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黒い花  作者: 島倉大大主
第一章:朝霧未海
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5

 以来、麗香とは家を行き来する間柄である。勿論見える事、に関しては未海は一言も口にしなかった。

 だが、確信したことがある。

 麗香は未海と同じかそれ以上に見え、また、聞こえているらしいという事だ。モノ達から麗香は視線を巧みに逸らした。だが、突然何かに驚いたように急に振り返ったり、いきなり、え? と返事をしたりする。

 麗香はとぼけているし、未海もあえて追求しなかった。

 だが、今、麗香が何かに気づいていると未海は感じた。そして、今までの溜まりに溜まったものが喉を駆け上がってきた。

 勢い立ち上がる。

「あ、あの、麗香ちゃん、私、その……」

 未海の言葉に麗香は硬直していた。その時、階下から彼女の母親の声が聞こえてきた。

「麗香―、明君来てるわよー」

「ふわいっ!」

 麗香は凄い勢いで部屋の外に飛び出すと、ばたばたと階下に下りて行った。

 未海はしばらく息を止めて麗香が出て行ったドアを見つめていたが、ふうと小さく息を吐き座りこんだ。

 なんとなくだけど、助かった気がする……。

 しばらくすると階下で口喧嘩が始まった。

 ああ、相変わらずラブラブだなあ、と未海は思ったが口には出さなかった。麗香はその手の話を酷く嫌がる(というか照れる)。彼女が言うには今はまだ小学校五年生であり、恋愛は小六からなのだそうだ。高学年、六年生は大人の第一歩で、それまでは好きとか嫌いとかは友情の延長戦、ということらしい。よく判らない理論だ。

 足元でエドが伸びをすると一声鳴いた。

 落ち着いている。だが、いつものように膝の上に乗ってこようとはしない。

 三十分前、未海が部屋に入った時、エドは暴れた。いつもはドアを開けた途端に体をすり寄せてくるほど人懐っこいのに、今日は部屋の反対側をうろうろと歩き回り、近づくと猛ダッシュで本棚の上に逃げ、麗香が笑いながら抱きかかえて未海のもとに連れて行くと、身をよじって飛び降り、ベッドの下に潜り込んだ。威嚇こそされなかったが、どう見ても未海に近寄りたくないようだった。だが、しばらく麗香と話しているうちに、徐々にエドは近づいてくるようになり、未海が手を動かすとそれだけで怯えたように麗香の後ろに行ってしまうのだが、少し前にようやく触れるところまで漕ぎ着けたのである。

 動物も見える。そう本で読んだ。

 でも、あたしが見た限りこの部屋には何もいない。

 じゃあ、何にエドは怯えたんだろう。

 私? でも、今は目の前でごろごろ言ってる……。

 階下での口喧嘩はまだ続いているようだった。ホットミルクにするか紅茶にするかで意見が割れているらしい。こうなると長い。最初はお互い譲らないのに、しばらくするとお互いに譲り合いだし、それで更に揉めるのだ。

 まあ、結局は明君の言うことを素直に聞くのだけども。

 未海はエドの喉を撫で続けながら、ちょっと距離をつめた。驚いたことにエドは即座に頭を起した。

 喉のごろごろが止んでいる。

 その時、ふっと階下の二人の声以外の音が途絶えた。

 思わず窓の外を見て、腰を浮かそうと思った。途端に蝉の声が響き始め、エドがぱっと起き上がると、小さく鳴いて未海の膝の上に乗ってきた。

 蝉。

 そうだ――今朝、蝉の声を聞いていない。昨日は朝から夕方まであんなに鳴いてたのに!

 ぞくり、と背中に冷たいものが走った。

 なんで今朝はあんなに静かだったんだろう? 

 蝉も、鳥も――そうだ、玄関から出た時に隣の林から鳥が飛んで行ったのに、一匹も鳴いてなかった。野良猫もいなかった。ゴミ捨て場でいつも騒いで散らかしている烏だっていなかった。

 普通じゃない。

 原因は――まさか――あの嫌な感じ?

 隣の隣、二〇三号室? あそこにいる、ドアを開けようとしていた誰かが原因?

「ったく、あんたはガキみたいにミルクミルクって」

「僕にはカルシウムが必要なんだ。こんにちは、朝霧さん」

 やや日に焼けた背のひょろ長い少年、千田明はいつも通りの穏やかな笑顔を未海に向けながら部屋に入って来た。手にはカップが三つのったお盆を持っている。横で麗香が舌を出してきーきー喚いていた。

 未海はああ、うんと曖昧な返事をしながら、どんどん不安になっていく。

 あれは何なんだったんだろう? 悪いもの? 多分、いや、間違いなく悪いものだ。

 ……ママ。

 そうだ、今、家でママは寝て――あ、でも、ちょっと寝たらお仕事に行くって言ってた……。

 電話、そうだ電話を!

 未海は訝しげな顔をする二人の前でスマホを取り出し琴音に電話を掛ける。だが、でない。何度かけ直しても一向にでない。

 なんで?

 ママの仕事は座ってパソコンとにらめっこする仕事だから、すぐでれるんでしょ?

 もう一時近いんだから、例え移動中でも――


 まさか、まだ家で寝てる?


 目を伏せ、体を震わせる未海の横で、麗香が大きな声を張り上げた。

「ど、どうしたのよ、未海ちゃん。さあ! お泊り会の始まりだ! ゲームやろうぜ!」

「あれ? 宿題をやるんじゃなかったのか?」

「はぁ?」

 再び口論を始めそうな二人に、未海は我知らず口を開いていた。

「あ、あの! その……二人に聞いてほしい事があるんだけど」

 麗香の表情がすっと陰る。明はそれをちらりと横目で見ると、腰を降ろした。

「聞くよ。でもその前にカルシウムをとろうか」

 麗香は何も言わず明に従った。


 未海は今朝の嫌な気配、そして自分が『見える』ということを説明した。その間、麗香はずっと俯いたままだった。話が終わると、明がすぐに口を開いた。

「すぐに未海ちゃんの家にを行ってみるべきじゃないかな」

「ダメよ」

 明の言葉を麗香は即座に否定した。

「絶対にダメ。これに関わっちゃダメよ」

 未海は思わず息を飲んだ。

 これ、って……。

 顔を上げた麗香は、慌てて未海に膝立ちで近づくとその手を取った。エドが何事か、と顔を上げる。

「違う違う! 未海ちゃんの事じゃないからね。その――明はこの件には関わっちゃダメってことよ」

 明が唸る。

「どうして? 朝霧さん困ってるじゃないか」

 麗香は振り返って明を睨んだ。明は平然として眉を上下させている。二人の間に流れる空気に、未海は焦った。

「あ、いや、もう私帰るから――」

「帰っちゃダメ!」

 麗香の鋭い声に未海は竦む。明が麗香の背中に手を触れた。

「ねえ、麗香、確かに僕達じゃ何もできないかもしれないけど、調べれば朝霧さんが安心できるだろ。大人に相談って手もあるんじゃないか?」

「明は黙ってて」

 麗香の押し殺した声に未海は下唇を噛むと、ギュッと目を瞑った。彼女の中に大きな後悔が産まれていた。

 やっぱりこういうことは、人に話すと大変な事になっちゃうんだ。私はまた――

「間違ってる」

 麗香の鋭い言葉に未海はハッとして目を開けた。膝の上でエドがもぞもぞと蠢いている。

 麗香は未海に背中を向けたままだ。だが、その顔はきっと怒ってるに違いない。

「未海ちゃんの考え方は間違ってる。

 あたし達は子供なの。だから、助けてほしい時は、助けてって言うべきなの。

 でも、助けられる人と助けられない人がいる。今回みたいに『普通じゃない』時は、わかってて何とかできる人に向かって助けてって言わなくちゃいけないの。じゃないと、どんどん悪いほうに向かっていくことになる」

 麗香はゆっくりと未海に顔を向けた。不思議と、未海の心はすうっと落ち着いていく。

「……ママとか?」

 麗香は溜息をつくと、胡坐をかいた。

「そうね。大人の『わかる人』に相談するのがベスト。明なんか近づいただけで泡吹いて倒れちゃうんだから」

「鍛えてるんだがなあ」

 明の言葉を麗香は鼻で笑った。

「竹刀を早く振れても、ああいうのがわからなくちゃどうしようもない。あんた毒ガスって鍛えれば何とかなると思う?」

 明は口をへの字にし、未海をちらりと見た。麗香はその視線に気づき慌てた。

「いや、今のは例えで――」

 未海は頷いた。

 何となくわかる。二〇三号室の前ってそんな感じだ。毒ガスが漏れていた。あの郵便受けから漏れていた……。

「……あのね、未海ちゃん、その、えっと――」

 言いよどむ麗香の背中を明がポンポンと二回叩いた。

「わーってるわよ……あのね、未海ちゃんが気持ち悪いと思ってるその部屋ね、毒ガスどころじゃないの。結構、いや、かなりヤバいの。近寄らない方がいいと思う。絶対にだよ」

「でも、その気持ち悪い場所、うちの二つ隣の部屋だし……」

 明が、うーんと唸った。麗香が、だから! と声を荒げた。

「今日は泊まっていきなよって言ってるの! その……だから、朝、メールを――」

 未海はあっと声を上げると、麗香に詰め寄った。

「それってどういう意味!? 麗香ちゃんは、事前にあの嫌な感じのことが判ってたの!?」

「い、いやその……」

 麗香はしばし言いよどみ、それから長く息を吐くと、話し始めた。

「……あたしは、未海ちゃんが予想してる通り、そういう力があるの。ちなみに、こいつは知ってるから」

 麗香は明を指差した。明は肩を竦めた。

「麗香の御両親も知ってるよ」

 未海はぽかんとした顔で、二人を交互に見た。

「あの……そういうのって、その――」

「いや、誰でも彼でも話してるわけじゃないよ。未海ちゃんが思ってる通り、そういう事を話すと、どえらい事になる時があるからね。うちの親とかこいつは、そういうのを心得てるから」

「へえ……。え? あれ? 私、その――」

 ドギマギする未海に、麗香は髪をバリバリとかくと、ごめんと言った。

「あたしは、見えたり嗅げたり聞こえたり、ちょっと先のことがわかったり、その……仲が良い人の心がちょっとわかったりするの。ちょっと覗いちゃったの。ほんとゴメン。普段はそういうの絶対しないようにしてるんだけど」

 未海は麗香を穴が開くほど見つめた後、顔をごしごしと擦った。

「わ、わかった。うん、別にいいよ。私も時々やっちゃうし……。で、でさ、メールの件は、どういうこと?」

「……未海ちゃんにメールをしたのは朝起きたら、未海ちゃんが危ないって頭の中に浮かんだの。いや、飛び出してきて暴れたって言い方の方がいいかな。なんか、嫌な夢みてさ、そこからの連想なんだけど、ともかく、うちに来させればいいって思ったから、あのメールを送ったの。未海ちゃんもその――何か夢を見なかった?」

 未海は更に頷いた。

「見た! で、でも内容の方は覚えてなくて。麗香ちゃんは覚えてる?」

「あたしも、全然ダメ。普段なら欠片ぐらいは覚えてるんだ。だから、逆にこれはヤバいかもって思ってたら、その――未海ちゃんから凄い臭いがして――」

「え!? ど、どんな臭い?」

「うーん……ぶっちゃけると、ドブみたいな……」 

 未海は膝の上のエドを見た。

「エドは……あたしにくっついてきた臭いに怯えたんだ……」

「だと思う。でも、その臭いはどんどん薄くなっていったんだ。だから、問題は無いのかなと思ったんだ。でも一応用心でお泊り会をって提案をしたんだけども……さっきの話を聞くと……その……」

 明が首を捻った。

「なんなんだ、それ? 何が起きてるんだ?」

 麗香は頭を振る。

「わかんない。でも、子供にはどうしようもないもの、だよ。それだけは間違いない。だから、未海ちゃん家に帰っちゃダメ。未海ちゃんのママは、もう家にいないんでしょう?」

「それは――来る前にはそう言ってたけど――でも、何度電話してもでなくて――」

 明が唸った。

「だとするなら、絶対に行かなくちゃならないじゃないか」

 未海は頷く。

 そうだ。

 絶対に帰らなきゃいけない。


 ママを一人にしてしまった、私にはその責任があるんだ。


「そんな、ことは……」

 麗香の消え入りそうな声に、未海は心を読まれたことを悟った。だが、悪い気はしなかった。未海をとても心配してくれている、それが伝わってくる気がしたのだ。

 麗香はくそっと小さく毒づくと、立ち上がり机の引き出しを開けた。

「未海ちゃんの、そういうとこが嫌い! 子供なのに、大人すぎるとこが嫌い!」

 明が肩を竦めて、本気じゃないからと未海に笑いかけた。未海は頷く。

 頷いてばかりだな、とぼんやりと思っていると、じゃらじゃらと派手な音がした。

 麗香は取り出した物を未海に投げてよこした。

「……あげる。どうせ止めても帰るんでしょ? 根付よ。メイドインあたし。お守りみたいなもんだから、絶対に手放さないで。今……ちょっと力をこめたから」

 紫色の組紐の先に、小さな蛙が五匹付いていた。それぞれが緑に白、赤、黄、青と色が違う。抓んでみると、固く滑らかだった。

「何でできてるの?」

「石よ。アクセの店で売ってるパワーストーンを知り合いに削ってもらったの」

 未海は蛙たちをじっと見ると、立ち上がって麗香に頭を下げた。

「ありが――」

 麗香が大声でそれを遮った。

「お礼なんか言わないで! あたしはついていけないんだから! そんな物、気休めにしかならないんだから! 帰らないでこの場にいなよ!」

 明が溜息をつく。

「どうしたらいいんだろう。僕達は……無力だな」

「うっさい、バカ明! ああ、もう!」

 椅子を蹴っ飛ばして麗香が未海の前に飛び込んできた。エドが一声鳴いて飛びあがると、明の後ろに隠れる。

 麗香は泣いていた。

「行くな! 死んじゃうんだぞ! あたしにはわかるの! とっても怖い事が起きるんだ! もう、もう会えなくなるかもしれな――」

 明に後ろから抑えられながら、泣き喚いて暴れる麗香。その前で佇む未海の頭の中には一つの言葉がぐるぐると周っていた。

 ママ、ママ、ママ……。

 未海はじゃらりと根付を掲げ、二人に笑ってみせた。

 麗香と明がぐっと固まる。

 未海はくるりと踵を返すと、部屋から飛び出した。明を振り解いた麗香が階段の降り口に建つと、玄関が勢いよく閉まる音が聞こえた。


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