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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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真っ赤な球

 きっと君は、これから私がする話を、荒唐無稽な作り話だと思うんだろうね。

 でもいつか、私の言っていることが正しいことを、君は知ることになる。

 だから、今はとりあえず最後まで聞いてほしいんだ。


 この世界のもうひとつ上の次元には、真っ赤な球がある。でもその球は、私たちが知っている、野球のボールみたいな球じゃない。球っていうものの本質は、外側と内側が区別されているのに、その両者が同質であること。球の外側と内側の面積は同じだよね? つまりそういうことなんだ。

 真っ赤な球にも、表と裏がある。それはどちらも真っ赤で、その世界は完全に閉じられていて、表と裏が互いに知り合うことは決してない。表は、自分が表であることを知っていて、裏も同様に、自分が裏であることを知っている。

 表と裏の違いは、それがどちらを向いているか、という違いだけ。表は、決して自分の「内側」を知ることはできないけれど、その代わり、外側にあるすべてを映すことができる。反対に裏面は、自分の「外側」のことはまったくわからないけれど、自分という存在の中身については何よりも知っているし、それに、「裏側」は、自分という存在を映すことができる。

 いうなれば、裏側と言うのは合わせ鏡のように、無限にその裏側に景色を映し続ける、永遠の存在。それに対して、表側は、決して自らを知ることはなく、外にあるものしか知ることができない。


 真っ赤な球について、君も少しは詳しくなったんじゃないかな。まだよくわからないかな? まぁでも、大丈夫。

 大事なのはここからの話だから。


 真っ赤な球は、たくさんある。たくさんあって、それぞれがそれぞれの「表」と繋がっている。でも裏どうしは決して繋がらない。裏は、それ自身の裏しか知らないから。

 だから、ひとつ上の次元の世界は、たったひとつの「表」の世界と、無数の、小さな無限を宿す「裏」の世界でできているんだ。


 それよりさらに上の次元に行くと、「表」の世界にもいくつかの種類が増えるのだけれど、そこまで行くと私たちの知性では理解が及ばない。そもそも私たちの「魂」というものは、その、真っ赤な球がたくさんある、「ひとつ上の世界」から降りてきて存在しているものだから、私たちの知性は、その「表と裏」を理解することがちょうどよくできるようにできているんだ。


 さて、その「ひとつ上の世界」のひとつ下、つまり私たちが現実世界と呼ぶこの世界は、どのようにできているか君は知っているかな。

 この世界はね、とっても単純で簡単にできている。この世界に表と裏はない。空間があって時間があって、それらは全部繋がっていて、ひとつ上の世界みたいに、完全に隔絶された「裏」なんて存在しないし、当然「無限」というものも存在しない。すべてには限界がある。そして私たちはこの世界から出ることができない。

 わかるかな。この世界はね、「裏」なんだよ。ある一個の、真っ赤な球の、裏側。閉じられていて、永遠に自分たちを観測し続ける、無限の「裏」。


 でもね、裏は自分たちの世界の表側のことを知らないけれど、表側で受けている影響はしっかり受けてしまうんだ。つまり、その真っ赤な球が映し出す「表側の景色」の影が、私たちの世界、つまり「裏側」に映りこむ。だから、この世界は確かに閉ざされていて、外側に行ったり、見たりすることはできないけど、外側で何かが起これば、その分私たちのこの世界にも変化が起きるようにできているんだ。

 表と裏は同質だから。表が変われば、裏も変わる。裏は裏のことしか知らない。だから裏は、自分がなんで変化したのかわからない。だけれど、変化したことだけは感じ取れる。

 表は逆に、変化の原因は常に理解できる。でも自分が変化したかどうかを確認することはできない。


 私たちは裏側にいるんだ。この世界は、裏なんだ。

 これが、私たちが、この世界を観測することができる本当の理由。そして、その観測した結果の「なぜ」に対する答えを、絶対的に有しておらず、その理由をどれだけ求めても、決して明らかにならない本当の理由。

 なんで宇宙は生まれたか。なぜ万有引力がすべての質量に働いているのか。なぜ、時間と空間は相対的なものなのか。なぜ私たちは、証明できない神を信じたがるのか。

 本当は簡単なことなんだ。それは、この世界が「裏」だから。永遠に、自分自身を映し出す合わせ鏡だから。


 君は、なんで私がこれを知っているのか、疑問に思うかもしれない。でもさっき言ったよね。「私たちの魂はもともとひとつ上の世界のもの」だって。

 つまりね、私たちが生きている「赤い球」よりも、もっと小さい、無数の赤い球が存在していて、私たちはそのうちのひとつだったんだ。それが、今あるこの「赤い球」にぶつかって、飲み込まれた。そのとき私たちは、必ず一度「面」になる。そこで私たちは、自分たちよりももっと大きい、「赤い球」の一部になる。

 そのとき、もともと「表」だったものが、そのまま「表」としてくっつくこともあれば、「裏」だったものが「表」としてくっついて、「表」だったものが「裏」としてくっつくことがある。

 私たちのうちの半分くらいは、この世界の外側をずっと見てきた代わりに、自分の内側のことは少しも知らずに、ずっと過ごしてきた。それが、この世界との衝突によって終わって、私たちは「裏側」になったんだ。


 だから私たちは、時々、この世界が、偽物のように感じる。この世界が、たくさんの嘘でできているように感じる。この世界以外の世界が、恋しくなる。

 そちらに、居場所があるように感じてしまう。それは、私たちがもともと「表」だったころの名残なんだ。


 君はこれを聞いて喜ぶかな。それとも悲しむかな。私にはわからない。

 でもね、言わないといけないことがある。

 世界は、反転する。


 それがいつになるかは、私にもわからない。でもはっきりと、言える。世界は、必ずいつか反転する。

 この世界がもっと大きな世界と衝突したら、そのとき、二分の一で表は裏になり、裏は表になる。

 そうでなくとも、この世界に時々入るひびのようなものが大きくなって、裂けて、この球である世界が一度「面」になって、それが再び球に戻ろうとするとき、それは反対側に繋がろうとするかもしれない。そうなったとき、表は裏になり、裏は表になる。


 だからね、君に言いたいことはひとつなんだ。私たちにとって生きることは耐えることなんだ。必ずその時は来る。君は、あるべき場所に戻る。幸せと調和に満ちた世界で、生きられるようになる。

 そしていつか、私たちはまた、この苦しみと不和のもとに戻ってくる。私たちはそれをずっと繰り返すんだよ。


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