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寂しさ  作者: 冷凍槍烏賊
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物語への失望

 虚構の世界の目的というものを見た時、僕は絶望に襲われた。


 あらゆる物語が、結局はそれぞれの「現実」にとって都合のいいようにできていることを知ったとき、僕は物語の可能性の限界を感じた。

 僕らは現実のあらゆる便益から逃れるために物語を楽しむのに、その物語が何のために作られているかというと、結局それが、僕らの感情的便益であったり、作者の経済的便益であったりするのだ。

 ハッピーエンドもバッドエンドも嫌いだった。現実は、決して終わってはくれない。たとえ僕が死んだとしても、世界がそれで終わることはなく、僕以外の皆によって現実は続いていく。終わりなどはないのだ。少なくとも、僕ら人類の知覚できる限界まで、終わりというものは悲しいほどに存在しない。

 時間というものは本来、間延びしていて、都合が悪くて、厄介な、うんざりさせられる、そういったものなのだ。

 にもかかわらず、物語はすべて、時間というものが、僕らの世界とは異なる軸で進んでいて、それゆえに、僕らは物語を愛する。僕らは退屈から逃れるために物語を利用する。物語の価値は、どれだけその鑑賞者の退屈を癒すか、というところにかかっている。


 僕らの時代の人々は疲れていて、気力を必要とする娯楽をあまり好まない傾向にある。それゆえ、頭を空っぽにして観賞できるものを高く評価し、愛する。

 人間にはそれぞれ趣味趣向がある。僕は、よく考えられていること、洗練されていること、一回切りであることが好きだった。そして、僕はそれらを感じ取ることに、あまり苦労をしなかったし、それに苦労するくらい疲労することを嫌い、それを拒んで生きてきた。

 僕は、僕自身の人生における便益を、それほど重要視せずに生きてきた……と言いつつも、結局最低限のそれを確保できているからこそ、そのように考えられた、ともいえる。

 いずれにしろ、物語の本質、というものは、いつも僕をうんざりさせる。僕がまだ見ぬ物語に対して抱くある種の神秘性と憧れを剥ぎ取って、醜い内臓を見せつけてくる。

 どんなに美しい女の体も、その皮をはいでしまえば、血と肉と骨と糞尿で満ちているという事実に対するの同じような、吐き気にも似た感情を抱くのだ。


 物語は、共有されるものであり、複数の人間がいるところにしか生じず、その目的は「伝えること」にある。

 孤独な人間は物語を必要とするが、結局その理由は、孤独な人間が、他の人間を求めているがゆえである。

 僕らは、他の人間にうんざりして、なんとか別の世界に逃れようと、物語に縋る。しかしそこに出口はなく、結局そのうんざりした他の人間たちの元に戻っていき、不愉快なことに、物語で得た知見や経験が、その人間関係で役に立ってしまったりする。

 物語はどうしようもなく僕らの生活に結びついており、結びついていないものから排除されて、消えていくのだ。

 僕らは僕ら自身が嫌いだから、僕ら自身とは関係のない、遠い存在を愛そうとして物語を目指すのに、結局物語の本質は、太陽とは反対向きに伸びる自分の影に過ぎないのだ。

 自分なしに自分の影はないように、物語が、僕らの生活なしに成立することはないという事実が、僕の希望を奪う。


 それはまるで、僕らという存在なしに神が存在しないという事実に対する絶望のようだ。


 僕は物語における、演出だとわかる演出すべてを憎んでいた。わざとらしくて、現実の都合を想起させる一切が嫌いだった。デウスエクスマキナなんてクソくらえだった。

 しかしすべての優れた物語にさえ、そう思われないための隠蔽工作に満ちている。すべては、読み手の感情を快くさせるためのシナリオであり、それが自然で、リアリティを持って、現実に依存せず自立しているかのように装う、そういった工夫と努力によって物語は成立しているのである。

 それがどれだけ悲しいことか。どこまでいっても、物語の中に、「本当の美しさ」「本当の感情」といったものは存在せず、すべてが偽物なのだ。

 偽物だと分かってなお、僕自身の経験たる「本物」が、いかに空しく、くだらなく思えてしまうことか。

 そういったものを感じたとして、結局使えそうなものがあれば、それをすべて「偽物」のための材料にしようとしてしまう、この業とも呼ぶべき悪癖を、どのように受け入れればいいのだろうか。

 感情が、浪費されていくのを感じる。人間は美しくない。生きる価値もない。ならどうして、人のために生きる必要があるというのだろうか。

 しかし結局のところ物語を書くということは、それを読む人のために書くということで、そこから自己の利益が得られないことがわかっていてもなお書くということは、それだけ自分が人間というものの、他者というものの価値を認めていることに他ならない。

 人を拒む自分と、人を求める自分との衝突。僕の書く物語の一切は、これによってすべてダメになってしまっているのかもしれないと思う一方で、これがなければ僕は物語などまったく書かなくなってしまうかもしれないとも思う。


 物語というものを知らなければ、とっくの昔に死んでしまっていたかもしれない。それほどまでに、物語は僕をこの現実世界に繋ぎ止めてきた。

 たとえ誰からも愛されなくても、たとえ出会う人すべてに裏切られても、偏見に満ちた目で見つめられても、犯してもいない罪に対する罰で苦しめられ続けても、物語は、僕の現状とは関係なく、ずっとそこにいて、苦しんだり、楽しんだりしていてくれる。それによって自分の現状を一時的に忘れさせてくれる。

 時間が解決する問題に対して、精神と肉体をやわらげ、状況がよくなるまで待つことを促してくれる。

 人間の生という問題が死という解決に向かっていくその苦行の中で、物語は、砂漠の中のオアシスのように、僕らの心を潤してくれる。


 僕は受けた恩を返したいと思う一方で、その必要はないのだという現実によって、がっかりしている。それでもなお、意味のない努力と苦労を自らすすんで引き受けているのだから、やはり自分も人間という残念で厄介な生き物なのだという自覚をせずにいられない。

 それでもかまわない。あと六十年くらい、なんとかこのまま生きていこうと思えるくらいに、僕はこの人生に、この自分に、慣れてきている。

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