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黒い花  作者: 島倉大大主
第三章:歩き種
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10

 気がつくと、あたしはあたしを見ていた。

 ん? なんじゃこりゃ? と一瞬だけ混乱したが、すぐになんとなく理解する。

 あたしが目を瞑って倒れていて、その周りに真木と婆ちゃんがいる。

 あたしは両手を目の前に持ってくる。おう、お約束通り透けていやがる。

 ……これ、死んでるんじゃないだろうな、あたし。

「いや、それはない」

 真木が眼帯をずらして、あたしを見上げた。

「京さん、君は不完全人造神虫の消滅により生じた力で、意識という名のエネルギー体を体から離脱させてしまっている状態――言い換えれば、魂の脱臼状態、もっと簡単に言えば、幽体離脱状態なのだ!

 ところで君の今の状態なら、リンクできるらしいのだよ」

 は? リンク? 何と繋がるっての?

「裕子じゃ」

 婆ちゃんはあたしを見ると、びっと上を指差した。

 何事か? とあたしは振り返る。


 あ―――――おっ。


 あたしは、あたしがびょーんと伸びるのを感じ、そして一瞬のうちに空にいることに気がついた。

 おお! これは打ち上げ花火、上から見るならって風景で――

 あまり気持ちよくないな……。

 ともかく居心地が悪い。尻の辺りがむずむずする。好きな方向が向けない。というか勝手に、くるくる体が回る。仕方がないので胡坐を組んでみるが、そのまま回るうえに床が無いので落ち着かない。下に何もないという状況なので、足の形を維持しようと考えると何だか足がだるくなっていく。

 景色は良いのだけども、まあテレビにネットにと映像メディアの事欠かない今の時代においては数分で飽きる風景と言えるだろう。ってか好きな方を向けないんで風景も糞もないのだ。

 なんだよ幽体離脱。だるいぞ幽体離脱。つまんねーぞ幽体離脱。

「京さん、いいから御霊桃子を探すんだ」

 おお? 今、先輩の声が聞こえたんだけど。

「あのな、君は幽体離脱してるだけだぞ? 君の耳元で喋れば聞こえるに決まっているだろう? ちなみに今の君の状況を説明すると、君は白目を剥き、よだれを垂らしながら、体をプルプル震わして、譫言(うわごと)で幽体離脱の文句を延々述べている、という感じだ。いや、これは酷い」

 マジか。

 あ、先輩、間違っても写真とか動画を撮るなよ。撮ったら殺す。よろしくて?

 舌打ちが聞こえた。

「恵子、何か見えたり聞こえたりせんか? お前と裕子は姉妹じゃ。因果が変わろうとも、再び出会ったように、どこかで引きあっている。何か判るはずなんじゃ」

 いや、そんな事言っても体がくるくる回ってて――

 と、腕にギュッと掴まれる感触があり、回転が止まった。

「固定したぞ! 今君は固定されているから、回ってはいない!」

 ああ、そうやって意識するのが肝心ってわけか。

 そういや、打ち上げ花火なんて連想したから、くるくる回ってたのかもしれない。

 あたしは辺りを見回した。

 山と森。それが終わると田んぼで、その向こうに密集した建物。三百六十度、殆ど同じ風景が延々と……いや、あれは――

 見つけた、と思う。真っ黒い霧みたいなものが吹き上がってるな。

「それじゃ! 近寄って、町の手掛かりになる物を探すのじゃ。ただし、黒い霧に触れてはいかん。お前は今、剥きだしじゃ。何が起こるか見当もつかん」

 近寄るったって……あ。

 まるで画像ソフトで拡大するように、風も抵抗もなく、ぐんぐん町が近づいてきた。

 うおおおおおっ、あ、いや、驚いてる場合じゃねえや。

 えーっと、自販機、電柱、信号機は――


『たす……』


 ん?


『助け――誰か――麗香ちゃん――神さま! ママ!』


 なんだぁ?

「どうした、京さん」

 今、誰か助けてって言った?

「儂らは何も言っておらん。恵子、住所を見つけて早う戻ってくるのじゃ。その声を聞いてはいかん!」

 あたしは気がつくとアスファルトに降りていた。いや、足はついておらず浮いているのだけども。

 あった!

 あたしは手近な電柱に住所表記を見つけそれを読み上げた。

 と、目の端に違和感を感じる。

 あ……、いる。

「どうした、京さん!? 何がいるって!!?」

 く、黒い連中があっちにもこっちにも、いる……。

「……御老人、彼奴等に関しては本にもぼんやりとしか載っていなかったのですが、何かご存知ではありませんか?」

「あいつらに関しては、儂も本以上の事は知らぬ。神虫が咲いた跡地に佇む、人の名残、と書いてあったな」

「ご意見はおありではない?」

「……アレに関してはよく判らん。多分大勢なんだろうとは思うが、一人の時もあるような気がする」

「……成程。一人にして複数。我々は大勢であるが故に……。そうか! やはり――」

「恵子! もういい! 戻って……いや、こっちで起こすから目を瞑りなさい!」

 あたしは言われた通りに目を瞑った。だが――


『助けて! ママとあたしを助けて!』


 叫び声! 今度は完全に、すごく近くで聞こえた!

 子供の叫び声! ……あのアパートか!

「おい、京さん、余計な事をするな! 動くんじゃない! その声に近づくんじゃない!」

 あ。

 いや、無理だわ。これ思ったら勝手に行っちゃうんだもの……。

「御老人! 早く起こせないのか!」

「今やっとる! 何か邪魔が……」

 あたしはアパートの廊下にいた。

 どうやら二階のようだ。目の前の扉の向こうから、子供の、女の子の声が聞こえる。

 あたしはドアを開けようとして、そんな必要が無いのを思い出した。行こうと思えば行けるのだ。だけど、ドアに黒い物がべったりと付いていて、それが例の黒い霧みたいな物を吹きだしているのを目にし、体が竦んで動かなくなった。


『助けて……ママが、ママが病気で……』


 ええい、くそっ!

「よせ!」

「恵子っ駄目じゃ、近くに裕子が――」

 あたしは扉に飛び込む。

 体にしびれが走り、目の前が一瞬赤くなり、台所に着地する。

 あれ? 床の感触?

「ああっ、くそっ! 恵子、警戒しろ! 今のお前は幽霊に近い。裕子に見つかったら、最悪、殺されてしまうぞ!」 

「京さん、君は黒い霧を取り込んで、密度が増してしまったんだ。散らされたら、終わりだ!」

 あー、わかったわかった! 見つかんなきゃいいんだろう?

 あたしは室内を観察する。

 正面に居間。その奥は窓で、やっぱり黒い物がべったり付いている。右隣は襖に区切られた寝室――か?

 意識した瞬間に、襖に仕切られた寝室の前に立っていた。

 中には布団が敷かれていて、そこに女性が寝ている。汗だく――いや、何か酷い発疹みたいなものが顔や腕、見える肌全てにできていて、そこから膿のようなものを流している。

 これは――あの本に載ってた疱瘡に似ている……。

 その傍らの枕元に、女の子が一人俯いて座っていた。

 汗まみれで、ぐったりとしており、震える手で、何も入っていない水差しの取っ手を撫でている。

 大変だ。熱中症にかかっているんじゃ――と、あたしの足元で床がみしりと鳴った。

 女の子は、はっとしたように顔を上げ、あたしの顔を見て、目を見開いた。

『だ、誰だ!?』

 女の子は中腰でさっと後ろに下がる。

 あたしは両手を上げた。

 怯えないで。あたしは――あれ? この部屋、中に入れない?

 パントマイムのように目の前の空間をぺたぺたと触るあたし。少女は瞬きをすると立ち上がる。その手には水差しが握られていた。


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