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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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心情の価値

「君に一つ聞きたいことがあるんだが、いいだろうか」

「うん。なにかな」

「少し難しい話だから、長くなるかもしれないし、お互いに意味の取り違えが起こるかもしれない。出来る限りそうならないよう言葉を選ぶつもりだけれど」

「うん。とりあえず話してみなよ」

「あぁ。この問題は、まず物語、小説や映画、漫画を含んだ、フィクションノンフィクション問わず、叙述されたものの総合にまつわる問題と同時に、人間の人生の問題でもある」

「うん」

「まず一言で言えば、内面で起こっていることの価値と、客観的な事実の価値のバランスの話だ。たとえば小説であれば、一人称にしても三人称にしても、本来なら見えないはずの心の動きを描写できる。映画や漫画なら、演出によってそれを暗示することができる」

「うん。そうだね」

「そういった内面の描写は、多ければ多いほどいいということはなく、たいていの場合、もっともわかりやすく、端的な形で表現され、それによって共感を得たり、反感を得たりして、物語に客を没入させようとする。ここまででおかしなところはないかな?」

「ないと思うよ」

「ここでポイントになるのは、登場人物の心の動きは、あくまで演出であり、舞台装置であり、それ自体には価値はなく、客観的な事実、すなわち物語の筋書きというメインコンテンツに付属する、装飾に過ぎないという点だ。まずこの部分に、君は反論があるかな?」

「……一言で言えば、物語における登場人物の心情の描写は、その物語の本質や核にはなりえず、あくまでその物語の一連の流れを彩る付属部分に過ぎないというのが、今のところの君の主論ということでいいの?」

「今のところはそれでいい」

「……作者が、あるひとつの心情を書きたいために、物語を用意するということは別に珍しくないと思う」

「たとえば?」

「芥川はそういう作品を書くイメージがある。あぁあともうひとつ。ほとんどの物語は君の言うように、登場人物の心情はあまり重視されていないが、作者が、読者にある感情を呼び起こさせるために物語を書いている場合がある。それが共感という機能を利用しているのならば、この場合も登場人物の心情がその物語の核になっていると言えると思う」

「なるほど。では君のその意見を僕が受け入れたとして、ひとつ思うことがある。物語の構造上、その心理描写の価値が高かったとして、それが叙述され、共有された時点で、その心理描写は一個の事実として描かれたことになる。違うかな?」

「……一個の事実にならないために、比喩を用いていることが多いのかもしれないね。まぁでも、ほとんどの場合は君の言うとおりだと思う」

「そう。描写された心の動きは、客観的なものに変化する。すなわちそれは……それ自体が、物語の筋書きの一部に組み込まれる」

「うん」

「たとえば主人公が幻覚を見たり、夢を見たりするシーンというのは別にそう珍しいものではない。そこで見た景色や体験したことは、その物語上の『客観性』には含まれないが、読者としてのメタ的な視点からは、一個のシーンであり客観性を含むことになる」

「同じ客観性でも、同じ次元ではないね」

「そう。次元が違う。次元は違うが、同じ領域に属している。この構造は、僕らの生きている現実にも重なる」

「……なるほど。君の言いたいことはわかる。私たちは、基本的に心というものがあり、その中で、色々なことが起こっている。でも私たちが普通客観的と呼ぶものは、私たちが皆理解できることで、受け入れられることに限られている。それなのに、その両方は、同じ『現実』という領域に含まれているということだね」

「そう。それらは繋がっていて、相互に影響し合う。それは当たり前のことだけれど、僕はここでひとつ明確に問いたいことがある」

「何かな」

「価値の問題だ。たとえば、ある尊敬すべき行動があるとしよう。そうだな……いじめられているクラスメイトをある中学生が助けたとしよう」

「まぁ、世間的な意味で、いいことだと判断されるだろうね」

「そのヒーローの内面は、その行動と比べて、どれほどの価値があるだろうか、という話。たとえば助けた理由が、私利私欲だったら? それによって、彼の行動の価値は下がるか?」

「……人の行動の価値は、個別のものだから、すべての状況に当てはまるような基準を設定することは難しい……と言いたいけれど、実際のところ、この世は他者からの評価と判断で回っていて、その傾向は間違いなく存在する。それを明らかにしたり、私個人が、これから人間を判断していくうえで、どのような基準を用いるかは、真剣に考えるべきことだろうね……特に難しく考えなければ、行動の動機は、その行動の価値に少なくない影響を与えると思う。そもそも、動機はその行動のディテイルに影響する。一言で助けると言っても、色々な助け方があり、助けた後のふるまいもある。それらは動機だけでなく、その人の習慣や精神状態、健康状態、社会的環境によって変化する。そのすべてがその人間の評価に影響するのだから、心理的動機が影響しないと考えるのは不合理だと、私は思う」

「うん。君ならそう答えるだろうとは思っていた。そのうえで次だ。いじめられている友人がいる目の前で、ある中学生が葛藤していたとしよう。ひどく苦しみ、どうすべきか悩んだあげく、何もしなかったとしよう。その隣に、そもそもいじめに気付くこともなく、楽しく暮らしていた、鈍感だが心優しい別の中学生がいたとしよう。このふたりの、そういった事情を知ったうえで、君はどう判断する? 彼らは、客観的には同じ行動をとった。つまり、いじめに対して何もしなかった。片方は苦しんだうえで、意識的に、何もしなかった。もう片方は苦しまず、そもそもいじめに気付くこともなかった。君はどちらの人間の方が、高く評価されるべきだと思う?」

「私の願望ではあるけれど……悩み、苦しんでいる人間の方が、高く評価されているべきだと思う。……実際に、評価されるものだと思う。もちろん、その子がちゃんとわかるように、自分の痛みや悩みを周囲に話せれば、だけれど」

「まぁそれは君の願望がかなり含まれているだろうが……でも僕はそういう答えが聞きたかったから、それでいい。君は、実際にこのふたりがいれば、迷わず悩み苦しんだ方を気にかけるだろうしね」

「うん」

「じゃあ次はもっと難しい問いを。悩む苦しんだあげく、何もしなかった中学生がいる。もうひとり、悩むことも苦しむこともなく、ふと暇になったときにいじめに気付き、何も考えずその子を助けた中学生がいる。君はこのふたりの、どちらを高く評価する」

「……私は、もうこの話は、高いとか低いとか、評価とか判断とか、そういう領域を超えていると思う」

「ほう。どういうこと?」

「……シンプルに、今すぐ何か問題を解決しなくちゃいけないなら、助けた子にそれを任せると思う。その子は、そういう子だから。動けなかった子は、それでも、他の子たちよりも早くその問題に気づくことができたという事実に関しては、高く評価されなくてはいけない。それを、決して軽視せず、苦しむほど悩んだという事実も。それを私が知ることができたなら、その状況は、もう私は部外者じゃない。だから私は、その子のことを、気にかけないといけなくなると思う」

「……つまり、現実の問題について、その子の内面を知る機会があった時点で、客観的な評価とか判断というのは、それ自体の重要性が相対的に低くなるということ?」

「そう」

「じゃあ問題を戻そう。これが物語だったら? 物語は、そういった現実的な人間関係なしに、人の内面に触れることができる。物語の中で、何も考えずどんどん問題を解決していける登場人物がいたとして、それとは別に、物事を誰よりも早く理解し、心を悩ませ、苦しみ続ける登場人物がいるとする。君はこのふたりの人物について、どちらが主役の物語を読みたい?」

「どちらの方が、より私に新しい視点を提供し、私の人生に影響するかという問いなら、とても簡単だと思う。たとえ何も解決できなくとも、悩み、苦しみ、それでも前に進もうとする方」

「まぁ、君ならそう答えるだろうな。じゃあ次だ。君に限らず、フィクションを楽しむ人たちの多くは、どちらの登場人物を好むと思う?」

「……その中間だよ。悩み苦しみ、最初は問題をうまく解決できなかった人物が、その悩みと苦しみから成長し、立派に問題を解決して、周囲からも賞賛される。皆そういう物語が好きだ。あるいは、悩みも苦しみも少しずれていて、すぐ人のせいにするせいでうまくいかなくて、破滅する物語」

「……まぁ、そうだろうね」

「うん」

「でもそれにどれだけの意味があるだろう? 現実の問題は、フィクションのように簡単ではなく、悩み苦しんだからといってうまくいくわけではないし、悩みも苦しみもない人間が成功することも珍しくない。そうだろう?」

「そう……かもしれないね」

「最後の質問だ。フィクションは、このままでいいと思う? ただ、読者の欲望や願望を疑似的に叶えることで、心を楽しませたり和ませたりするためだけのものでいいと思うかい?」

「思わないよ。でも、そういう作品があってもいいし、それが全体の中で多くの割合を占めて、人気を得ていてもいいと思う。フィクションは色々なものがあるべきだと思うし、それが存在して、誰かが必要なときにそれを見つけて、読むことができればそれで十分だと思う」

「……そうだね」


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