◇魔導師、大いに困惑する。 (1)
「エリー、その魔人から離れなさい!」
アンヌが起き上がり、エリーへと話しかけた。その表情は怖いぐらいに強張り青ざめている。
しかし話しかけらたエリーは、のほほんと呑気な声で答えていた。
「あっ先輩、大丈夫ですか。ケガとかは……ないみたいですね。えぇと、この人はカゲヒサさんといってヒューマンのようですよ。ちょっと変なこと言ってますが、危ない人じゃないみたいです」
「そんなはずないわよ。召喚といったら普通は魔獣や魔物でしょう。人を呼び出した話なんか、聞いたことないわ。それに、私は身体強化の魔法を使ってたのよ。魔法を使った形跡もないのに、剣を奪われた時も、何故だか分からないし、私の攻撃もあっさりと……ヒューマンのはずないわ!」
途端に激しい剣幕で詰め寄るアンヌに、思わず後ずさるエリーだった。
――先輩、ちょっと怖いです。髪の毛や顔にこびり付いた血が固まって、壮絶なことになってますよ。せっかくの美人さんが台無しです。
などと思いつつ、エリーはどうしたものかと頭を悩ませる。
本当の事をいえば、エリーにもカゲヒサがヒューマンなのか、魔人で有るのかは半信半疑。本人は人だと言い張るも、どこまで信じれば良いのか判断の迷うところなのだ。
けど、殺伐とした雰囲気はあるものの、それほど悪い感情も伝わってこない。どちらかといえば、暖かで優しげな気持ちに包まれて、心地よく感じるぐらいだった。
だから、もう一度エリーは尋ねる。
『えぇと、カゲヒサさん。こちらは、私の先輩でマリアンヌ・ガーネットさんです。先輩がカゲヒサさんは魔物だと言うのだけれども、あなたは本当に人なのですか』と。
『何をもって、魔物と申されるのか。某は先ほどからも申していたように、見ての通り人であるのだが』
カゲヒサが困ったように顔をしかめてみせる。
エリーもこうして近くから改めて眺めると、戦っている時は鬼のように見えた姿も、普段の顔は以外と可愛らしいかもと思えるのだ。それほど整った顔じゃないけど、太い眉に少し垂れ下がった目尻はどこか愛敬があるわねと思ってしまう。
――うぷぷ、あの妙ちくりんな髪形と、戦ってる時との落差に思わず笑いそう。違うのよカゲヒサさん、これはさっきまでの争いの緊張が緩んだ反動で……うぷぷぷ。
と、笑いそうになるのを、必死に耐えるほどに。
『えぇとですね。先輩が言うには、魔法も使っていないのに魔法のように剣を奪ったり、強化魔法を使ってる先輩をあっさりと制したりする事は、人では出来ないと言ってます』
『ふむ、魔法とは、そなたらが使う秘術の事じゃな。かの内府公も、それがしの業前を御覧になられた折りは、「飯綱使い(いづなつかい)よ」と申され渋い顔をなされたがが、外つ国に於いても同じ様に言われるとは……某にとっては簡単な事なのでござるがな』
カゲヒサの使う言葉が難しく、もっと分かりやすく言えば良いのにと、エリーが頬を膨らませた。
『簡単って、魔法も使わずにどうやるのよ』
『ふむ……此度は、そなたらも弟子ではないが、特別に教えて進ぜよう。そもそも武芸の道とは、心技体を三位一体となし昇華させるものなり。そなたらは、秘術など技は突出しておるようじゃが、残りの二つ、心体は未熟なようでござるな。武芸に於いては技前もまた大事なことなり。虚実の駆け引きや、相手の拍子や呼吸を計り、進退を行う事が肝要じゃ。そして、相手の動きを我が心に写して無念夢想にて進退を行う。これが我が剣の妙諦であり、我が流儀の極意“夢想剣”なり』
――うひゃぁ、更に難しい事を言ってるよ。私にはさっぱり、ちんぷんかんぷんです。
と、学園でも落ちこぼれだったエリーは、ぽかーんと口を開ける。カゲヒサの言っていることの半分も分からなかったのだ。
『あのぅ……もう少し分かりやすくお願いします』
『ふーむ……ならば、先ほどのその娘御の剣を奪った時のことじゃが、それがしは、その娘御がエリィさんに一瞬視線を反らした虚をつき近付いたのでござるよ。その際、呼吸を合わせて拍子を盗み気配を絶つ。後は掴んだ手首を捻り剣を奪うのみ。その娘御には、何をされたのか分からなかったのであろう。更にその娘御の拳撃や蹴りじゃが、確かに恐るべき速さであるが、人の動きは関節など逆に動くわけなどなく、動きは限られておる。構えを見、肩や足など全体を見て、事の起こりを見定めれば、ある程度の予測もできるものじゃて。それにその娘御は何とも素直なもので、常に次に攻撃を加えようとする箇所に視線を先に送っておる。それがしにとっては、赤子の手を捻るようなものであったのぉ。お分かりかなエリィさん』
今の説明でもよく分からないところもあったエリーだったが、それでも何となく言ってる意味は理解できた。
要はアンヌ先輩が隙だらけだと言ってるのだと、エリーは理解したのだ。
そこで不思議に思う事がひとつ。
――カゲヒサさんは、かなりの年月を修練に費やした剣士なんだわ。
と、エリーは思ったのだ。
見た目は自分とそれほど変わらない年齢に見えるが、実はもっと上かもと考えた。というのも、学園の召喚術の授業では、呼び出された魔物は全盛期の能力で召喚されると習ったからである。それは、召喚した魔物は元々体の半分が、空気中に漂う魔素によって形成されるからとの説明だった。
しかしそれが、人だった場合はどうなるのだろうと、エリーは疑問に思う。だが、今までの過去の例では、人が召喚された事など無かったのだ。
――もしかして、若返ってる?
と、エリーが疑問に思っても、結局は誰にも分からないのである。




