05 ストリートバット
「では、わたくしはこれで失礼いたします。トキトメのレベルが上がったときに、再び相まみえることでしょう」
「もう来なくていいよ」
「いいえ、わたくしはあなたを導かなくてはならないのです。パンティーの元へと」
「お前、時の女神なんかじゃなくて、本当はパンティーの神様なんじゃないのか?」
そんな他愛ないやりとりをしたあと、ツァイトは名前どころか本性まで変だった女神と別れる。
そして、再び時を動かしたのだが……。
すぐさま、チンピラたちに囲まれてしまった。
「ツァイト! 昨日は派手にやってくれたそうじゃねぇか!」
「俺たち『ストリートバット』に手を出して、タダで済むと思ってんのかよっ!」
チンピラたちは、このあたり一帯を仕切るワルのグループ、『ストリートバット』の者たちであった。
ボスが野球好きで、野球のバットを武器にしているのが特徴。
構成員たちは普段は素手なのだが、抗争の時にはバットを持ち出す。
昨日、腕を折られた熊チンも、片腕にバット、片腕を吊ってお礼参りに参加している。
そんな物騒な大人たちに囲まれてしまったツァイト。
仕返しがあるのは覚悟していたが、まさか組織まで動くとは思っていなかった。
――これは、マズい……!
と思う間もなく、チンピラどもは一斉に襲いかかってくる。
「全身の骨を粉々にして、二度と起き上がれねぇようにしてやれーーーーーっ!!」
――時よ、止まれっ!
ツァイトがそう念じると、
……ピチョン……!
左手の甲にある紋章に、水滴が落ちるような感覚があった。
直後、水しぶきのような波紋がうまれる。
それは地面を、壁を、空間を這い、波打たせた。
時の狭間から現れた、波濤に飲み込まれたものは……。
絶対零度のブリザードが通り過ぎていったかのように、氷結して動かなくなる。
新しい法則によって塗り替えられた世界、その中心にいた少年以外、すべて……!
ツァイトが自分の意思で時を止めたのは、これが初めてのことであった。
「ほ……本当に、止まった……!」
女神が創り出したのと何ら遜色のない、『トキトメ』の空間。
それはまるで、第2の故郷に帰ってきたような安心感を、少年に与えていた。
殺意に満ちた表情の大人たちに完全包囲され、今まさに凶器を振り上げられていても、ここにいる限りは絶対安全。
しかしずっとここにいるわけにはいかない。
いつかは時を動かし、この問題と対峙しなくてはならないのだ。
ツァイトは、薄汚れた木のバットたちを眺め回しながら、苦い顔をする。
――『ストリートバット』のヤツらには、過去に何度もバットで殴られてきた。
ヤツらは、セレブ街のゴミから新しいバットを手に入れるたびに、ナワバリにいる罪なき人たちを使って、殴り心地を試すんだ。
しかも、殴られると骨が折れるから、ずっと痛い思いをするんだ。
俺が足を折られたときなんかは、何日も歩けなくて、ゴミ拾いにも行けなくて大変だった。
その時は、コロネが取ってきてくれたネズミとかを食べて飢えをしのいでいたんだ。
これだけの敵にいっぺんに殴られたら、全身の骨がグシャグシャになってしまうだろう。
たとえよけたとしても、一撃はくらってしまうかもしれない。
一箇所でも骨が折れてしまったら、戦闘不能になるのは、間違いない……!
時を止めているのだから、動けない敵を叩きのめすことは簡単。
しかしツァイトの思考には大前提として、『卑怯なことはしない』というのがある。
動けない相手を攻撃するという作戦は、そもそも論外であった。
そんな高潔すぎる心を持った少年が、出した答えとは……。
「そうだ! 骨を鍛えればいいんだ! 骨さえ折れなければ、戦い続けられる!」
ツァイトの頭上で、ピコーン! と電球が閃いた。
「昔、学校にいた時に習った! 骨は衝撃を加えれば強くなると!」
さっそく握り拳を作り、全身を叩きはじめる。
その場でぴょんぴょん飛び跳ねて、さらに着地の衝撃を骨に伝えた。
1日ほどそんなことを無心に繰り返していると、あることを思い出す。
「そうだ。骨を強くするのは栄養も大事だったはず。たしか、カルシウムというのを摂ればいいんだよな。カルシウムが多く含まれている食べ物といえば……『魚』?」
魚はこのスラム街においては、肉や野菜と並ぶ貴重品である。
セレブ街のゴミから出る魚は、ほんとんどが腐っていて食べられないからだ。
スラム街に流れる、下水ではない川はキレイなので、魚が獲れるのだが……。
そんないい川は、ワルのグループが独占して漁をしている。
普段であれば、近づくだけで見張り番から猿のように威嚇されるのだが……。
今は、入り放題っ……!?
「よしっ、魚を獲ってこよう!」
ツァイトは思い立つなり、殺意の包囲網から抜け出す。
チンピラのひとりが先を尖らせたバットを持っていたので、魚獲りに役立つかと思い拝借。
地を蹴る勢いで、さっそうと川を目指した。
途中には、軒先に魚を並べる店がいくつもあったのだが、脇目もふらずに。
それはさながら、夏休みで田舎のおばあちゃん家に来た、子供のような純粋さであった。
川は、『リバーウルフ』というワルグループの根城で、彼らはスラム街における漁業を支配している。
川沿いはバリケードで守られ、等間隔に建てられた見張り台には、チンピラどもが侵入者に対して目を光らせていた。
普段は厳しい彼らであっても、今はカカシ同然。
ツァイトはやすやすとナワバリの中に入ることができた。
川は魚の養殖もしているようで、すぐに魚影が見つかる。
トキトメの最中は水の上にも立つことができるので、ツァイトは魚の群れの上に立ち、銛のように構えたバットを振り下ろす。
バットの先端が触れた途端、固いはずの水はゼリーのように軟化し、
……ずむんっ!
と奥深く埋没。
ずるりバットをと引き揚げると、そこには……。
「さ……魚だぁーーーーーーーっ!」
思わず歓喜の雄叫びを漏らすツァイト。
銛突き漁というのは技術を必要とするものだが、時間が止まっているのであれば、これほど簡単なものはない。
ツァイトは時間も忘れ、夢中になって魚を獲りまくり、川岸に魚の山を築き上げた。
「これだけ獲ればじゅうぶんだろう!」
と、そびえ立つ魚山を見上げ、大事なことに気付く。
「これ、どうやって食べればいいんだ? トキトメの中じゃ火も固まってるから、調理もできない……」
まさか調理している間だけトキトメを解除するわけにもいかない。
ストリートバットのヤツらは待ってはくれないし、魚を食べているところを見られでもしたら、今度はリバーウルフたちをも敵に回すことになる。
となるとこの魚は、獲ったのに食べられない、絵に描いた餅……!?
などと思っていると、いきなり左手が輝き出した。
手の甲にある紋章に入っていた『2』の数字が、『3』に変化する。
「これは、もしかして……!?」
「そう、そのもしかして、ですよ」
背後からの声は、もう振り返る必要もない相手であった。
「あなたが魚を獲ったという経験を積んだことにより、トキトメがレベルアップしました。レベル2では、『炎のエレメンタルの力』が得られます」
「ということは、次は炎にも干渉できるようになったのか?」
「はい、そうです」
「おおっ、そりゃあいい! これでトキトメの中で、魚が焼けるぞ!」
「魚を焼いて、どうしようというのですか?」
「そりゃ、食べるに決まってるだろ!」
「召し上がるのであれば、魚ではなくて、パンと紅茶にしてみてはどうでしょう?」
「パンと紅茶? なんで?」
「パン紅茶だからです」
ツァイトはリバーウルフたちが集まる焚火を見つけたので、その火で魚を焼いてみることにした。