クローン
一糸乱れぬ行進。メトロノームのような軍靴の音。
私は空の一点を見つめる。すべてが終わったなら、私はいったいどのように生きればいいのだろうか。
「ただいまー」
返事をする余裕はなかった。画面の向こうの敵との戦いに集中していたからだ。今ここで集中を解けば、この戦闘に負ける確率が数パーセント低下する。そうしたなら、たまたま味方としてマッチングした数人を裏切ることになる。
裏切りは許されない。
「ただいま!」
試合はまだ中盤だ。あと十五分はかかる。後ろでため息が聞こえた。
「おかえり」
台所に立つ同居人は、返事をしてくれなかった。私は、彼女が食後に気持ちよく体を休められるように、風呂を掃除して沸かしておくことにした。
「あ、お風呂今日はいいや。疲れてるし」
スイッチを入れた後にそう言われたから、私は答えた。
「うん。でも私は入るから」
また返事はなかった。
「ねぇ」
温かい食事。私の方が彼女よりも少し多くの量を食べる。それに、いつも少しの罪悪感を覚える。
「何かやりたいことは見つかった?」
「いや」
何度このやり取りを繰り返しただろうか。いつもなら「そう。まぁゆっくり考えていけばいいよ」と少し投げやりに彼女が言って会話が終わるのだが、今日は少し違った。
「不安とかはないの? ずっとこのままなのかな、とか」
「ある」
「なら、やりたくないことでも試しにやってみた方がいいんじゃないの」
「たとえば」
「たとえば……それは、自分で考えてほしいかな。私は、君のことよく知らないし。ごちそうさま」
彼女は半分ほど食事を残したまま手を合わせた。
「調子悪いの?」
「いや、外で少し食べてきたから」
「なら、少な目に作ればよかったのに」
「はは。何も考えずに作ったから。まぁ明日の朝ごはんにでもしようかな」
残った食事にラップをかけて冷蔵庫に入れた。
戦争が終わってから、戦争のために製造されたクローンである私たちは解雇された。私たちの技能はすべて不要になり、施設に収容されたが、クローン人権保護団体の運動によってクローン保護法が成立し、施設は縮小され、補助金と引き換えにクローンの身元の引き取りが始まった。
私たちのような戦って死ぬことしか取り柄のない兵士型クローンは最後まで引き取り手が見つからず、最終的に私を引き取ったのは、早い段階で自立した生活を獲得できた、介護型のクローンだった。彼女はすでに他に何体かのクローンを引き取っており、全員短い期間の間に自立していた。
彼女のもとで、何もせずに半年も暮らしているクローンは私が初めてだった。
久々に家を出た。平和で活気のある街並み。高層ビルが立ち並び、天も地も様々な機械がせわしなく働いている。
めまいがするほど数多くの広告に、人々の楽し気な笑い声。楽器の音が聞こえたので音の鳴る方に近付いてみると、「○○市許諾済み」と書かれた看板。その後ろで、見慣れない楽器を弾く老人。その楽器入れにはいくつか小銭が入っていた。これがこの人のやりたいことなのか、と私は思った。
「あの人、へたくそだね」
離れていく途中、若い声がそう言ったのが聞こえた。私もそう思った。
家に戻ってきたとき、下駄箱が開け放たれ、6、7足の靴が玄関に散らばっていた。私はそれをもとの場所に戻した。廊下が泥で汚れていた。誰かが土足で入ってきたのだろう。
「あ」
リビングに入ったとき、ジャージにtシャツ、野球帽にマスクといった、ラフでどこでも見かけるような恰好をした見知らぬ人物がいた。背負った鞄はまだ十分にものが入っていないようだった。
「通報はしないから、何も盗らずに出て行ってくれないかな」
私はそう言って、通り過ぎて、台所に行って、水を汲んで飲んだ。そのあと冷蔵庫から麦茶をコップについで、リビングの机に置いた。
「それが君のやりたいことなのか」
「お前……クローンだろ。兵士型の」
そう言って、マスクを取った。私とよく似た顔をしていた。
「私たちの業界だと有名だぞ。兵士型クローンは自分の財産に対する執着がなく、自分の身の安全に関する危機感が弱いから、入るなら好都合だって」
「何回目なんだ?」
「四回目だ」
「誰に命令されてるんだ?」
「それを言うとでも?」
「自分で決めてやったことじゃないってことがわかれば十分だよ」
気まずい沈黙が流れた後、彼女は言った。
「本当にお前は何も持っていないんだな」
「普通そうじゃないのか」
「兵士型のクローンはその空虚感をもので埋める傾向がある。でも、一度手に入れたものには執着しないから、盗むにはいいんだ。私の家にもたくさんのものがある。でも使い道がないから、いっそ誰かが盗んでくれればいいとさえ思っている」
「この家は私の家じゃない。同居人に迷惑がかかるから、あまりものをもっていかないでほしい。私たちはあまり豊かではないから……」
泥棒は少し悩んだ後「わかった」と言って、カバンの中のものをすべてリビングにばらまいて、そのまま帰って行った。私はそれを元の場所に戻して、汚された部分をすべて綺麗に掃除して、すべてを終わらせたあと、自室に戻ってコンピュータを起動した。そしてまた、私が結局一度も出ることがなかった戦争の競技的真似事に臨んだ。
「ただいま」
「おかえり」
昨日のこともあったので、私は早い段階でゲームを切り上げ、リビングで本を読んで彼女の帰りを待っていた。
「ねぇ、昨日のことなんだけど」
「うん」
「ごめんね。私、ちょっと疲れてて、どうかしてたんだと思う。やりたくないことでも我慢してやるって、そんなの私にもできないことなのに」
「そうなの?」
「うん。私も、結局やりたいことをやっているだけだから。仕事もそうだし、君の面倒を見るのもそうだし。それに、よく考えてみたら、君が家にいてくれるというだけで、私は幸せだなって。家に帰ってきたときに、誰かがいるっていうのは、すごくいいことだなって思ったの」
「何かあった?」
「ううん。何も」
「もし君が望むなら、もうひとり引き取ったっていいんじゃないかな」
「え?」
「君は変化が欲しいんじゃないかな。私を引き取ってからもう半年でしょ。何も変わらないのが、嫌なんじゃないかって思って」
彼女は首を横に振った。
「法案が成立してから、二年が経つでしょ? もう、引き取り待ちの人はほとんどいないんだ。私みたいな立場の人間……クローンのところに来てくれる人は、特に」
「どうして」
「どうしてって……そりゃ、お金もなくて、魅力もなくて、変化もないから。他の子たちがどうしてすぐ私から離れて行ったかだって、本当はわかってる。私だって、私に引き取られたら、すぐに自分で働き始めるし、別のもっと広い家で暮らしたいと思うだろうから」
「なら、君もひとりでもっと広い家で住めばいいだろう」
「広い家に住んでどうするの? 掃除と家賃が大変になるだけだよ」
私は肩をすくめて、少し笑った。
「私もそう思う」
「君がいやじゃなければ、私はずっとこのままでいいと思ってる」
食事を口に運んだあと、彼女がそう言った。
「本当に?」
「今のところは。君はどう思ってるの? 本音は」
「わからない」
会話は止まる。食事は続ける。
「そういえば、今日泥棒が来たんだ」
「え?」
「少し話したんだけど、昔は私と同じ立場だったみたい」
「なんで泥棒に?」
「多分、引き取った人が泥棒だったんだろう。命令されてそうしているみたいだった」
「……何も盗られなかった?」
「私たちはお金持ちじゃないから、何も取らないでほしいといったら、取らずに帰って行ったよ」
「優しい泥棒さんだったんだね」
「その時は、少し、羨ましいと思ったんだ。彼女は少し幸せそうだったから」
「そう?」
「いや、多分、勘違いだと思う。今は、多分私の方が幸せだと思うから」
「変なの」
「うん」




