前田はそう告白した。

「私を邪悪だと思う? 親を殺して、こんな風に平気な顔して、君に拒絶されることも心配せず、普通に本当のことを語れてしまう私を?」

 俺は首を横に振った。不思議と、恐怖は感じなかった。

「悔やんではいないんだよ。他に方法はなかったような気がしているから。多分、私ってサイコパスってやつなんだと思う。昔から、人の気持ちがいまいちわからなかったし、わかる必要も感じなかったから。邪魔なものはどかした方がいいし、必要なものは引き寄せればいい。そう思って生きてきた。それの何がいけないのかな。高橋クン……私、君に危害を加えるつもりは少しもないよ。たとえ君が、私をどれだけ怒らせても……」

「きっと君は、俺を殺さなくちゃいけないはっきりとした理由を見つけでもしない限り、俺を殺すことはないだろう」

「私、キミのためなら死んでもいいと思ってる。だから、キミを殺さなくちゃいけないはっきりとした理由なんて存在しないと思う」

「なんで」

「だってさ、生きてても仕方ないじゃん。両親は死んでて、もしかしたらいつかバレるかもしれない。私だって少しは不安になる。私は人の気持ちがわからないし、人は私をわかってくれない。私はこの先どうやって生きていけばいいのかわからないし、そもそも大学の学費が多分払えない。奨学金をもらえればどうにかなると思うけど、山ほどの借金をまっとうな方法で返せるような気はしない。あぁ、言い忘れてたけど、両親にはたくさん借金があって……利息だけぎりぎり払えてる状態なんだよね。ね、詰んでるんだよね、私。最初から。でも、自分でもなんとなく思うんだ。こういう人間として生まれてきてよかったなぁって。多分、私が普通の人だったら、私もう、生きていられなかっただろうから。キミとも出会えなかっただろうし」

 僕は言葉を失っていた。恐怖はなかったが、動揺と混乱はしていた。

「どうしてだろう。キミに対してだけは、距離の感じがしないんだ。キミも感じるでしょ? 普通だったら、きっと人は私を恐ろしいと思うし、気持ち悪いと思うんだと思う。そうして、自分の世界の外側に置こうとすると思う。それか、その人自身の世界や価値観を私に押し付けるんじゃないかとも思う。でも君は、そういうことをしない。ただ、私をそのまま見て、そのままでいてくれようとしている。そう私は感じている。これも私の勘違いなのかな?」

「いや。俺もそうだと思う」

 それは、確かに本心だった。恐怖心から同意したわけではなかった。

 もしかすると、前田のようなある種の冷たさ、共感性の欠如からくる極端な合理性のようなものが、俺自身にもある程度含まれているからなのかもしれない。

「……ねぇ」

「なに」

「私を助けてほしい」

「どうやって」

「わかんない」

 俺たちは途方にくれて、その日はまったく勉強もせず、日が暮れたあと俺はひとりで帰った。

 俺はひとりベッドに寝転びながら、前田のことを考えた。確かに彼女は性格的に異常なものをもった人間だと思う。

 でも、同時に彼女は決して邪悪な存在ではないとも思った。彼女は人を傷付けて楽しむようなところはあまりない。大人しくて、好奇心は旺盛だったが、ものを大切にする人間だった。

 確かに彼女は、人間をほとんどモノと同列に扱っているように見える。しかし実際のところ、この社会というものは、人とモノの区別がそれほどはっきりとつけられているものではなく、人間だってひとつの資源として扱われている。この世の中で生きていく分に、彼女の気質はあまり問題とならないような気がした。

 それに彼女が言っていたように、彼女の境遇を考えるに、もし彼女がまともな感性、つまり平均的な感覚をもって生まれていたら、人生に耐えられていなかったかもしれない。そう考えると、彼女自身のその在り方に、何か致命的な問題があるようには思えなかった。

 むしろ問題は、今も彼女の置かれた状況が行き詰まっていることにありそうだ。

 俺にできることはあるだろうか。少し考えてみたが、うまく考えがまとまることはなかった。

 今自分にできることは、彼女とこれまで通りに接することだろう。


 しかし、その後俺は前田と顔を合わせることはなかった。彼女は、彼女の両親の遺骨とともに姿を消した。

 それまで一度もやりとりをしたことのないSNSで「やっぱり君に迷惑をかけるのは違うような気がしたから、自分のことは自分で片づけます」と送られてきた。

 俺はそれに返事をしなかった。もし返事をしていたら、何か違う結果が得られただろうか? わからない。ともあれ俺は、後悔をしなかった。

 彼女は今どうしているだろうか。森の中で首を吊っているのだろうか。それとも、どこか法的拘束の及ばない場所でなんとか生き抜いているのだろうか。


 俺は自分が冷たい人間だと思う。幼馴染と前田だけでなく、仲が良かった従兄も俺は自殺でなくしているが、それにもあまり心を動かされなかった。

 なるべくしてなっているように俺には感じられた。自殺は身近だったし、自然なことだった。

 だからこそ、それを必死になって止めようとしている人も、それを必死になってほのめかして助けてもらおうとしている人も、俺には理解ができなかったけれど、彼らの方がむしろ俺のような人間より一般的なようだった。

 もっといえば、俺の周りで死んでいった人間も、俺自身も、そういった大多数の人々からは目に見えない、透明な存在なのではないかと俺は感じていた。彼らは、俺たちのような人間がいることなどしらないし、興味もない。だから気遣うことも、助けることもできない。

 俺たちは本来、俺たち自身で助け合わなくてはならないのに、互いにそれを放棄して、孤立して、死んでいった。

 あるいは最初から、そうなるべくしてなっていたのかもしれない。俺たちは互いに助け合う気など、はじめから持ちようがなかったのかもしれない。

 人間は悲しい生き物だ。そう思いながら生きているかぎり、俺は落ち着いていられる。人生を無難にやり過ごすことができる。

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