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小瓶

作者: 竹取 裕基

 私は、車窓から見える山々を見ていた。

 赤い鉄橋が窓から見えた。

 鉄橋から青く澄み切った川が眼下に見えた。車内には、窓の外をじっと眺める一人の若い女性と、親子連れの観光客がいるだけだった。

 鉄橋を越えるとまた緑の木々が見えた。いつまでも続く緑の壁が途切れたかと思うと、今度はまたトンネルに差し掛かった。

 車窓に自分の顔が映った。

 その顔は、都会の暮らしで随分やつれていた。朝から晩まで忙しく働くだけの日々が私の顔に早すぎる老いを刻んでいた。

 思えばひたすら労働に費やしてきた半生であった。四十八になっていた。

「次は、池底(いけぞこ)です。次は池底で止まります。降りられる方はお忘れ物なく車両前方の運賃箱に運賃をお入れください」

 機械的なアナウンスが流れた。

 この二両編成の電車に車掌はいない。運転手が一人で車掌の役もこなしているのだ。

池底で降り駅からしばらく歩くと実家に着いた。街の様子は、若き日に故郷を出た時とほとんど変わっていなかった。

 目の前に古びた二階建ての家屋があった。

 ここにはもう、誰もいない。父も、母もずっと昔に亡くなった。昨年、幼い一人息子を難病で亡くし、その後、妻と離婚した私には、この人生に絶望以外、何もなかった。

 古びた鍵を取り出して、ドアを開けた。

 懐かしい母屋。懐かしい廊下。だがそこには誰もいなかった。

 少しほこり臭い居間に腰を下ろすと疲れから寝入ってしまった。

 目が覚めると夕闇が支配していた。実家を出ると、近所を歩いた。

 昔よく行った小さな商店がある。都会で言えばコンビニにも似ている店で、何でも置いてあるのだ。

 店のドアを手で開いて入った。

「お! 武君じゃないか!」

 店番をしていた柳田さんが親しげに声をかけた。

「ああ、お久しぶりです」

「どうしたの? 帰ってきたのかい?」

「ええ、まあ」

「でも、今日は平日だし、何かあったのかい?」

「いや、別に何もないですよ」

 私はそう言って照れ笑いを見せた。

「そうか、それならよかった」

 しばらくたわいもない会話をした後、弁当と、ビールを買って店を後にした。柳田さんもすっかり老けた感じがした。

 実家で、弁当を食べながらビールを飲んで寝た。

 人生の最後の晩餐にしては侘しかった。

 ――翌朝。

 小鳥のさえずりで目が覚めた。

 窓を開けた。

 小雨が降っていた。

 カバンの中から、小瓶を取り出した。

「試薬 シアン化カリウム25g」

 と、書かれたその地味な小瓶に青酸カリが入っていた。小瓶をじっと眺めた。

 子供の頃、一番好きだった裏山の公園の東屋の中で、死ぬことに決めた。

 小瓶と遺書を持って、裏山に向かった。

 小さな山道を頂上まで登ると、公園になっており、黒い小さな東屋がある。ちょうど丸木小屋のような感じになっていて、そこから故郷の街を眺める事ができる。

 景色もよく、あまり人も来ないので、死ぬにはちょうどいい場所だった。

 難病の息子を何とか助けるために、会社の金を二千万円横領した罪で警察に追われている私は、もうこの世界のどこにも居場所がなかった。だから最後は、故郷の街で死のうと思った。

 小道を一歩、また一歩登る。

 ようやく東屋に着き、腰を下ろした。懐かしい故郷の街並みが見えた。絶え間なく小雨が降り続けていた。

 ポケットから出した青酸カリの瓶をじっとみた。

 ふと、視線を林の中に向けると、誰かがロープを木の枝にかけている。よく見ると、セーラー服の少女が首を吊ろうとしていた。

 思わず駆け出していた。

「君! 何をしているんだ!」

 私は思わず怒鳴った。

 少女は逃げようとした。私はその腕をつかんだ。

「やめて! 離して!」

「ダメじゃないか! 死んじゃだめだ!」

「離してよ! 死なせてよ!」

「ダメだ!」

 少女は、その場で泣き崩れた。私は、ハンカチを少女に渡して東屋へと連れて行った。

「どうして死のうとしたんだ。わけを話してくれないか」

 そう言うと、初めはなかなか話そうとしなかったが、粘り強く話を聞いているうち、学校でいじめられていると話した。些細な事が原因で、クラス中から仲間はずれにされているという。

 今日は学校に行くふりをして、ここで死ぬつもりだったらしい。一通の遺書も持っていた。

 いじめは許せないし、いじめる方が絶対に悪いという事を話した。

 そして、信頼できる大人に相談するように話をした。少女は躊躇していたが、何時間も粘り強く説得した。やがて、少女は死ぬのをやめると約束してくれた。

「とりあえず、母に相談してみます」

「ああ、そうした方がいい。とにかく死んではダメだよ」

「解りました」

「頑張るんだよ」

 深々と頭を下げて、少女が山を下りていくのを見送った。

 青酸カリの小瓶を取り出した。

 死のうとしていた私が、一人の少女の命を助けた。私にも、まだ生きる意味があるのかも知れないと思った。

 小瓶をポケットに入れると、また街を見た。雨が上がり雲間から太陽が差してきた。

 くっきりと虹が大空にかかっていた。

 生きてみようと思った。



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