◇魔導師、大いに困惑する。 (2)
エリーは、カゲヒサから聞いた話を先輩のアンヌに伝えようとした。
しかし、アンヌは今も鼻息荒くカゲヒサを睨み付けている。とてもではないが、「先輩の戦闘技術は隙だらけで話にもならなかったです」とは、エリーも面と向かって言えるはずもない。アンヌも学園を首席で卒業しただけあって、そこそこにはプライドも高いのだ。そんな事を言えば、それこそまた大喧嘩に発展しそうな雰囲気。だから、「カゲヒサさんはこう見えて剣の達人っぽいですよ」と、今のは魔法とかでなく剣技を応用した技術らしい等、それとなくぼかした感じで伝えたのだが。
――私の下手な説明でちゃんと分かったかな、ちょっと不安です。
エリーが話す内容に、最初は微妙な表情を浮かべていたアンヌの顔も徐々に険しさを増していく。
「あわわ……先輩、駄目ですよ」
「分かっているわよ。今はそんな事を言ってる場合じゃないぐらいわね!」
叩き付けるように答えるアンヌの顔は、未だ乾いた血がこびりついたままな上、言葉とは裏腹に柳眉を逆立て眼はくわっと開いた恐ろしげなものだった。
思わずエリーも、「ひぇ!」と悲鳴をあげるほどの表情。が、その顔も徐々に悔しさに歪んだものへと変わり、最後はカゲヒサを険しい瞳で睨み付けていた。
アンヌにも分かっているのだ、今の状況を。
周囲には、盗賊の死体が数多く転がっている。商隊のメンバーの中にも大怪我をした者、いや亡くなった者もいるだろう。それに逃げ出した盗賊たちが、応援を引き連れ戻って来るかも知れない。なんといっても“草原の狼”の幹部、四天王の内のひとりでもある剛力のガークを倒しているのだから。
ここでこれ以上、揉め事を起こして留まっている場合ではないと、アンヌも考えていたのである。
しかしそれでも、アンヌはエリーを庇うように立ち、未だ険しい眼差しをカゲヒサへと向ける。
「……先輩?」
と、エリーがアンヌに声をかけようとした時だった。周りでエリーたちを窺っていた商隊のメンバーの中から、小太りの男が進み出てきた。
「ガーネット様、お取り込みの最中に申し訳ありませんが、また盗賊の襲撃があるかも知れません。取り急ぎこの場を離れたいのですが」
アンヌへと話しかけたその男は、商隊のまとめ役でもあるドーンズだった。
そこでエリーもようやく気付く。護衛の冒険者たちは勿論、商隊のメンバー全員から注目を集めていたことに。
――うわ、ちょっと恥ずかしいかも……そりゃそうだよね。いきなりどこかから現れたカゲヒサさんが、盗賊達を退治する大活躍をしたのだから。
今も皆の視線は、興味深げにカゲヒサに注がれ、その傍らで大騒ぎしていたエリーとアンヌをちらちらと窺っているのである。
その視線が痛いほど突き刺さり、エリーはあたふたと慌てだす。
――こ、これは駄目かも。
他人からこれほど注目される状況は、エリーの許容範囲を完全に越えていた。
元々が、エリーは生まれや育ちの関係もあって、人見知りの激しい質だった。学園時代も学生たちの中では浮いた存在で、周りからは除け者にされていた。相手をしてくれていたのも、先輩のアンヌぐらいのものだった。
今回の依頼でもそれは同じで、商隊のまとめ役であるドーンズとも、出発する時の顔合わせで軽く頭を下げて挨拶しただけなのである。しかもアンヌのパーティーの人達とも、まともに話をしていない。それどころか、他の冒険者パーティーに至っては、会話すらしていないのだ。
それほどエリーの人見知りは激しいのだが、
――でも、カゲヒサさんとは普通に会話をしているのよね。
と、小首を傾げて、エリーも自分のことながら不思議に思う。
――これはやっぱり召喚のおかげ? 魔力で今も繋がっているからなのかしら。
わたわたと恥ずかさに身悶えしながら、そんなことを考えているエリーの横では、アンヌとドーンズの会話は続いていた。
「そうですね。相手があの“草原の狼”なら直ぐにも次の襲撃があるかも知れません。もうすぐ夜になりますが、幸いにも雲ひとつないようす。夜に馬車を走らせるのは少々危険ですが、これなら月明かりの下でも何とかなるでしょう」
さっきまでの事はまるで無かったかのように、話し掛けるドーンズに対して冷静な受け答えをするアンヌ。そこには鬼の形相や悔しさに歪んだ表情など微塵もなく、きりりとした出来る女性へと切り替わっていたのだ。その豹変ぶりに、エリーはぽかーんと口を開け呆気に取られると、まじまじと見つめてしまう。
そんなエリーをアンヌは視界の端に捉え、
「もう良いわ。でもエリー、あなたが呼び出したのだから、アレの手綱はしっかりと握っているのよ」
と言い残し、今後の打ち合わせのためドーンズと一緒に他の商隊メンバーの元へと歩いていく。その際には、もう一度カゲヒサをじろりと睨み付け、エリーには心配そうな眼差しを送ってはいたのだが。
人見知りのエリーは、当然ながら打ち合わせには参加する訳もなく、アンヌを黙って見送るだけである。とはいえ、気になるのは気になる訳で、少し離れた所で打ち合わせを行うアンヌたちの様子を眺めてはいた。
他の商隊メンバーや護衛の冒険者を交えた話し合いの声は、エリーの元までは届かない。それでも、頻りにドーンズが頭を下げている姿は見えていた。
――先輩は貴族様だからね。その関係でドーンズさんも恐縮してるのかしら。
と、エリーは、アンヌと商隊のまとめ役であるドーンズとの微妙な立場について思いをめぐらす。
だが実際は、アンヌが貴族の爵位を戴くわけではない。実家のガーネット家が、アレス王国から伯爵位を授けられているのである。アンヌは、そのガーネット家現当主の末娘だった。
森の奥深くにあるエルフの里出身のエリーは、いわば田舎者。王国の身分制度など詳しい訳も無く、ひと括りに「偉い人、貴族様だぁ」と思っているだけなのだ。
そんなエリーからすれば、何不自由ないはずのアンヌは、
――なぜ先輩は、貴族の生活を捨ててまで冒険者になったのだろう。
と、いつも疑問に思っていたのだ。
エリーが見つめる先では、時おりアンヌやドーンズを含めた皆がエリーとカゲヒサの方を振り向き、何やら話をしている。
――たぶんカゲヒサさんの事なのだろうけど、先輩はどんな説明をしてるのかしらね。
エリーはそんな事を思いつつ、ちらりとカゲヒサを眺める。
先輩でもあるアンヌには、手綱をしっかりと取れと言われたものの、どう声をかけたら良いか分からないのだ。
しかし、その当のカゲヒサはというと、皆のことなどどこ吹く風とばかりに、周囲の景色を物珍しそうに見回していた。
そんなのほほんとした様子が何とも腹立たしくて、エリーは恨めしげにカゲヒサを眺めるだけだった。
しばらくすると、アンヌがエリーたちの所まで戻ってきた。
「エリー、今すぐに出発することになったわ。行き先は……本来は寄る予定はなかったのだけど、ここから一番近い街、城塞都市アレクサンドリよ。夜を徹しての強行軍になるけど、大丈夫よね」
一見、エリーを気遣う態度なのだが、その目が「アレはどうするの、大丈夫なの」と言っている気がして、焦ったエリーは「あうあう」と言葉を詰まらせる。
「本当に大丈夫なの?」
「あ、はひぃ!」
「で、どうするのアレは」
「…………さぁ」
「エリー!」
「あわあわ……はひぃ!」
アンヌは呆れた様子で視線を送り、エリーは涙目でまたあたふたするのだった。
その後、商隊は慌ただしくこの地を離れる事になったのである。
◇
すでに陽も沈んだ月明かりの下、エリーたちが護衛する商隊は城塞都市アレクサンドリへと向かっていた。
夕刻に発生した盗賊の襲撃には、商隊のメンバーや護衛をしていた冒険者の中で数名の犠牲者が出た。しかし、その遺骸も盗賊たちの死体も、全てを野ざらしに打ち捨てたまま商隊は先を急ぐ事にしたのである。馬車を飛ばせば、半日の距離に城塞都市アレクサンドリがあったからだ。本来は寄る予定は無かったのだが、盗賊団『草原の狼』からの緊急避難、そして野ざらしのまま置いてきた遺骸を回収するためにも、アレクサンドリへと向かい兵を出してもらう必要があったのだ。
残り少なくなったアンヌも含めた護衛の冒険者たちが騎乗し、馬車の周りを固めて商隊はひた走りに駆け続ける。
そしてエリーはというと、カゲヒサと一緒に馬車の中で膝を抱えていた。
結局はカゲヒサも、馬車に同乗することとなったのだ。人なのか魔物なのかよく分からない怪しげな存在ではあるが、商隊の危ないところを助けたのは事実。それに、未だエリーと魔力で繋がったままなのである。まさか、あの場に打ち捨てていく訳にもいかず、エリーが面倒をみるという事で同行させることにしたのである。
そして、エリーが護衛の中でただひとり騎乗せずに馬車の中にいるのは、カゲヒサの事以外にも理由がもうひとつあった。
実は、エリーは馬に乗れないのである。
通っていた学園の必須科目の中には、乗馬も含まれていた。だからエリーも、乗馬に関して一応は一通り学習したのだが、どうしても乗りこなす事が出来なかった。引っ込み思案の所が災いしてか、おどおどとした態度で接してしまい、馬からも完全に舐められ見下されてしまうのである。
だから乗馬の授業では、すぐに落馬してしまい青痣の絶えない思い出しかなかった。
――うぅ、皆さん申し訳ないです。
馬車の小窓から外を眺め、申し訳ない気持ちで一杯になるエリー。そしてなぜと、先輩のアンヌが何の役にも立たないみそっかすのような自分を誘ったのか、また不思議に思うのだった。
少し物思いに耽りぼんやりと外を眺めていたエリーの耳へ、傍らから声が届く。
『エリィさん、あのマリアンヌと申す娘御はエリィさんを、まるで主君の如く接してるかに見え申したが、家臣か何かなのでござるかな』
その声に促されエリーが振り向くと、カゲヒサの視線とぶつかった。
――うぅ、なぜ先輩の名前はちゃんと言えるのに、私の名前は言えないのよ。
エリーは憮然としつつも、慌てて手のひらを左右に打ち振る。
『あわわ、違う。違いますから。えっ、えっ、えーと、先輩が家臣だなんでとんでもないです。先輩は貴族様なので、むしろ逆なのですよ。私が通っていた魔法学園には、兄弟、姉妹制度というのがあって、上級生が下級生の面倒をみる制度なんです。それで、私の面倒を見てくれたのが先輩だったのですよ。その時から私の事を妹のように可愛がってくれて、卒業してからも何かと庇ってくれますから、それで……』
その後は、エリーも学園の事などを出来るだけ詳しく、カゲヒサに語って聞かせた。
『ほほぅ、秘術を教えるそのような場所があるのでござるか。要は道場のような場所なのでござるな。差し詰めマリアンヌどのは、姉弟子といったところでござろうな』
エリーはカゲヒサの声を、ぼんやりと聞いていた。
学園の事を語るのをきっかけにして、意識はすでに過去へと飛び様々な場面が脳裏に浮かび上がるのである。
――そう、先輩とは学園に入学した時からの付き合い。いつも、私を庇い優しく守ってくれる。
そもそもエリーは、エルフの里でもいつも一人ぼっちだった。
エリーの母親は閉鎖的な里の雰囲気を嫌い、冒険者になり世界を見て回ると言って、若くして里を飛び出した。しかしどういう理由か数年後、母親は身重の体でひとり里に帰ってきたのだ。
そしてエリーを産むと間もなく、無理が祟ったのか呆気なくこの世を去った。
エルフは元々出産率も低い。そのためなのか、他の種族とは血が混じらないのが普通だった。ましてやその頃、何かと軋轢も多かったヒューマンとは決して混じるはずなど無かった。
それなのに、エリーはエルフとヒューマンのハーフとして産まれたのだ。里では歓迎されず、血が濃いはずの身内からさえ嫌われる存在。
母親は種族間を越えたハーフの子供を産むのには、体に相当な負担がかかるのも分かっていたはずなのだ。それなのに、無理してエリーを産んだ。
だからエリーは、いつも考えてしまうのである。
――果たして母は幸せだったのだろうか、と。
自分が産まれなかったらと、エリーはいつも考えてしまうのである。
そして、父親についてはヒューマンとだけ、それ以外の事は何も知らなかった。
成長してからも何も変わらず、里のエルフたちもよそよそしく接する。ただ、エリーの祖父が里の長だから誰も面と向かって言わないだけで、いない場所では色々と陰口を囁かれているのをエリーも知っていた。
――里ではいつも一人ぼっち。
だから暗く淋しく辛い毎日から脱け出すために、エリーは魔法学園に入学したのだった。
しかし入学したからといって全てが変わるはずもない。出生も育ちにも陰のあるエリーは、当然ながら性格も暗く陰気だった。いつも周囲の目を気にして、おどおどと怯えていた。そんなエリーに、根気よく接して諭し導いたのが、学園の先輩にあたるアンヌだったのである。
――先輩のお陰で私は明るくなれた。先輩には感謝してもしきれないほど感謝している。
エリーにとってアンヌは、学園の姉妹制度を抜きにして、本当に姉のような存在になっていたのである。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、エリーは昔のように暗い想いに埋没しかけていた。
そこへ、『ところでエリィさんは何故、それがしを呼ばれたのであろうか』
と、カゲヒサの暖かさを含んだ声が届く。それはエリーの心に響き揺さぶると、現実へと引き戻し意識をカゲヒサへと向けさせた。そして魔力の繋がりを通し、暖かな温もりが流れ込んで来るような気がして、ホッと安堵する。
エリーがふとカゲヒサを見ると、優しげな眼差しを向けてきた。
その時、自分がよほど暗い顔をしていたのだろうかと思うと同時に、理解できてしまう。
――この人もきっと、先輩と同じく私の味方になってくれる、と。
エリーはそう強く感じたのである。
だから、エリーはにっこりと笑って答える。
『えーとですね。間違えてカゲヒサさんを呼んだみたい。ごめんね、エヘッ』
『……!』
あまりの言葉に、さすがのカゲヒサも絶句する。
そんな中、馬車の外から「着いたぞ」と喜びに沸く声が響いた。
どうやら商隊は、アレクサンドリに無事に到着したのであった。