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 左手に水の入ったコップを持っていた。

 右手を開かされて、錠剤が、一つ、一つ、乗せられる。

「さあ、のみなさい」

 手が震えて、錠剤が跳ねた。

 母が手を押さえて、錠剤を取った。

「ほら、だめね、まさお。お口を開けて」

 俺が口を開けると、薬を入れられる。

 左手のコップをそっと、口の近くに当てられ、俺は水を口に含んで薬を飲んだ。

「ほら。飲めるじゃない。えらいわ、まさお」

 母が、俺を抱きしめてくる。肩ぐらいまでしかない母が、俺の胸に顔をうずめる。

「えらいわ、まさお。やればできるじゃない」

 しあわせそうな、優しい言葉。

 温かい母の体。

 頭を撫でられていた。

 薬を飲まされる恐怖や、飲んでしまった恐怖は消え去っていた。

 目を閉じてやさしい世界に入っていた。

 おだやかで、何もおこらない、静かなやすらぎだけがそこにある。

 ふわふわとした、言葉も考えもない世界。


 いつの間にかベッドで寝ていた俺は、尿意を感じて目が覚めた。

 頭が重い感じがした。

 物や自身の体に触れている感覚が、どこか鈍い。体中が他人の肌のようだ。

 なんとか立ち上がると、部屋を出た。

 どうやら夜のようだ。明かりをつけて一階に降りる。トイレに入って用をたす。

 寝室に戻る前に、ふと、書斎のあたりに気が向く。

 廊下の明かりを消してみる。書斎から光は漏れない。

 そっと近寄って、扉に耳を付けてみる。

 何も聞こえない。

 俺の感覚がおかしくなっているせいかも、と思って、扉をそっと開いてみる。

 窓はカーテンが掛かっているものの、月明かりがうっすら入ってきて、みえなくはない。

 俺はベッドを注視した。

 シーツが整然としかれていて、人の姿はなかった。

 ここには誰もいない?

 父は、いないのか。

 理由が分からなかったが、俺は震え始めていた。


 気づかれないように部屋を出ると、廊下の明かりを探して壁をまさぐった。

 そして、明かりをつけた瞬間、目の前に人影を見つけた。

 母だった。

「まさお、どうしたの?」

 恐怖で声が出なかった。

 俺は振り返って、何度もトイレを指さした。

「そう。だったらいいんだけど(・・・・・・・・・)

 俺は何度もうなずきながら、母の横を通りすぎた。

 自分は、まるで幽霊か、シリアルキラーと対峙するかのように、母を扱っている。

 なんで、自分を生んでくれた母に、こんな感情を持っているんだろう。

 俺は、母に恐怖を感じるとともに、母に申し訳ない、と思っていた。

 壁に手を当てながら、ゆっくりと階段を上がった。

 本当に感覚が遠い、というか鈍い気がする。

 二階に上がり切った時、大きくため息をついて、階下を振り返った。

 母はついて来ていない。

 確かめたいことがあった。

 俺は妹の部屋の前に立った。

 兄、妹とはいえ、部屋に入るのにノックは必要だ。だが、ノックをして、階下にいる母に気付かれるのはまずい。

 俺は妹の部屋の扉をゆっくりと開けた。

 妹の部屋も、カーテンは閉まっていたが、月明かりなのか、窓のから漏れる微かな光で部屋の様子は分かった。

 小さな棚、テーブル。並べられたいくつかのぬいぐるみ。化粧台には何も出ていない。

 床に肌着が重ねられて置いてある。

 ベッドはだれも寝ていない。シーツがかけられているだけ。チェックインしたばかりのホテルのベッドのようだった。

「!」

 見ているものが白濁して行くと、目の前に床が迫ってきて、意識を失った。


 ……

 天井が近かった。車の中のようだ。

 白くて、赤いラインの入ったヘルメットをした隊員が、どこかの病院と電話をしている。

 救急車だ…… まずい! 俺は声を出そうとするが、体が重く、意識がどんよりしている。

 比重の重い液体の中に引き込まれていくような感覚だった。

 液体の表面に出ている部分だけが、呼吸が出来て、感覚もある。

 けれど、その液体の中に体が沈んでいくと、体は動かないし、見えないし感じなくなっていく。

 母の話し声が遠くに聞こえた


 ……

 目覚めた時は病院だった。

 腕には点滴が付けられていた。

 緊急、というわけではないのだろう。

 普通の病室だった。

 体が動かない。首がひねれない。

 周りを確認する手段は、目を動かすしかなかった。

 仰向けに寝ている俺は、左横に人影を確認した。

「まさお、気が付いたの?」

 椅子に座っていたのか、母はそう言うとこっちに近づいてきた。

 座っていた時より、はっきりと母の姿が見えた。

「話せる? まさお、声でる?」

 俺は何か試しに言ってみようとするが、声が出なかった。

 声がというより体中が重くて、動けないようだった。

「……」

 母が、スッと椅子に座り直す時に、口元が笑ったような気がした。

 何がおかしい…… 何に笑った……

 俺は何かを考えようとしたが、考えようとすると、頭がズキズキと痛くなった。

 母の姿を見ようと眼球を必死に動かそうとすると、それも次第に疲れ、しびれたように動かなくなった。

 天井だけを見つめているうち、思考も止まったようになって、目を閉じた。

 再び比重の大きい液体の海に沈められるように、感覚が失われていって…… そして、眠った。


 ……

 目が覚めた時、俺はすばやく目を動かして、母を確認した。

 母がいない。

 体中の力を振り絞って俺は上体を起こした。

 血液が流れる度に頭が痛くなるようだった。鼓動と同時に頭に痛みが走っている。

 痛い、と頭を押さえようとする腕がダルすぎて、頭まで腕が届かない。

 違う。

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