恩義
恩があるのは事実なんだ。
たくさんの不幸と苦痛に満ちた人々の生活の中から生まれた美しい物語が無数にある。
それによって僕は生かされており、僕は自らの苦しみを癒すことよりも、その苦しみを美しく変えていくことを好んでいる。
だからいいのだ。君がどれだけ否定したって、僕はこの苦しみに満ちた、腐った世界を愛している。
金や名誉に惑わされ、自らの本当に大切なものを失っていく者たち。僕らはいつもがけっぷちに立っている。僕はそのスリルを楽しんで綱渡りをしている。自らの欲望と意志を天秤にかけ、試している。
「本当に大切なのは、どちらだろう。僕らは、どちらを選んで生きていくのだろう」
この世界は一か零でできていない。僕らはその両方を選ぼうとし、もがいて生きている。それがうまくいってもうまくいかなくても、いつか幕は落ち、永く続く暗い夜に沈む。
僕は導かないし、導かれない。救わないし、救われない。
それを選んだ。
それが、自らくりぬいた眼球を握って生きる者のヒロイズムである。
見ないことを選んだのではなく、すべてを見ることを選んだ。何を見るか選ばないことを選んだ。
君と僕とでは、根本的に違うところがある。君の人生には目的があり、君の目はその目的に辿り着くために使われる。
僕の人生には目的がなく、僕の目は目的を探すためにすら使われない。僕の目は、僕を苦しめるためにある。そしてその役割を僕が死ぬまでまっとうする。
僕の手は、僕の体中に走るみみずばれのような蕁麻疹を掻きむしり、それを悪化させるためについている。
僕の足は、僕が自ら選んだ寂しい道を、ひとり歩かせ続けるためについている。
僕の髪は、僕に人々の視線を意識させ、恥ずかしがらせるためについている。
僕の耳は、僕に人々の下品な声と騒音とも呼ぶべき悪趣味な音楽を聞かせ、うんざりさせるためについている。
僕の鼻は、僕に利己主義と資本主義の、どぶのような悪臭を嗅がせ、この世をうとませるためについている。
僕の口は、僕の言葉と存在とを矛盾させ、それによって僕の自己同一性を脅かすためについている。
僕の脳は、僕という存在を統合し、自ら解体に向かわせるためについている。
この五体満足な肉体すべてが僕を苦しめる。そのために存在しているし、そうではなくてはならないのだ。
愛しているのだ。僕はこの肉体を愛している。僕をこんなにも苦しめ、そこに有限の生命を宿らせ、奇跡を予感させてくれるこの肉体を、愛している。
いつかきたる解放を望ませてくれるこの肉体を、愛している。
死への恐怖を何でもないものと思わせてくれるこの鈍い痛みよ、どうかいつまでも僕のそばにいてくれ。