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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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死についてのあれこれ

 死ぬのが怖いという人がいる。私には理解できない。

 いや、死への恐怖が理解できないわけではない。それを人に言うという行動をとることが理解できないのだ。

 死は怖いか? もちろん。幽霊や宇宙人が怖いのと同じだ。渇きや空腹が怖いのと同じだ。本能的に、体が避けようとする。それだけのことだ。


 じゃあ概念としての死は? それへの恐怖も理解できる。幼稚園児のころ、よく怯えていたような気がする。

 今は、自分が死ぬことを考えると、むしろ幸せな気持ちになる。怖くなんてない。人は精神的に成熟すると、そうなるのではないか、と思っている。もしそうなら、死を概念的に怖いと思うのは、その人間がまだ幼稚である証拠であると捉えることもできる。


 幼稚な人間の幼稚な精神を理解することは必要だろうか。そういった人々に慮ることは。

 答えはシンプル。必要である。彼らがたとえ少数だとしても、共に同じ世界を生きているのだから、寄り添う必要がある。最低限は。

 リスペクトは? それは不要だろう。本当に?

 教師が生徒に対してリスペクトを持たなくてよい、というのは現代的な考えではなかろう。しかし、どのようなリスペクトを持てばいいというのだろう? もちろん、出来のいい生徒、ものわかりのいい生徒、特別な才を持つ生徒に対してリスペクトを持つのは難しいことではないし、当然そうすべきだ。では、出来の悪い生徒、ものわかりが悪い生徒、何の才も持たぬ凡庸な生徒に対しては? 意識しなければリスペクトを持つことはできない。たとえできても、他の優秀な者たちと等しいリスペクトを与えた場合、相対的に優秀な者たちはリスペクトされていないと感じることだろう。

 すべての人間をリスペクトすることはできない。ただ、できるだけ多くの人間にそうすることはできるし、いわゆる、部分的なリスペクトであれば、理想的にはすべての人間をリスペクトすることも可能かもしれない。

 私はそういう努力をしてきただろうか。わからない。


 ただ私は、そういうリスペクトの仕方が本当に正しいのかわからなくなっている。結局、理由が必要なリスペクトは弱い。それ自体が目的になっている時点で、それは自然ではないし、自然ではないということは、努力なしではリスペクトしていない、あるいはできないという事実の暴露でもある。

 私は自然に人をリスペクトしたことがあるだろうか。理屈や損得を抜きにして、誰かに憧れたことがあるだろうか。

 ないと思う。私は、精神的に自分より誰かを上に置いたことがない。それを幼稚だと思う人はいると思う。実際、人の成熟過程の中に、そうしたものがある可能性はある。

 もちろん、人に頭を下げたり、言うことを聞いたり、媚びへつらったりしたことは何度もある。しかしそれは全部、単なる表面的な演技であり、そうしなくては損が生じるから仕方なくしたことに過ぎない。

 神に祈るように、人に祈ったことがない。私が言いたいのは、そういうことだ。

 あぁ思い出した。一人いた。不愉快な話だ。私の両親が信じている宗教の教祖だ。あぁ、ひとりじゃないな。何人かいる。両親が、自分たちより上に置く人がいるのなら、私もそうすべきだと思ったのだ。そしてそれが基準となり、周りの大人たちも、有名人も、みんなその下に配置された。私はその中間にあった。

 今は、私のまわりには誰もいない。上にも下にも、横にも。ただみなが、自分とは違う世界でわちゃわちゃ何かをやっているように見える。

 私はひとりぼっちになった。一番下に置かれるか、あるいはどこにも置かれないか。それ以外の自分の位置がわからなくなった。

 

 今日、「自殺がもっと気軽にできる世界になればいい」とふと思った。

 自殺であふれた世界。戦争や紛争、事件や騒動、犯罪の代わりに。

 私はその悪に耐えられなかったので、私自身の意見でないことにした。顔も名前もないキャラクターが、友人に対して「私、世界にもっと自殺が増えればいいと思う」と言ったことにした。その友人は「え? なんて?」と返した。「今私何言った?」「世界にもっと自殺が増えればいいって」「こわ」「怖いのはこっちだよ」「なんで私そんなこと言ったんだろう」「聞きたいのはこっちだよ」なんて。


 主人公たちが自殺者を増やしていく物語を書きたいと思った。でも、どうすれば自殺を増やせるのかわからなかったし、法律との兼ね合いが難しいと思った。

 そもそも、私は私がなんでそんなことを思ったのかはわからなかった。


 今ふと思ったのは、寂しいからなんじゃないかということ。私は別に病んでなんていない。こういうことを考えるのは、性格。病気になんてされたくない。苦しいのも、悲しいのも、それが当然。そうじゃない方がおかしい。私はそう思って生きている。そう思って生きているから、自殺について考えるのも当然だし、そうしない方がおかしい。

 でも世界はそう考えない。私と似た気質の人たちですら、彼らは自己否定して、そういったことを考えない世界の方を向いている。

 別に、人に自殺してほしいわけじゃない。むしろ、人が自殺することはひどく悲しいことだと思う。でもそれは、殺人や戦争や貧困だって同じこと。むしろ、そういった誰かに殺されるよりは、ずっとマシだと思う。

 だって自殺って、今すぐ死ぬよりずっとひどい生、あるいは死から逃れるためにすることだから。そういったものがこの世にあるということが、自殺を肯定するんだから。

 だから自殺を否定するなら、先にそちらを否定しなくちゃいけないのに、人々はその逆。自殺を否定して、それ以外の理不尽は全部肯定して、時には加担さえする。


 許せない、と思う気持ちがある。理不尽な感情。理不尽に対する、理不尽な感情。意味のない感情。消し去るべき、忘れるべき感情。実際私は訓練されているから、怒りは0、5秒もあれば収まって、代わりにヘドロのようなねばつく不潔な不機嫌に変わるだけ。

 望まず死ぬなら、この世を呪いながら。

 でも自殺するなら、この世を祝福したいんだ。私が死んだあと、世界がもっと良くなりますように! って、祈りながら。


 私は多分、生きていた方がいい人間と、生きていない方がいい人間のボーダーに立っている。どちらの側にも転がれるとかじゃない。どちらの側とも判断できない、されないというのが正しい。

 でもひとつはっきり言えることは、私は現代において正しいとされることすべてを肯定することはできないということ。疑義を唱えることに、一種の気持ちよさを感じているということ。でも、その正しいことの逆を言う人には、正しいこと以上に反感を覚えているんだ。


 いつか死が友のいない私をその代わりに祝福してくれますように!


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