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04 女神の正体

 ツァイトは、スラム街の外れにある、川沿いに住んでいる。


 『地獄の川(ヘルズ・リバー)』と呼ばれるその川は、裕福層が住むセレブ街の下水道を源流とし、庶民が住むコモン街のドブ川を経由し、貧民たちのスラム街へと流れ着く。


 ツァイトの住まいはその最下流にあり、国じゅうの汚水が集まる場所であった。


 川面は、穢れた虹のような七色の汚濁に覆われ、熱せられてもいないのに泡立っている。

 動物の死骸や汚物が浮かび、鼻の曲がるような腐臭を放つその様は、地獄の釜のよう。


 まさに、この世の終わりのような場所であった。


 少年が、このような場所に住まざるを得ないのは、収入の無さにある。

 仕事のゴミ拾いは、街のチンピラグループが独占しており、彼らも拾わないような余り物を掠め取るのみ。


 それらを売った日銭はわずかなもので、パンを買うだけで無くなる。

 しかも別のチンピラグループから、それすらも奪われることがあるのだ。


 この街はいくつかのチンピラグループが割拠しており、力なき者は容赦なく虐げられる。


 しかし今日、ツァイトは初めてその一角に抵抗したのだ。

 仕返しは怖かったが、その時はまた『トキトメ』で対抗してやろうと思っていた。



「おーい、いま帰ったぞ」



 橋の下にある犬小屋に潜り込むと、中には一匹のカラスがいて、カァーと鳴いた。



「大人しくしてたか? コロネ。羽根の怪我も治ったみたいだな、明日からはまた一緒に、ゴミ拾いにいくか?」



 コロネと呼ばれたカラスはまた「カァー」と鳴いた。



「そうか、よしよし。それと今日はごちそうだぞ。チンピラをやっつけたら、パンとリンゴをもらったんだ」



 ツァイトとコロネは、ひときれのパンと、半きれのリンゴを分け合って食べる。


 少年にとっては、1年ぶりの家族との食事。

 ひもじいのは相変わらずだったが、幸せだった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 次の日、ツァイトはいつものように朝早く起きると、コロネを肩に乗せて家を出る。

 今日は、妙に街が静かだった。


 そして、チンピラと戦った通りにさしかかったところで、ようやく気付く。



「時が、止まってる……!?」



 昨日と同じように、街がふたたび凍りついていたのだ。

 肩に乗っているコロネも、彫像のように固まっている。



「俺は、トキトメの能力を、使ってないはずなのに……!?」



 すると、昨日と同じように、背後から声がした。



「わたくしがやったのです」



「その声は……たしか、ヘルパンティー! まだ俺になにか用なのかよ!?」



 路地裏から音もなく現れた少女は、昨日と変わらぬ美しさをたたえながら、少年の前に歩み出る。



「『トキトメ』の能力がレベルアップしたので、伝えに来たのです。左手を見てください」



 ツァイトが左手を見やると、手の甲のところに、紋章のようなものが浮かび上がっていた。



「これは……!?」



「それは、『トキトメ』の能力が本当にあなたの物となった証です」



「今までは、違ってたっていうのか?」



「はい。わたくしが授けた時点では、『トキトメ』の能力はレベル0でした。でもあなたは昨日、経験を積んだので、レベル1となりました」



「……もしかして、俺を試していたのか?」



「いいえ、そういうわけではありません。『トキトメ』を受け取ったあなたが、どのように使うのかを見定めていただけです」



「そういうのを、試してるっていうんだよ。で、レベルがあがったら、なにかいいことがあるのか?」



「はい。レベル1になると、『水のエレメンタルの力』が得られます。『トキトメ』内では水は固形物でしたが、これからは軟体のように干渉できるようになります。これは、水のエレメンタルの協力によるものです」



 「水に、干渉……?」と、ツァイトはあたりを見回す。

 ちょうど昨日、リンゴとクルミを買った露店の軒先に、木桶に汲まれた水を見つけたので、近寄ってみた。


 昨日、トキトメの中で水を確かめたときは、氷のようにカチンコチンだったのだが、今は……。



 ……ずぷぷ……!



 中に、手を突っ込むことができた……!


 しかし感触は水のそれではない。

 まるでスライムを触っているかのような、不思議な触感に包まれる。


 しかしその冷たさは、確かに『水』であった。

 思わず「おお、すごい……!」と唸るツァイト。


 感激していると、いつの間にかそばに、ヘルパンティーが立っていた。



「レベルアップのお知らせをしたところで……。ひとつ、お伺いしたいことがあるのですが」



 そう言って見下ろす彼女の表情には、穏やかさが消えていた。

 指先は、露店に積まれたリンゴを指さしている。


 ツァイトはいぶかしげな表情で尋ね返した。



「なんだよ、リンゴがどうかしたのか? ……あ、もしかして買ってほしいのか? そうだなぁ、いい能力をくれたから、お礼をしてやってもいいんだが……。今は無理なんだ、なにせ俺はいま無一文なんだ」



「なぜ、そのような考えに至るのですか?」



「えっ?」



「時を止めているのだから、もらってしまえばよいでしょう? なぜ昨日も、わざわざお金を払ってリンゴやクルミを買っていたのですか?」



「それは泥棒じゃないか」



「ええ。でも、誰にもバレないんですよ?」



「そういう問題じゃない。バレようがバレまいが、泥棒はいけないことだ」



「……それはまぁ、いいでしょう。ではなぜ、見なかったのですか?」



「見なかったって、なにを?」



 すると、いままで穏やかだったヘルパンティーの表情が一変、



「パンティーに決まっているでしょうっ!!」



 まるで正体を表した誘拐犯のように、ぐわっと吠えかかってきた。



「ぱ……パンティーだと!?」



「はい、そうです! 普通、時間停止をしたら、殿方は真っ先に見るでしょう! パンティーを!」



 ヘルパンティーの楚々とした挙動は一変、一気に不審者へと変わる。

 彼女は四つ足になって、通りすがりの若い女性の足元へ、シャカシャカと這っていくと、



「ほら、こうやって、スカートをめくりあげて覗き込むものでしょう! 時間が止まっているのをいいことに!」



 その姿は女神というよりも、完全に変態であった。



「幼女、若い女、老女で誘惑しても、パンティーを見なかったから、これはたいした偽善者だと思って、『トキトメ』を授けたのに、まさか、時を止めても見ないだなんて……!」



「なに!? 昨日、困ってた女たちは、ぜんぶお前の仕業だったのかっ!?」



 しかしヘルパンティーは悪びれもしない。

 真犯人だとバレた殺人鬼ばりの三白眼で、狂気の独白を続ける。



「はい、それが何か!? わたくしは『トキトメ』の能力を授けて、人間が悪事に使う姿を見るのが何よりも好きだったのです! レベル0の時点で悪事に使えば、神技(ゴッド・スキル)は消え去るものですからね!」



「……もしかして……昨日チンピラに触れたら、『トキトメ』の空間から出たのは……」



「はい、そうですよ! レベル0の『トキトメ』は、人間もしくはそれに付随するものに触れた時点で解除されるのです! だからこうやって這いつくばって、スカートをめくり上げでもすれば……!」



「時は動き出して、犯罪の瞬間を押えられてしまうというわけか」



「はい、その通りっ! その時点で『トキトメ』の能力は失われているので、その人間はド変態の烙印を押され、人生の落伍者となるわけです! それを見てわたくしは、アッハッハッハ! と大爆笑! ……するはずだったのにぃぃぃぃぃぃーーーーーーーっ!!」



 駄々っ子のように、ドスンバタンと地面を転げ回るヘルパンティー。

 彼女がこんなに悔しがっているのは、自分の趣味である『人間を陥れる』が初めて失敗したからではなかった。


 もちろんそれもあるのだが、もっともっと痛手だったのは、



「今まではどんな人間でも、レベル0で悪事を働いていたから、与えた技能を取り上げて、別の人間に与えることで、落ちぶれる様を何度も楽しむことができたにぃぃぃぃぃーーーーーーーっ! レベル1になってしまったら、もう取り上げられないぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」



 ヘルパンティーが神技(ゴッド・スキル)を与えることができる人間は、最大でひとりまでであった。


 しかしツァイトがレベル1になったことで、『トキトメ』はツァイトのものとなり……。

 ツァイトが死ぬまで、趣味ができなくなってしまった……!


 まさか時間停止の能力を得て、悪事を一切せず、己の鍛錬にのみ費やす人間が、この世にいるだなんて……!

 完全なる、誤算っ……!



「うわああああんっ! 悔しい悔しい悔しい悔しいっ! 悔しいよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーんっ!!!!」



 ヘルパンティーは、1等の宝くじの入った財布を落としてしまった人みたいに……。

 顔を伏せたまま、ダンダンと地面に拳を打ち付けていた。


 ツァイトはその姿に、ぜんぜん同情する気になれなかったのだが、やにわに女神は立ち上がる。

 今までの神々しい美しさはどこへやら、土埃にまみれた全身で、ツァイトをビッと指さすと、



「い……いまからでも遅くありません! 少年よ、大志を抱くのです!」



「大志ってなんだよ」



「なるのです、欲望の権化に! 見るのです、パンティーを!」



 女神はついに、ツァイトの口癖までパクって悪事をけしかける。



「最っ低だな、お前……」



 呆れ果てた様子の少年は、知らなかった。


 まさかこの駄女神に、これからも付きまとわれることになろうとは……。

 今はまだ、夢にも思っていなかったのだ……!

煽り虫様からレビューを頂きました、ありがとうございます!

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