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黒い花  作者: 島倉大大主
第三章:歩き種
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3

「ここで何をしている。ここは私有地だぞ」

 ロープと猿轡を外された葦田のおばちゃんは、巫女のような白装束と相まって、いつもと全く違って見えた。失礼ながらいつも遠くを見ていたような目はきりりっと鋭く、失礼ながらだらしなく半開きであった口は、食いしばるように真一文字になっている。ご近所さんとしては動揺するなという方が無理な話なのだが、面識のない真木はどこ吹く風、揉み手をしながら社の中央を行ったり来たりしている。

「御老人、私有地と仰いますが、こちらを所有していた教祖様は既にお亡くなりになっておりますよね? 確か巡り巡って今ここは自治体が管理していたはずです。なんでも取り壊しに費用がかかるから、色々コミコミでネット経由で好事家達に売りに出してしまおうという計画があるとかないとか」

 真木の発言をおばちゃんは無視し、あたしを睨む。

「近所の娘じゃないか。なんでここに来た」

「……葦田さん、聞きたいことがあるんです。あたしは――夢を見るんです。そこに黒い人影みたいなのが出てきて、その――喋るんです」

 おばちゃんは目を見開き、小さくやっぱりかと呟いた。真木が手をパンと鳴らす。

「心当たりありぃ!」

「先輩、ちょっと黙ってて」

 あたしの言葉に真木は肩を竦めた。

「失礼。ん? おっと着信だ……」

 真木はスマホを取り出すと社の外に出て行った。あたしは話を続けた。

「連中は『あれが、またさく』って……わかりますか、この意味?」

「……」

「夢にはあなたも出てきます」

「……どんな風に?」

 あたしは窓から覗いている、と口に出そうとした。事実そうした。だが、後半部分は勝手に口から飛び出した。

「あなたが窓から覗いてるんです。それと、あなたが私を真っ黒い穴から――」

 おばちゃんが呻き声を上げ、頭ががっくりと前にたれた。

「……覚えているのか(・・・・・・・)

「……は?」

 あたしは混乱した。あたしは、何でそんな事を言ったのだろう? というか、夢の中であたしの腕を掴んだのは、この人なのか?

「あの、あたし、何が何だか――」

 おろおろとするあたしの肩を真木が叩いた。振り返るとスマホの画面が目の前にある。

 野町さんからまたメールが届いていた。内容はアップローダーのURLだった。一行開けて、かなり長いパスワードが二つ。

「例の動画をアップローダーにあげたとさ。長さは二十分。向こうじゃ誰もまだ見ていないらしい。安全性云々と言っていたが、向こうの『力の強い人』が絶対に見るなと言ったんでビビったってとこかな」

 あたしの肩頬がひくついた。

「つまり、あたしらに見てみろと? ウィーアー、モルモット?」

 真木はイエ~スとニタニタし、しゃがみ込んだ。おばちゃんは俯いたまま、手を組み合わせて、ぶつぶつと何かを呟いている。

「知拳印ですか。もしかして不動断末魔の大事とかいうやつですかね。いやあ、初めて見ました。ということは、あなたに残酷な死が迫っていると解釈してもよろしいですかな?」

 おばちゃんはゆっくりと顔を上げた。真木は会釈をした。

「どうも初めまして、僕は色々身分はすっ飛ばしますが、こちらの京子さんと同じく『あの現象』に遭遇したものでして、名前は真木悟郎と申します。ええと、お名前は千鶴子さんでしたか。御霊桃子という人物をご存知ですか?」

 おばちゃんが眉を曇らす。

「知らん……いや、まさか――裕子の事か?」

 真木はがくがくと勢いよく頷いた。

 あれ? なんかさっきよりも興奮してる?

「そうです、そうです、そうなんです! 一之瀬裕子さんです!

 ……そういえば、こちら賛木ノ集の元教祖様の御苗字は『一之瀬さん』でしたか?」

 あたしはうぇっと声を上げる。

 あいつ、カルト教団の教祖の娘なのかよ!

 葦田のおばちゃんは目を大きく見開いた。わなわなと口が震える。

「……何故覚えているのだ? あの馬鹿は――博人はあいつらもろとも消えたはず――」

 は? 消えた?

 おい、まさか、とあたしは真木を見る。

 真木は笑っていた。

「いやいや、京さん僕も今、消えた教祖の名前を知ったのだよ。だって元信者たちは、『そこまで覚えていなかった』からね。それだけでは、ただの噂なんだよ。

 しかし、一之瀬博人、ねえ……存外普通の名前じゃないか? 御老人、その博人さんの娘さんがかなりの事を仕出かしましてね、おかげで僕達はここにいるんですよ」

 葦田のおばちゃんは、真木を睨んだ。

「……裕子が、何をしでかした、と?」

 真木は満面の笑顔である。

 会って間もないが、これはダメな感じだ。興奮しすぎだ。

「いやあ、とんでもない事ですよ! ただ、彼女がしでかしたことの全容が今一つわからなくてですね、またまた詳細はすっ飛ばしますが、僕は依頼をされ色々調べるうちに京子さんと出会いましてね、そして今ここにいるという具合です。どうでしょうか、お話を聞かせてもらえませんでしょうか?」

 おばちゃんは、あたしにちらりと目を移す。

 あたしは、とりあえず頷いた。

「葦田さん、あたしからもお願いします」

 おばちゃんはしばらく口を真一文字にして考え込んでいるようだったが、やがて胡坐を組むと首の辺りを掻きながら話し始めた。

「わしはここで黒樹巫女というのをやっておった。名称は博人――教祖が勝手に作った物でな、まあ要は宣伝する際のこけおどしじゃな。儂の力を修行の成果で得た秘術とか奇跡とか言っておった」

 真木も長細い足を畳んで胡坐を組んだ。高級そうなスーツも今や汗と埃まみれだ。あたしは若干お上品に、隅に転がっていた椅子を戻すと腰かけた。

「つまり……単刀直入に行きますか! 千鶴子さん、あなたは霊能力者なんですか?」

 おばちゃんは頷く。

「まあ、そんなところじゃ。遠見や祓い、物探しができる」

「それはそれはそれは! あ、ゴホン……ところで一之瀬教祖との御関係は?」

 そわそわとする真木を、おばちゃんは胡散臭そうな目で見ている。

 まあ、初対面じゃそうなる。

「……義理の親子じゃ。儂の家は代々そういう家でな、近隣の悩み相談なんかを細々とやっていた。博人は賛木ノ集の信者で、教祖の座を金でもぎ取った。だが、信者の数が思うように増えず――」

「それで娘さんとご結婚なされて、教団の宣伝となされたわけですか。娘さんもさぞかし有能な霊能力者でらしたのでしょうね」

 おばちゃんは頭を振る。

「いや。うちは一つ抜かしでしか力を授かれなくてな。儂の祖母は儂以上の力持ちだったが、娘は『もたず』じゃった。ただ、孫がな――」

 あたしは背もたれを軋らせた。

「御霊と――いや、一之瀬裕子か。実際会あったけど、いけ好かない点を除けば、確かにそういう力を持っているような雰囲気――」

 すごい勢いでおばちゃんがこちらを向いた。額に汗がびっしりと浮かんでいた。

「……会った、のか?」

「はあ、まあ。大学に乗り込んできた時に会って、それで――」

「色々あって、京子さんは彼女に平手打ちをしたんですよ」

 あたしの後を引き継いだ真木の言葉で葦田のおばちゃんは目をぎゅっと瞑った。ああ、なんと……とかなんとか小さい呟きが聞こえた。

 しばしの沈黙の後、おばちゃんは誰もいない社の入り口の方に顔を向けて喋り出した。

「孫はとんでもない力を持っておった……多分な」

「多分、とは?」

「子供じゃったから具体的に何が、そしてどこまでできるかはわからなかったのじゃ。だが傍にいるだけで空気が振動しているのがわかった。儂は見たことが無かったが侍女の話では――」

「侍女ときた!」

 真木は漏れ出た嬌声に慌てて、自分の口を手で塞いだ。おばちゃんの呆れ顔にあたしは真木に落ちていた小石を投げつける。

「ごめん、おばちゃん。続けて」

「……侍女の話では、手を触れないでおはじきをやっていた、とか」

「サイコキネシスですかぁ!」

 あたしは椅子を蹴って真木の背中に飛びかかると、スーツ越しにぐいと肉を摘まみ、鋭く捻った。おあうっと小さく叫んで真木はやや涙目で黙った。ちなみに手はまだ放していない。おばちゃんはふっと小さく笑った。あたしも釣られて笑う。

 なんか、結構気が合いそうな人に思える。今度町内会の集会に行く時に誘ってみるかな。

「続けてもいいかね?」

 真木はええ、ええとおばちゃんに細かく頷いた。

「他にもテレビで見た芸能人の死期を当てたりしたそうじゃが、まあ、結局何もかも駄目になってしまった。あの姉の所為でな」

 真木が、は? と声を上げる。あたしも眉を顰めた。

「御霊桃子に姉がいたんですか?」

「いや、裕子が姉なんじゃ。あれは自分の何倍もの素養を秘めた妹に嫉妬してな、とんでもない事を博人に言いおった。それに飛びついたあれも大馬鹿だがな」

 おばちゃんはふうと短く息を吐く。真木は顎に手をやり何かを考えているようだった。仕方がないのであたしが先を促す。

「とんでもない事って?」

「そっちのひょろ長い奴、うちが何をやっていたかどこまで知っておる?」

「噂レベルなら」

 あたしがああ、と声を上げる。

「人身御供を捧げてたってあれか!」

 おばちゃんは顎を引くと、ふんと頷いた。

「詳細は知っておるか?」

「いえ。情報源が昔の週刊誌と元信者さんの証言だけですからねえ……。個人的には、そうであったんだろうなあと妄想しておりましたがねえ」

 半笑いの真木を睨むおばちゃんに、あたしは再度先を促した。

「それじゃあ、噂は本当なんですね。なんだって生贄の儀式なんて時代遅れな事を……」

 おばちゃんは立ち上がると、寝かされていた祭壇まで歩いていき、しゃがみ込む。

 どうやら段差の部分に仕掛けがあったらしく、引き戸のようにするりと横に板が動いた。おばちゃんはそこに手を突っ込むとごそごそとやっていたが、しばらくすると風呂敷包みを抱えて戻ってきた。

「これは?」

 真木の問いにおばちゃんは黙って風呂敷包みを解く。中にはボロボロになった和綴じの本が数冊と巻物。それと卒業証書を入れるような筒が包まれていた。


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