◇魔導師、大いに嘆く。
「エリー、あんた一体何を呼び出したのよ!」
アンヌが頭からつま先まで、血塗れのまま声を荒げた。
――先輩の自慢の金髪が酷い事になってますよ。早く洗わないと、髪の毛が傷みますよ。
アンヌの険しさの滲んだ声を聞きながら、エリーは軽く現実逃避をしていた。
「ちょっとぉ! エリー、聞いてるの!」
「あっ、はい……えぇと……あのぉ」
更に一段階は険しさの増した声に、ようやく現実世界へと引き戻されたエリー。アンヌの視線を避け、「あはは」と乾いた笑い繰り返す。
何故なら目の前では、エリーの呼び出したものが、大声で笑いながら殺戮を楽しんでいたから。
――あれはヒューマン? それとも魔人?
まるで野菜でも切るかのように、人の首や腕、足などが簡単に斬り飛ばされていく。さっきも盗賊のひとりが縦に真っ二つにされていたのだ。
――げげっ、今も盗賊のひとりが胴を切り裂かれて、上下に真っ二つ。ううっ、見てるだけで気持ち悪くなってきた。
呼び出した魔物らしき存在が、たったひとりで瞬く間に盗賊達を倒していく。エリーはそれを呆気にとられ見つめていた。
「それでエリー、何を呼び出したのよ」
――先輩の顔は笑ってるけど、目が怖いです。
「えーと、大鬼……かな?」
「な、わけないでしょう。どう見ても大鬼には見えないし、人に見えるけど時々青く光ってるわよ。何なのよあれは!」
エリーが小首を傾げ笑って誤魔化そうとすると、アンヌが目を吊り上げ怒り出した。
――ううっ、私が知りたいです。私は何を呼び出したのでしょうか? あれは殺人狂の魔人?
その時エリーに、周りから「おおぉ!」と驚く声が聞こえてきた。
慌てて視線を向けると、いつしか戦いはエリーが呼び出した魔人と、盗賊達の戦いになっていた。さっきまで戦っていた護衛は、馬車の近くまで下がり治療を行っている。痛みに顔を歪めながらも、その戦いを呆然と眺めていたのである。その護衛達が驚きの声を上げたのだ。
――うん、あれは驚くよね。
エリーの視線の先で、盗賊の中にいた魔法使いが、火属性の魔法【ファイアーボール】を放ったのだ。それをあの魔人は、剣を投げて切り裂き消滅させた。尚且つ、その剣は魔法使いに突き刺さり、あっさりと倒してしまったのだ。それはあり得ない光景。エリーが学園で習った魔法学の法則を完全に無視していた。もう驚くの通り越して、呆れるしかなかった。
その時、エリーにアンヌの声が聞こえてきた。
「あれはまさか、古の時代に使われたという魔法剣……」
それは思わずといった様子でもれ出た言葉だった。
――へぇー、あれが魔法剣? そういえば、歴史の時間に習ったような。さすがは首席で卒業した先輩。
などとエリーが感心していると、護衛の者たちが更に騒ぎ出した。
「あれは、ミスリル製のプレートメイル!」
「な、なにっ! 剛力のガークか!」
「げっ、それならこいつら“草原の狼”なのか」
――うへぇ、“草原の狼”なら私も噂に聞いた事がある!
エリーが護衛たちの声を聞き、驚くのも無理はなかった。
“草原の狼”はイスタリア連邦とアレス王国の国境辺りに出没する大規模な盗賊集団。盗賊王キースと呼ばれる男が率いる集団で、配下の数は千に届くとの噂が周辺国に流れ有名だった。イスタリア連邦とアレス王国の両国も、数の多さもさることながら国境に近い事が災いして手を出しかねていた。
というのも両国は昔からいがみ合い、数度に渡り戦争へと発展していたが、現在は疲弊した国力を取り戻すために休戦状態だったのだ。だから下手に国境近辺に大規模な兵を出し、相手国を刺激する訳にもいかず傍観するしかなかったのである。それを良いことに、“草原の狼”が国境周辺を荒らし回っていたのだ。しかしそれも最近はあまり大きな噂も聞かず、隊商もすっかりと油断をしていた。
それが今回は、剛力のガークと呼ばれ恐れられる小頭まで出張っての襲撃だったのである。“草原の狼”内では四天王と呼ばれ、それぞれに配下を抱える四人の男がいた。その中のひとりが剛力のガークなのだ。
皆が注目する中、白く輝く鎧を身に着けたガークが、巨大なクレイモアを構えるのが見えた。
「全ての魔法を吸収するミスリルのプレートメイルにあの大剣。剛力のガーク……かなり厄介な相手ねって、嘘ぉ!」
エリーの横で険しい表情を浮かべていたアンヌだっが、途中で凍り付いたように固まり言葉を失った。何故ならその視線の先では、エリーの召喚した魔人が一瞬また身体を蒼く光らせると、あっさりとガークを倒したからだった。
――本当に、私って何を召喚したのかしら。
と、エリーもまたその横で困惑気味に見詰めていた。
「ふぅ……しかし、どうやら終ったようね」
気を取り直したアンヌがため息と共に呟いた。
ガークを倒され、残りの盗賊も算を乱すように逃げ散っていく。周りにいた隊商の人達も安堵の表情と共に、ほっと一息ついていた。
「もういいわよ。あれを何とかしなさい。これ以上やると、草原の狼の本隊が襲ってくるわよ」
アンヌが顔をしかめた。その指差す先には、逃げる盗賊達を追いかけて斬ろうとしている魔人の姿があったからだ。
「あっ、はい……そうですよね」
返事をするエリーは、どこか心許なく自信なさげな表情を浮かべる。
――えぇと確か、カ、カゲヒサとか言ったわよね。
「あぁあのぉ……カゲヒサ君。いえ、カゲヒサさん止めて下さぁい」
「エリー、あんた何をやってるのよ。それに、こんな所から聞こえるわけないでしょう。それより、召喚したならさっさと送還しなさい」
エリーの態度に呆れるアンヌに、しっかりしなさいと叱られてエリーは涙目である。そして気を取り直し、改めて送還の魔法術式を唱える。
「えぇと、それでは……我が名エリー・ヴァンドールの名によって命ずる。速やかにその住み処へと還るがよい。ターン、モンスター!」
途端に、エリーの表情は困惑したものへと変わった。
――あれっ……送還魔法が発動しない。ど、どうしよう。
あたふたと慌てるエリーに、アンヌの厳しい声が届く。
「エリー! あなたまさか、召喚した時にちゃんと契約したのでしょうね」
アンヌがジト目でエリーを見つめた。その視線が痛いぐらいに突き刺さり、エリーが更に焦りまくる。
「あわわわ、はうっ…………わ、忘れてました……」
「忘れてましたって……初めて召喚した魔物は、最初に契約魔法を施さないといけないのは召喚魔法の初歩でしょう。どうするのよあれ……」
アンヌの表情が強張り絶句した。エリーはといえば焦りが頂点へと達して、頭をかきむしったり髪の毛の先を指でいじったり、かと思えば突然にポカポカと自分の頭を叩いたりと、とにかく忙しなく体を動かしていた。
――あうあうぅ……どうしよう。早く帰ってもらわないと、先輩には怒られるし、私も困っちゃう。
そこで、ハッと閃いた。
エリーは学園の授業で習った事を思い出したのだ。それは召喚された魔物と召喚主は、送還されるまでは魔力線によって繋がったままだとの内容だった。
エリーは意を決して、念話による会話を試みる。といっても、初めての魔法なのでかなり緊張しているが。
『えぇと、カゲヒサくん、カゲヒサ……さん、聞こえますか。どうぞ』
また涙目になりながらも、エリーは必死に念じる。すると、どうにか魔人カゲヒサと念話で繋がったのだ。
『むう……これも南蛮の妖術なのであろうか。頭の中に声が響くとは……摩訶不思議な事よ』
話が通じた事に「良かった」と、エリーはホッと安堵の吐息をこぼしす。
『ふむ、そなたは先ほどの南蛮の娘じゃな』
『あっ、はい? ……ヨウジュツ? ナンバン? とかは良く解りませんけど、私は森の民エルフの氏族ヴァンドール一族の娘エリーです……といってもハーフですけどね……』
『おぉ、おエリさんと申されるのか。ヴァンドールが家名でござろうか。それに、ハーフ? いや……まぁよいわ』
そこでエリーは、不思議な感覚に囚われた。確かに凶悪な魔人らしく、カゲヒサからは念話と共に険しい気配がビシバシと叩き付けるように流れてくる。しかしそれ以外にも、険しさの中に隠れるように流れてくるものもあったのだ。魔力線で繋がっているエリーだからこそ分かる、それは仄かな香りのようなもの。暖かであり心安らぐ気配が優しくエリーを包むのである。それは微かだからこそ、逆に興味を覚えエリーを魅き付けてしまう。思わずその微かな気配を手繰り寄せようと――その時、アンヌの苛々とした声が聞こえてきたのだ。
「エリー、どうなの。上手くいきそうなの?」
「あ、はい……会話はできるようなので、直ぐに……」
夢から覚めるように一、二度首を振り、エリーは慌てて返事をする。今のは何だったのだろうと首を傾げながら、改めて念話を試みる。
『それで、あなたは何者なの? …………まるで殺人狂の魔人だわ』
『おエリどの、何やら今、不穏当な言葉が聞こえたようだのぉ』
今度は少し怒りを含んだような感情まで流れてきて、エリーはまた焦り出す。
『えっ……あれっ! これってもしかして、心の声までだだ漏れになってるの。あわわわっ、そんな事……殺人狂なんて……ううっ、考えないでおこうと思うほど心に浮かんでくる。と、とにかく、あなたはやり過ぎなのよ』
『やり過ぎと申されても……他人に剣を向け命を奪おうとする者は、己れもまた命を奪われるのは道理でござろう。ましてやこやつらは盗賊。このまま逃がせば、後に禍根を残すことになりかねぬが、いかが』
『もう、そんな難しい事を言われても分からないわよ。と、とにかく、早くこっちに戻ってきてよ』
『むぅ……仕方あるまい。それがしも少し尋ねたき儀がある故、そちらに参ろう』
わたわたと慌てていたエリーが、ふと視線を横にずらすと、アンヌのジト目とぶつかった。
「で、どうなの。大丈夫なの?」
「……た、多分……」
こちらに近付いてくるカゲヒサと名乗るものを見つめて、エリーは不安にかられる。
それは、全身を返り血で染めたその青年らしき姿が、まるで血に飢えた鬼のように見えたからだ。
――だ、大丈夫だよね。
*
そこは四方を、四角く切り出した石を積み上げただけの殺風景な狭い部屋だった。まるで玄室のように窓もなく薄暗い。届く明かりは、壁に掛けられた蝋燭のみである。
揺らめく炎の明かりが届く部屋の中央では、黒いフード付きの外套を頭からすっぽりと被った男が、水瓶に向かって両手を翳していた。その男の背後には、見るからに値の張りそうなきらびやか衣服を纏った男が、腕を組み難しい顔をしている。
「どうだ、討ち取ったか?」
「いえ、どうやら失敗したようで御座います」
期待を滲ませた声で問いかけたのは、腕組みをする男。嗄れた声で答えたのは、水瓶を覗き込んでいた黒フードの男だった。
「な、何だと! 高額の報酬を受け取っておきながら、これしきの依頼もこなせぬとは、“草原の狼”も噂ほどではないのう」
驚く事に水瓶の表面には、エリー達がいた隊商に“草原の狼”が襲い掛かった一部始終が映し出されていたのだ。
「何としても、あやつの王都入りを阻止するのだ!」
「御意……」
激昂する男に、黒いフードの男が頭を下げていた。