入院
30歳になって、私はほとんど自主的に入院しようと思った。病院は自分で選び、両親が負担する入院費についても自分で調べて、両親に説明を行った。
大変心苦しかったが、仕方がなかったと思っている。
29歳になってから二か月後の八月ごろから、私の精神は急に不安定になり始めた。感情が落ち着かず、どれだけ眠くてもぐっすり眠ることはできず、ほとんどの場合で二日に一度しか、長い時で四日間も一睡もできないことが出てきた。家族の言動にも動揺することがでてきて、それが暴力的な言動に繋がらないよう自制することはできてはいたが、その代わりに普段やっていた家事がままならなくなってきた。手が震えたり、急に力が抜けたりして、何度も皿を割り、こぼさずに食事をとることができなくなった。
ある時は、少しでも夜に眠るために早朝に歩いていたら、急に意識を失い、救急車で搬送されたこともある。それ以来、外に出歩くこともなくなった。人に迷惑をかけたくなかったからだ。
体は弱り、立ち上がるのに何十分もかかることも増え、家族との何気ない会話すら億劫になった。
私はもともとそれほど積極的な性格ではなく、別に働かずに、質素に、静かに生きて、死んでいくつもりだった。時々希死念慮が湧いたりするが、基本的に無気力な気質ではあった。それは個性だと思っていたし、病気だと言われる筋合いはないと思っていた。だからある意味では、実際に自分が病気になって、確かにその当時の状況は病気などではなく、生来の気質によるものだと確かめることができたわけだ。
私は自分の状況を客観的に判断することはできていた。それでも、精神科に通ったり、入院することに半年以上躊躇していたのは、金銭的理由だった。私は当時、少し制度を誤解していて、入院費は普通毎月100万程度がかかり、自己負担が3割で、安くとも20万以上はかかると思い込んでいた。それは私が必死で毎日働いても稼げない額で、高齢になってもまだ元気に働いている両親であっても払えない額だと私は考えていた。しかし実際には、私は父の扶養に入っており、健康保険組合にも入っていて、さらに父も母も持病を持っていてその医療費の自己負担額が2万円を超えているため、合算対象となる。さらに、高額療養費制度の対象でもあるため、さらに自己負担額は軽減される。長期入院特例の該当にあたれば、さらに額は下がる。何よりも大きいの自立支援医療の制度で、重度かつ継続の高額医療が見込まれると判断されれば、毎月たったの5000円、そうでなくとも20000円で入院することができる。食費は、私が普段この家で世話になっている分とそう大差ない。もちろん、他にもこまごまとした費用はかかるが、しかしすべてを合計しても決して両親が払えない額ではなく、もっといえば私がこの家で静かに暮らしていて両親にかかる負担と大きな差のない金額であり、私の世話をしなくていい分両親の負担も小さくなるので、結論として、私は入院した方がいいと判断したのだ。
もちろん、このような計算になるのは、人々の血税によるもので、たとえ症状がよくなっても世の中に貢献することができない私のような人間がそれを意味もなく湯水のように使い続けるのはいかがなものかとは思った。思い続けている。でも他に道はないように思われた。自殺は真剣に検討したが、国の世話になって誰かの重い負担となりながら意味もなく苦しみながら生き続けるのと、今すぐ死んで、自分と社会が楽になる代わりに、自殺というある種の生命に対する犯罪、社会の安定性を脅かす行いをするのと、どちらがいいかと天秤にかけた結果、僅差で前者の方がマシだと結論した。正直に言えば、私の感情としては自殺の方がよかった。でも私は感情よりも理性を重んじて生きてきて、どれだけ病んでいても、その気質は変わっていなかった。
両親は、私が思っていたよりもずっとあっさり説得されて、私のことを思いやりながら、医者と話し合いながら速やかに入院の日程を決めることができた。両親は何も心配しなくていいと言ってくれた。ゆっくり直していければいい、と。きっと大丈夫だから、心を休めてくれ、と。
私はわからなかった。自分の心がどうなっているのかも。本当に疲れているからこうなっているのか。疲れるようなことは何もしていなかったはずだった。こうならないために、私は働いていなかった。自分の心を苦しめるものから遠ざかって、できるだけ嫌なものは見ないように、嫌な人と関わらないように生きてきた。そのために私はあらゆる自らの自然な欲求を諦めてきた。豊かな暮らしも、将来の夢も、誰かを愛し合うことも、誰かのために自らのすべてを捧げることも。そのすべてを、私は諦めた。そうしなければ、この世にもっと多くの迷惑をかけてしまうと思ったから。私自身が、この生に途中で耐えられなくなって、壊れてしまうと思ったから。
その判断が正しかったかはわからなかったが、結局私は壊れてしまった。
病院のベッドでひどく汚い字でこういった文章を書いているときだけは、私はまだ少し救われた気持ちになる。少なくとも、苦しみを忘れられる。
ここにはいろんな人がいる。私より苦しんでいる人は少なくない。私より救いようがない人も。いや、はっきり言ってしまえば、私はかなりマシな人間で、ここで生きていると、私はそのうち快癒して、社会に復帰できるようになるのではないかという誤った思い付きさえ湧いてくる。それほどまでに、周囲の人間の状況が悪いのだ。
しかし、冷静になってこの社会で求められる「最低限」と、自分ができることの「最大限」を比較して、自立など夢のまた夢だと思い知らされる。誰が、一週間のうちほとんどの日で、自力でベッドから起きられない人間を雇おうというのだろうか。一度の食事で平均4,5回も食器を落として誰かに拾ってもらう必要のある人間を雇おうというのだろうか。
一日のほとんどを、誰かと会話でない会話を行い、意味のない作業で心を無にすることも十分にできず、急に泣き始めたり叫び始めたりして、ほとんどの時間を苦しみを感じながら自然の風景を眺めてそれを必死に落ち着けるような生活をしている人間を、誰が必要とするだろうか。
私は、私が生きていることそれ自体が、ひどく残酷なことのように思う。いっそのこと、殺してくれればいいのにと思うが、私を生かしてくれている人々の優しさを思うと、私はそれでまた私自身を嫌いになりそうになる。
生きることは、なんと苦しいことだろうかと思う。それでも私はなんとか、少しでもこの生のいい部分を探そうとしている。最近では、はじめて私は人を好きになりかけている。私自身にとっても意外なことだが、ここで私より長く入院しているある女性に、私は惹かれている。
それは妙なほど自然で、健全なことのように私には思われている。今の私には性欲はほとんどなく、実際に性機能は機能していない。女性の体を思い浮かべることは、それ自体が一種の苦痛であり、できるだけ避けたいことだと感じている。また、恋愛自体も、別にこの病院内では禁止はされていないが、かといって推奨されるようなこともなく、実際には恋愛のようなものは時々見られるが、たいていはあまりいいことはない。だから先生型も、そういうことの刺激は行わないようにしているし、私自身も恋愛に関することはほとんど意識せずに生活できていた。
それでも、偶然出会い、少し言葉を交わし、お互いのことを少しだけ知った。それで、私はその人のことをもっと知りたいと思ったし、その人のことを考えると少し心が明るくなった。体は相変わらず重く、どうしようもなく病んでいるが、少なくとも私の顔色は少しよくなっていると、看護師さんも言ってくれた。私はその人のことが好きだと、素直に言うことができる。その人の前でも、あなたが好きだと何度か言った。別にそれ以上は何もなく、その人は喜んでくれた。私が、それ以上を何も求めていないことを、その人も理解してくれた。そういうことが、嬉しくて、より好きになっているような気がしている。
しかし同時に、この恋が私を救ってくれるわけでも、変えてくれるわけでもないことはわかっている。これはあくまで、ある種の幸運であり、一時しのぎであり、砂漠の中の有限の湧き水のようなものだと私は感じていて、おそらくそれは正しい。その人はもう年老いていて、先が私ほどは長くない。素敵な人だが、旦那がいて、子供が三人いて、孫も二人いる。年齢は聞いたことがないが、おそらく60歳前後だと思われる。
私はその人が、若ければと思ったことはない。正確には、そのような想像をしたことはあるけれど、おそらく若いころのその人に会ったとしても、私は今のようにその人とは関われなかったと思う。私たちは私たちのままでいいのだと、そう思うと同時に、私たちの存在は同じように、この世においては不要なもので、もしかすると、存在しない方がいいものなのかもしれないとも思う。でも、やっぱりそう思うことはひどく残酷なことのようにも思える。
ともあれ、私は自分が人を好きになれるということに、私は小さな希望を感じた。私はそれまで誰かを好きになったことなどなかったし、自然に自分の気持ちを面と向かって話すことができなかった。でもそれができる相手が存在しうるということがわかって、私はそれだけで、入院した価値があったと思った。
そのことを、記録しておきたいとも思った。




