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『クソがっ!』

 俺は今日も匿名掲示版に、そう書き込んでいた。

 慎重に相手の出方をうかがいながら、反論してこない、弱そうな奴の発言に絡んでいく。

『情弱』

 攻撃的な単語を浴びせれば、勝ったような気がしていた。反論してきたって、無視すればいいだけの話だ。別にこっちの姿はさらさないから、こっちが殺されることは絶対ない。

「まさお」

 一階から、母が呼ぶ声がした。

 ネットに集中して、カッとなっている状態だったから、母を無視した。

「まさお、ご飯だよ。お前の好きな餃子だよ」

 餃子。おそらくいつもの冷食の餃子だったが、一番好きな食べ物だった。ただ、これは母が作らなければ意味がなかった。

 一度、腹が空いたときに自分で作ってみたことがあったが、食えたものではなかった。

 違いを差がそうと、母が作るところをみたことがあるが、裏書を丁寧に読みながら、その通り電子レンジをセットして、チンしたら取り出すだけだった。何が足されるわけでも、引かれるわけでもない。本当に理由が分からなかったが、やっぱり母のそれはおいしい餃子だった。

 餃子と言われ、俺は急いで書き込みを終えた。

『クソクソがっ!』

 ちょっと書き足らなかったが、これでいいだろう。俺はパソコンを閉じた。


 一階に降りると、母が餃子を誰も座っていないテーブルに運んでいた。

 いい匂いだ。

 俺は何も言わず食べ始めた。俺が食べているのを見て、母は「めしあがれ」と言って、それからごはんを持ってきてくれた。

「今日、母さんね」

 俺の正面に座り、話を始めた。

 俺は餃子がうまくて、返事をしなかった。

「精神科に行ってきたの。それでね、あんたのことも相談してきたの」

 俺はご飯を口に入れていて、返事をしなかった。

「あなたみたいな人をね、見てくれるお医者さんがいるって聞いたの」

 俺の何が分かるんだ、と思ったが、俺は言い返さなかった。

「一度行ってみない?」

 母はテーブルの餃子を見つめながらそう言った。俺はいってみるもなにも、と思いながら答えなかった。

「そう…… 母さんも、もう一度診てもらわなきゃならないから、その時にいかない?」

 うるさいな、とだけでも言うべきだろうか。

 俺は口の中にいっぱいの餃子が入っていて、何も言い返さなかった。

「ほら、これ。あなたが飲んでも大丈夫な薬みたいだから。ここに置くわね」

 はあ…… 本人が病院に行っていないのに、薬だけ出るなんてことはあり得るのだろうか。

 そう思いながら机に置かれたピンクの二錠の薬を見つめた。

 残りの薬から別に二錠取り出し、母が飲み込んだ。

「私の病気は、うつ病というんだって。お前みたいに外にも出ず、ずっとパソコンやっている人も、うつ病というのだそうよ。だからこの薬を飲んでいいのよ」

 本当にそんな簡単な診断なのだろうか。母がうつ病だなんて、初めて聞いた。

 父や妹は知っているのだろうか。

「ああ…… 眠くなっちゃった。おやすみ、まさお」

 薬のせいなのか、いつもよりゆっくり、ゆっくりと歩きながら、母は奥のふすまを開けて閉める。しばらくすると、ふすまから漏れる光が消えた。

 俺はこの薬を飲むべきか、ということと、母の『うつ病』宣言を父や妹に相談するか悩んだ。

 父も妹もこの家にいるが、父や妹を見ると俺が暴れる、という理由から、母が顔を合わせないようにしているのだ。

 だから、もう何年もの間、父も妹も、姿を見たことがなかった。

 確かに父も、妹も会社や友達の話ばかりして、俺を苛立たせることが多かったから、会わずにすめばそれに越したことはなかった。だが、母が病気だ、ということであれば、相談した方がいいのではないか、と俺は思った。

 餃子を食べ終わると、俺は二階に上がり、妹の部屋の前に立った。

『何よ、そんな時だけ相談にくるの?』

 妹が言いそうなことが想像された。

『あんたがニートなせいで、どれだけいじめられたと思ってんのよ。まずは薬飲みなさいよ』

 薬を飲めだって? なんでおれまで『うつ』なんだ。なんで薬のことを知ってるんだ。

 俺は踵を返して、一階におり、父の書斎の前に立った。

 父はこの書斎にベッドを入れて、母とは別にここで寝ていた。父の勤め先が遠い為、朝、晩のリズムが違う、そういう理由だった。

『母さんがうつ病? ということは、お前のうつは、母さんの遺伝ということだな』

 そんな父がいいそうな言葉が浮かんできた。なんだよ、いきなり遺伝の話かよ。遺伝て言うなら、お前の遺伝子も俺はもってるはずなんだがな。

『いいからお前も薬をのんで、その先生に診てもらえ』

 俺の記憶している父が、眼鏡をずりあげながらそう言うところが目に浮かんだ。

 俺は父の書斎をノックすることも出来ず、食事をしていたテーブルに戻ってきた。

「……」

 テーブルにはさっきの薬が置かれている。

 母が置いた薬。母が飲めと言った薬。そればかり見ていると、何か薬が大きくなったような気がした。

 俺はうつ病じゃない、と思って薬を無視し、二階へ上がった。


 深夜までずっと掲示板とSNSに張り付いて、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ続け、皆を(けな)して、馬鹿にした。

 けれど、そんなのはいつもの日課になっていて、指が疲れるだけで、楽しくなかった。

 俺の中で、あのテーブルに置いてある薬が占める割合が増えていた。

 薬そのものというより、母の病気のことで頭がいっぱいになっていたのかもしれない。

 その夜、パソコン画面を閉じて、布団に潜り込む時には、夜空が少し(しら)み始めていた。


 喉が渇き、口が渇いて嫌な気分で目が覚めた。

 PCのスリープを解除し、SNSと掲示板をチェックする。馬鹿な若者が釣られに来ていた。いつものように罵倒して、送信をクリックする。

「まさお、ご飯だよ」

 いつもの母の声だった。

 もう父も妹も会社に出ているだろう。

 食事は母と俺の二人の時間になる。

 呼びかけに返事もせずに、一階に降りていく。

 母が、にっこりと笑ってからお盆に乗せたトーストと、目玉焼き、ベーコンをテーブルに運んだ。

 俺は、テーブルに着くと、目玉焼きをトーストに乗せ、黄身を崩して食べ始めた。

 母の顔が急に曇った。

「まさお」

 母の視線が、俺と手前のテーブルを行き来した。

 そこには二錠の薬が置かれていた。

「まさお、これ、飲まなかったの?」

 俺は震えた。

「まさお。あなたの為の薬なのよ。私と同じうつ病なの」

 母が怒っていることに気付くと、俺は声が出なかった。首を横に振る。

 俺はうつ病じゃない。

「薬を飲んで見せればいいの?」

 母は薬を取ると口に含んだ。

 水もなしに、その錠剤をのみ込む。

 そして、また、白い紙の袋から二錠取り出し、机の真ん中に置いた。

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