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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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ジツゾン

 ある実存的な悩みを抱えた青年がいた。彼は自分の悩みが「実存的」という概念に当てはまること自体に不安と絶望を感じていた。

 彼は自分の人生の無意味さ、努力の空しさに悩んでいた。それでも、努力しなければ周囲に置いていかれ、この世の最下層に転落せざるを得ない現状にも直面し、その「正常で無意味な世界」と「正常かどうかも意味があるかどうかもわからないが、少なくとも悲惨であることは確かな世界」の中間に立って悩んでいた。

 彼は他の健やかな青年たち同様に、この世界を少しでもよくしたいと思っていたし、そのための貢献であるならば、小さなことにでも全力を尽くすつもりでいた。しかし、「世界をよくする」ということが何を意味するのかはわからないでいた。たとえばお金を稼ぐことによって社会全体を豊かにしたとして、その余剰の豊かさで人々がすることといえば、くだらない娯楽であったり、環境破壊であったり、あるいは戦争であったりする。貧しさをなくすための活動だって、同じことだ。豊かになった人間が悪になるなら、なぜ貧しい人間を豊かにする必要がある? 彼は悩んでいた。


 彼はある日、自分が信頼し、尊敬もしていた数学の教諭に自らの悩みを告白した。最初は教諭も真剣に聞いていたが、話が長くなるにつれ、顔は険しくなり、最後あたりには薄ら笑いを浮かべていた。

「君の悩みはよくわかるよ。私も若いころは似たようなことを悩んでいた。いくつか本を紹介しよう。それが君の悩みを解決するヒントになれば幸いだ」

 そう言って教諭は、サルトルとニーチェの著作を青年に教えた。青年はすぐに図書館に行ってそれらの本を読み始めた。


 結果だけ言えば、青年はそれらの本を読み切ることはなかった。彼の集中力が持たなかったことが最大の要因だったが、青年自身は「これらの本の中に自分の悩みを解決するものはない。それゆえに読む気は起きないし、実際に読まないのだ」と考えていた。

 青年は、考えることよりも動くことが好きだったため、何かしらの活動を通して自らの悩みを多くの人と共有し、何か意味のあるものに昇華したいと考えていた。彼は小説を書き始めた。しかしそれは長く続かなかった。その次に彼は絵を描き始めた。その次は音楽。どれも、彼は「違う」と結論づけた。

 青年は色々なことを試したが、並行して自分の人生が転落しないだけの十分な気遣いを行っていた。具体的には、大学受験に向けた最低限の勉強を行っており、点数も低くなかった。彼は大学に入学し、3年生になってからは、就職活動をはじめていた。

 彼はいまだに実存的な悩みを持っていたが、それを恥ずかしいことだと考えるようになった。また、他の実存的な悩みを持っている人間を見るたびに、攻撃したい衝動に駆られた。中二病だとか、幼稚だとか、そういうことを言いたくなる自分がいるのを感じたが、それを口にしたりネットに書き込むことはなかった。


 青年は就職し、はじめての恋人ができた。彼の恋人は彼と同様に正常な人生を歩んでいたが、青年ほど問題のない家庭で育ったわけではなく、仲が深まるにつれ精神的な問題が隠しきれなくなっていた。

 ある日、恋人が青年に自殺をほのめかしたとき、青年は自らの実存的な悩みを告白した。そして最後にこう言った。

「誰もが悩んでいる。誰もがひとりで自分の人生と戦っている。君だけが誰かに寄りかかろうというのは、少しずるいんじゃないか?」と。

 彼は、とてもすっきりした気分になった。恋人も、とても納得したようなそぶりを見せたから。

 しかししばらくたって、連絡の頻度が落ち始めた時、青年は自分の言葉を少し後悔し始めた。少し冷たかったかもしれないと考えたが、結構前のことだったので、いまさらその話を蒸し返しても仕方ないと思って胸にしまった。

 結局はじめてできた恋人とは別れたが、青年はそれほど傷つかず、人生はそういうものだと、何か成長したような気分になって、仕事に集中するようになった。実存的な悩みは、現実的な悩みに置き換わりつつあり、無能な上司や、取引先とのコミュニケーション不全、自らの能力と待遇のギャップといったことばかりが頭を占めるようになっていた。青年自身もそうなりつつあることを自覚したが、それを正常な成長の過程だと感じていて、よりそのような人間になっていくことを喜んで受け入れていた。

 そんなさなか、ある日新しくできた部下のひとりが、青年にある相談を行った。それは、青年自身のものとは少し違っていたが、まぎれもなく実存的な悩みに該当するような話だった。

 部下は非常に優秀で、青年よりも若かったが、あらゆる点で青年よりも優っているように青年には感じられていた。それゆえ、若干の嫉妬と、キャリアに関する不安はあったが、しかし話が分かる相手であり、部下自身も自分を尊敬し、立場を尊重するだけの器量があったので、複雑な感情を抱えながらも、友好的に接してはいた。

 そんな部下が、実存的な悩み。それも、自分が持っていたよりもずっと薄っぺらで浅いもののように青年には感じられた。この世界の裏側では貧しい子供たちが苦しんでいるのに、自分は何もできていない。そのことにずっと罪悪感を感じている。寄付を行ったこともあるが、それで心は決して休まらなかった。こうなってしまっている原因は、人間がみんな自分のことしか考えていないからだが、しかし自分自身も振り返ってみれば自分のことしか考えてこなかったし、今の状況で自分以外のことを中心にして考えてしまえば、職場に迷惑をかけ、自分のキャリアも台無しになってしまう。結局自分はこの世界をダメにしている原因のひとつになってしまっていて、このまま生きていていいのかがわからない。そういう話だった。

 青年はその長い話を聞きながら、昔自分のくだらない話を聞いてくれた教諭のことを思い出していた。教諭は本を紹介したが、青年はあまり本を読んでいなかったし、その時紹介された本が何だったかも覚えていなかった。だから青年は、こう言った。

「そういうのは学生時代に終わらせるものだよ。俺も学生時代かなり悩んだが、悩んで得たものは何もなかった。その悩む時間をもっと有意義に使っていれば、俺も君みたいにもっと優秀になれていたかもな」

 その優秀な部下はしばらくして退職し、そののち自ら命を絶ったと聞いた時、青年は自分の言ったことを思い出して悔やんだ。再び実存的な悩みが彼の頭を覆おうとしたが、彼はそれを振り払って、自らに与えられた仕事に集中することにした。意識してそうできるくらいには、彼は成熟しており、それゆえに彼はもう二度と同様のことで悩むことはなくなり、同様の悩みを抱えた者たちから頼りにされることもなくなった。

 彼はその後、健康的な女性と結婚し、健康的な家庭を築いたが、彼の二人の子供のうちひとりが実存的な悩みを抱える兆候を見せた時、彼はそのことに気づかないふりをした。

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