一生の恥
姉を殺したのは、僕だ。たとえそのつもりはなくとも、たとえ、僕だけが原因でなくとも、最後に姉の背中を押したのは僕だった。
僕が小学生の中学年ごろまでは、僕たちは仲が良い姉弟だった。姉は誰に対しても優しくて、頭もいい人だった。何かあるたびに僕の頭を撫でようとするところだけ、僕は嫌いだった。
姉は柔らかく笑う人だった。ヒステリックなところのある母親と違って、あまり大きな声を出す人ではなかった。
姉は中学二年から、学校に行かなくなった。そのころ、僕は小学六年生で、精通したばかりで、自分の体と心の変化に戸惑っていて、姉とはできるだけ関わりたくないと思っていたころだった。姉が話しかけてきても、姉に何の非もないのに「黙れババア」なんて言って追い払った。
姉が学校に行かなくなった理由はわからないけれど、母親が姉に何度も怒鳴っているのを見たし、父親は仕事で忙しくて姉どころか僕に構ってくれることすらほとんどなかった。
姉はほどなくして、精神病院に連れていかれることになって、僕はそれがなぜかとても恥ずかしくて、友達にそのことがばれないかいつもビクビクしていた。そのせいか、僕は友達のうち誰かが僕の悪口を言ったり、からかったりしたら、すごく大げさに反応して、時には暴力に訴えることもあった。そのたびに先生に怒られたけれど、僕は黙ることや、嘘をつくことを学んでいたから、だいたいの場合は喧嘩両成敗的な形に終わった。
子供のころは、自分の行動が、何によって引き起こされたのか、自分でもよくわかっていない。ただ無理やりみたいにその原因と結果をつなげて、わかった気になって、また新しい過ちを犯す。
僕は当時、姉が引きこもりになってせいで自分が怒りっぽくなって、それどころか、勉強に集中できていないのだと思い込んでいた。母親は、よく世話を焼いていた長女が引きこもりになった分、僕によく構うようになり、急にたくさんの習い事を始めることになった。しかし、ピアノも、書道も、水泳も、小学六年生から始めるのは遅すぎて、何をやっても他の人より劣っていたし、上達も決して早くなくて、すぐ嫌になった。
ただ、塾での勉強だけは、比較的楽しかったし、その結果が前よりもよくなっていることがテストによってはっきりと形になるから、続けることができた。中学生になってから、僕は自分が秀才タイプの人間なのだと思うようになり、将来の夢は、公務員か銀行員か弁護士なんていう、現実的なのか夢見がちなのかよくわからない子供になっていた。もちろん、当時は、自分はもう精神的に大人で、ものごとを現実的に考えられると思い込んでいたのだけれど。
ともかく、僕は勉強という点にかけては、クラスで一番になろうと努力していた。しかし、自分より勉強ができるやつはいつも二人か三人かいて、そのうちの一人はかならず、勉強だけじゃなくスポーツもできたり、あるいは塾にも通わず、まともに勉強しているところを見たことのないようなやつだった。
自分がそういうやつらと比べて何が足りないのか考えると、どうしても姉のことが頭に浮かんできた。姉が、根性なしで、無責任で、役立たずだから。姉の存在が自分のコンプレックスになってしまうせいで、やらなきゃいけないことに集中できないから。僕は当時、本当にそう思っていて、家の中で姉の顔を見るたびに、激しい怒りが湧いてきて、悪口を言ったり、暴力を振るったりしたい衝動に駆られていた。そういうことを実際にする想像を、家でも学校でも頻繁にしていた。
でも僕は、中学時代の間、一度も姉と口を利かなかった。女性を貶したり、殴ったりするのは悪いことだと、当時の自分でもさすがにそれくらいはわかっていたのだと思う。
高校受験が近づくと、僕は少し自覚的になり、何か自分に問題があったときに責任転嫁しやすく、思いあがりやすい性格であることを意識するようになった。だから、姉にひどいことをしてしまわないために、できるだけ姉のことを考えず、避けるようにしていた。姉のことをまた好きになることなんてできるはずもないし、嫌いであることを改善するのも難しいが、せめて、怒ったり、憎んだりはしないようにしようと努力していた。
そういった努力が、巡り巡って、自分の戦いにとって有利に働くだろうと思ったのだ。実際、僕は高校受験に成功し、市内でもっとも学力の高い高校に合格した。
高校での勉強は、いつもぎりぎりで、切羽詰まっていた。周りはみんな自分より頭の出来がよく、自分がどれだけ努力しても、平均点を超えられることは稀だった。ごく自然と、僕は自分よりできない人間を見て安心するようになったし、同時に、そういった人間と自分を同等に扱われるのが嫌になった。
また、僕は自分が努力をし続けてきた人間であるというアイデンティティを持つようになり、反対に、怠惰な人間や、義務を怠る人間を憎むようになった。
姉の方は、僕の知らないうちには高校卒業認定試験に合格していたらしく、大学受験を志すようになったらしかった。僕はそれを聞いて、少しほっとした気持ちになったのを覚えている。もしかすると、また姉と人並みの関係に戻れるかもしれない、とも、当時思ったような気もする。
だが姉は、僕と、両親の期待を裏切った。少なくとも、母は僕に、そう言った。だからあんたは、姉を反面教師にして頑張りなさい、と。
僕は現役で、第一志望の大学に合格した。努力することは、いまや特別なことではなく、当たり前のことであり、それをしていない人間を憎むこともなくなっていた。その代わり、正しい努力は必ずその分の成果が出るのに、それをやらない人間はただ馬鹿で、かわいそうな人間だと思うようになった。実際、自分の周りには自分と同じように努力する人間ばかりだったし、努力せずに結果が出せる才能のある人間も、長い目で見れば、どこかで挫折し、努力の大切さに気付くであろうことは明白であった。
僕は、当時自分が正しい自信を持っているのだと、思い込んでいた。自分は凡人であり、だからこそ、人並み以上に努力することの大切さを知っている。凡人同士の戦いでは、本当に努力の量がものを言うし、実際この世界のほとんどは、凡人同士の戦いでできている。天才と自分を比べるのは、自分を天才だと思い込んでいる馬鹿に任せればよくて、自分は自分に見合った相手と比べて、競い合うことによって、高めあっていけばいい。
そうすることこそがこの自由競争社会においてもっとも正しいことであり、それ以外の人生はまったく考えられなかった。僕は、自分の適性にあった、もっとも社会的な評価の高い会社に入ることを目標に、大学での学習に取り組むことにした。
姉のことがあったからかどうかはわからないが、僕は女性の体には興味があったが、女性との交際には興味がなかった。だから、一度そういう店で性行為の経験をしてみたが、「なんだ、こんなものか」と思ってからは、女性そのものに対する興味を完全に失って、めんどくさいものとして感じるようになっていた。
思えば、僕の中にはどこか女性差別的な感覚が存在していた。母は、自分のことを棚にあげてすぐ他人を批判するし、姉は怠惰で愚かでかわいそうな人間だった。僕の身近に、優れた、尊敬すべき女性はひとりもおらず、そういうのはテレビの中にしかいないものだと思い込んでいた。だから、女性を見るたびに、僕はそいつがどれだけ自分より結果を出していたとしても「天才」のレッテルを張って、その人の努力を否定するような感覚で生きてきた。
姉がアルバイトを始めたのだということを、母から聞いた時、母は、姉の仕事をひどく恥ずかしいことだと言った。お前は絶対にそういう風になるな、と僕に言った。僕は、母に「あんたよりはマシだよ」と言った。そのとき母は、しばらく黙った後、僕が背を向けていて、言い返せないタイミングで、泣き出しそうないつものヒステリックな声で叫んだ。
「誰に育ててもらったと思ってんの!? この恩知らず!」
僕は泣き出しそうな気持ちになりながらも、いつもの習慣で勉強机に座り、大学で出た課題に取り組んだ。
ある日、姉が家に帰ってきたところで、僕と顔を合わせた。あの時は、ずいぶん久々で、一瞬そこにいるのが誰かわからなかった。
姉はずいぶん老けているように見えた。22歳とは思えないほど、やつれていて、肌も荒れていて、髪の艶もなかった。
「仕事はどう」
自分から話しかけたのがいつぶりかは思い出せないが、僕は何気なく、意識せずそういった。そのときは、姉に敵意も悪意も感じていなかった。
姉は、僕から目をそらして「やめちゃった」と言った。僕は、自分の腹が熱くなるのを感じた。なんでそうなっているのかはわからなかった。怒りなのか、悲しみなのか、それとも憎しみなのか、もっと別の感情なのか、自分にはわからなかった。ただ、頭は「なんで」と尋ねられるくらいには、冷静だった。
「つらかったから」
姉は即答した。僕はそれに苛立った。
「みんなつらい思いしてる」
「わかってる。××君だって……」
僕を昔のように呼ぶその言い方が癇に障って、僕は、手をあげそうになった。
「黙れ」
だから僕は、そう叫んで、すぐ外に出ていった。自分が何の用で外出しようとしていたからは思い出せなかった。
ともあれ、自分が怒りを抑えて、すぐにその場を離れることができたことを、誇りに思った。もし母なら、姉にもっとひどい仕打ちをしていただろう。
しばらくして、家に帰ってくると、また姉と鉢合わせた。姉は、外に出ようとしていた。僕は反射的に舌打ちしてすれ違いざまに「死ねよ」と言った。言ってしまった。言ってしまったあと、僕はすぐに後悔したが、そのことを姉に謝ろうとは思わなかった。僕は、姉に対して申し訳ない気持ちになったのではなく、まるで馬鹿な人間みたいな捨て台詞を反射的に言ってしまったことを、恥ずかしく思ったのだ。
今思うと、自分のそういう人間性が、一番恥ずかしい。そうだろう? 僕はいつも、自分のことしか考えておらず、相手の気持ちを想像したり、思いやったりする発想が、完全に欠けていた。それはある意味において、すべての犯罪の源であり、どうしようもない、人間一般の罪深さなのではないかと思わずにいられない。
あぁ、これも結局自己弁護なのかもしれないと思う。
姉は、二度と家に帰ってこなかった。彼女が、遠く離れた場所で首を吊って死んでいたことがわかったとき、彼女の死体はすぐに業者が片づけ、簡素な葬式が行われた。母は大泣きして、僕に縋り付いてきた。僕は、呆然として、状況に流されていることしかできなかった。
こういうときに、一番仕事をしたのは父親だった。父親は、すべての手続きをひとりでこなし、僕と母の精神的なケアまで行った。
父は「俺が全部悪い」と言った。だがおそらくは、そう思っていなかった。そう言っておけば、丸く収まることを、父はわかっていたのだと思う。
僕は、母のために大学での学習を継続した。本当は、自分のために、考える時間が必要だった。だが、これ以上、取り返しのつかないことになってしまわぬように、できるだけ、これまで通りふるまおうと努めた。それが正しいことだったかどうかはわからない。
家に姉がいないことが、この家庭にとってどういう意味を持っていたかは知らない。母は、精神病院に入院した。僕は、家事が得意ではなかったから、当時よく授業で一緒になった同級生の女の家に居候することになった。僕は、その女にだけは、なぜかすべてを素直に話すことができて、自分の弱さや、ダメなところをさらけ出すことができた。
こんなことを言うのもなんだが、彼女がいなくとも自分は乗り切ることはできたと思うけれど、彼女に助けられたおかげで、立ち直るのが早かったのは事実だ。
こうして、今の気持ちを文章にして整理しているのも、彼女の勧めがあったからだ。逆に言えば、彼女が勧めてこなければ、僕はこうして自分の罪を文章にして残そうなどとは思っていなかったことだろう。
これはとても恥ずかしいことなのだと思っていたし、できればやりたくなかった。きっと、最低な気持ちになるだろうなと予想していた。でも、ここまで書いてみて、少し自分の気持ちが軽くなったように思うし、彼女の言うように、自分が少し許されたような気持ちになっている。
しかし、なんといえばいいのだろうか。この恥ずかしさは、なんといえばいいのだろうか。人に、自分が悪く、ダメなやつだと思われるのとは全く違う、この感情は。僕は、自分が、許されようとしていることが恥ずかしい。自分の、何が悪かったのかすらわかっていないことが恥ずかしい。
もし、姉の魂がまだ残っていたとしても、きっと姉は、自分を少しも恨んではいないだろうというこの確信が、そんな人を、死なせてしまったうえに、それでいて、この程度しか苦しんでいないという事実が、どうしようもなく恥ずかしいのだ。