最高の価値と幸福を持つ者
俺はこの世で最も価値のある人間で、最も尊敬されるべき存在で、実際にそう思われて生きている。
道行く人は、俺を見て羨望の眼差しで見る。そして想像するのだ。俺の栄光に満ちた生活と、俺の深淵なる心の底を。
俺がどんな景色を見て、どんなふうに考えて生きているのか想像する。それが彼らの幸福になる。
この世界に、俺のように素晴らしい人間がいて、その素晴らしさに見合った生活をしているという事実に。
この世界は真に公平であり、公正であり、真実であると、人々は俺を見て思うのだ。
この世で最も傲慢な人間も、俺を見ては、自分の至らなさを自覚し、謙虚になる。
この世で最も自信を失った人間も、俺を見れば、俺と比べれば自分と他者との差なんてほとんどないに等しいということを知り、再び挑戦する意欲の火がその心に灯る。
俺がいるから皆が幸せで、皆がいるから、俺も幸せでいられる。
この世でもっとも幸福で、優れた人間である俺がいるから、この世界は素晴らしく価値があるものであり続けられる。
もしこの世に俺がいなかったらと、時々想像する。その世界は、想像するだけで凍えてしまうほど、悲しくて、空しくて、どうしようもない世界だろう。
人々はそれぞれが自分の利益と感情のために生き、自分にとって何が本当の幸福であるか知らぬまま生き、知らぬまま死ぬ。
自らの持ち分を正しく知ることもなく、互いにより多くの富を得ようと争い、時に蹴落とし合い、時に殺し合う。
国と国が手を取り合うのは他の国を圧迫するときだけであり、どの国も、その国の国民にすら、愛されていないことがある。きっと、俺がいなければ、世界はそのようになっていたことだろう。
そのような世界では、もはや悲しみや苦しみを芸術として扱う他なかったろう。様々な痛みや苦悩を物語ることによって、存在しない創造主に許しを請うただろう。
あぁ、俺がこの世界にいて本当によかった。皆が、永遠に俺を必要としてくれて、本当によかった。
この世界に、この俺の存在を知り、その名を呼ぶものがいて本当によかった。
たとえ俺が存在していても、誰もその存在に気づかない世界は、きっと、俺が存在しない世界の次に悲惨な世界だろうから。
あぁ、きっと俺が存在しない世界では、あるいは、俺が存在することに誰も気づかない世界では、人はこんな風に叫ぶしかないのだろう。
「あぁ、誰か助けてください!」
俺の名は、誰か、などではないのに。
「神よ! 見ておられないのですか!」
なんて、出来の悪いフィクションの常套句を叫ぶこともあるだろう。
あぁ、俺のいない世界のことを思うと、胸が痛む。それはきっと、永遠の暗闇であり、無限の苦痛であろうから。
もし俺が、人間たちが空想上で考えるような、全知全能の神であれば、存在しうるすべての世界を、俺という存在で満たすであろうに。
しかし、この世で最も価値があり、幸福な俺という存在でも、できないことがある。できないことがあるということによって、俺はさらに価値を持ち、幸福であるのだから。
俺にできないことのうち、わかっていることは、不幸になることと、幸福になりたくない人間を幸福にすることだ。
俺を見たいと願う人間の目を開くことはできても、俺のことを知らず、興味を持たない人間の目を、俺の方に向けることはできない。
この全宇宙のどこかには、俺に決して近づくことのできない人々がいる。その人たちのことを考えると、本当に胸が痛む。
しかし俺は、この痛みによって、さらに幸せになり、価値を持つのだ。そして、そんな俺を見たすべての人々も、さらに幸せになり、価値を持つのだ。そう。この世で二番目の幸せと価値であれば、すべての人間がそれに浴する資格があるのだ。




