◇魔導師、大いに驚く(7)
結局その後、エリー自身が自分たちは怪しい者ではない事や、ギルドに来た目的――カゲヒサの冒険者登録と身分証となるギルドカードの発行――をどうにか伝えた。
ただし、しどろもどろとなり、かなり怪しい状態ではあったが。
どちらかと言えば、引きこもり体質に近く人との交渉能力は皆無、ほぼゼロといっても良いエリーにとって他人に物事を説明するのは、それこそ魔獣退治よりも難事。伝え終えた時には許容量の限界を遥かに超えて、頭はくらくらと煙が出そうな状態だった。途中からは、自分が何を話しているのかも覚束ないほどだ。
それほどまでに必死になって釈明をしていたのは、ギルド内で騒ぎを起こした事実やカゲヒサが言葉が話せないとの訳もあったが、主な理由は――――エリーを間に挟み、背後に佇むカゲヒサとカウンター内で腕組みをした厳つい男性の間で、険しい視線が飛び交っていた。ちょうどエリーの目の前でその視線はぶつかり、火花を散らすのが見えるかのようだったのである。
この男の人は誰なのと疑問に思いつつも、
――ひいぃ、これ以上の騒ぎは止めてぇ!
と内心で悲鳴を上げる。そして、二人が醸し出す剣呑な雰囲気に促されて、エリーは必死の弁解を行っていたのだ。
「そっちの彼のねぇ……」
さっきまで、カゲヒサの殺気を浴びせられて表情を強張らせていたサラも、今ではエリーのあたふたと慌てた様子に苦笑いを浮かべていた。
「あ、はひぃ……わたしは学園都市で登録を済ませたばかりなので、だからカゲヒサさんのだけ……本当にずびまぜんでじだ……」
最後は完全に涙声のエリーなのである。
「そう、貴女はもう登録しているのね。それでそっちの彼だけ……わかったわ。さっきは吃驚させられたけど、貴女の獣人に対する姿勢や考えに感動したから、それは不問にいたしましょう」
その言葉にホッと胸を撫で下ろして目の前のサラを窺うと、感動したというよりもこちらを興味深そうに、或いは面白そうに眺める視線とぶつかった。エリーは「あう」と言葉にならない声をもらすと、慌てて視線をそらす。
「でも、獣人を知らない地域から来たとの話は信用できないわね」
「……そ、それは」
事実はエリーの召喚術で呼び寄せたのだが、さすがにそれはギルドの職員とはいえ、初対面の人に話す内容でもない。それにヒューマンを召喚したとの話自体が有り得ない話であり、本当の事を伝えても「ふざけるな!」となりかねない。だから咄嗟に、獣人のいない遠い国から出てきたばかりと伝えたのだが、それもまたおかしな話なのである。
獣人のいない国、それも信じられないような話であるが、例えそうであったとしても、このアレクサンドリの街は大陸でも中央寄りに位置する場所。では、ここに来るまで獣人のひとりにも出会わなかったのかと。
辺境なだけあって、周囲には獣人だけで構成される村落も存在する。実際、このギルドに登録する冒険者の中にも、獣人の戦士は大勢いるのである。それこそ目隠しされた状態で、誘拐でもされて連れて来られない限り、初めて獣人を目にしたなど有り得ない話なのだ。
そんな自分の間抜けさに思い至り、「あうあう」と言葉に詰まるエリーだった。
目の前にいるサラを窺うと、眼鏡のレンズがきらりと光り、その向こうの瞳が心の奥底まで見透かしてくるような気がして、エリーは背中に冷や汗をかく。
――もしかして、あの眼鏡は鑑定系の魔道具?
そんな事を思っていると、エリーの視線に気が付いたサラの狐耳がぴくりと動いた。
「あら、気付いたのね」
「あ、いえ……」
「でも安心して、この眼鏡はただの抑制眼鏡。私の瞳から漂い出る魔力波動が強いから、ギルマス命令で掛けさせられているだけです」
――あ、魔眼……。
内包魔力の多い魔導士では、魔力過多によってあふれ出す魔力が瞳の虹彩を妖しく輝かせることがある。魔力溜まりで生まれる魔獣などの瞳が赤く、又は金色の光を放つのと原理は同じなのであるが、別段他の者に与えるような害はない。あるとすれば、本人の視力に多少の影響――視界が歪んだり、視える色彩に誤差が生じる等――を及ぼしたりする。だから冒険者などを生業にしている魔導士たちは、戦闘に支障が出るからと魔力抑制の眼鏡を掛けている者も珍しくない。
ただし、魔眼持ちは別だ。
石化の魔眼持ちで有名な魔獣バジリスクと同じく、人の間でも極まれに魔眼を先天的に備えたまま生まれてくることがある。といってもバジリスクほど強力な魔眼は珍しく、殆どは他人に少し麻痺を与えるような、戦士系の能力の【威圧】とあまり変わらないものだったが。
エリーは、目の前に立つサラが金毛の狐人だったことから、思わず魔力過多より魔眼の方を連想してしまったのである。
「さすがは森の民エルフの血を引くだけの事はあって、魔力の流れを読み取ったのね。それとも、貴女もわたしと同じなのかしら」
そう言って微笑むと、サラは身を乗り出すようにしてエリーの瞳を覗き込んできた。
「え、え、わ、わたし……わたしなんか……エルフの血も半分だけだし、ただの落ちこぼれ魔法使いだから……」
「え、そうなの。おかしいわね、貴女の瞳からも――」
サラの言葉の途中で、エリーの慌てた声が遮る。
「あ、それは、祖父のせいかも。わたしがまだ小さい頃、眼の病気を患った時に祖父が治療してくれて、その影響が今でも残ってるんです」
「――そう……貴女のお祖父様がねぇ」
少し考える素振りを見せていたサラだったが、そこで納得したようにひとつ頷く。
「分かりました。あなたたちにも色々と事情が有りそうですが、危険の伴う冒険者を志願する人たちには、皆それなりに事情を抱えているものです」
そう言うと、サラはちらりとエリーの背後に立つカゲヒサに視線を送り、
「多少の問題は有りますが、過去に犯罪歴がなければアレクサンドリのギルドはあなたたちを歓迎します」
とにっこりとほほ笑む。その後に、カウンター下の引き出しから一枚の用紙を取り出した。
「では、私から幾つか質問がありますのでお答えして頂き、その後にギルドに関して簡単な説明を致します。そして最後に、ご納得を頂けたなら受付用紙にご本人の署名を――」
「あ、カゲヒサさんは言葉が分からないので、質問や説明はわたしが通訳できるからともかく、本人が書くのはちょっと難しいかも」
「――そうですか。でも大丈夫ですよ。この登録用紙はギルドマスターが翻訳の魔法を封じた特別なものです。だから、そちらの彼のお国の言葉で書かれても大丈夫なはずですよ。ただし、嘘を書いても直ぐに分かりますから正直にお書き下さい」
言われて目の前に出された用紙をよく眺めると、確かに魔力波動の揺めきのようなものを感じる。
――あ、確かに、これも魔法具。
サラの掛けている眼鏡もそうだが、魔法具はそれなりに高価なもの。しかも、一枚の紙に登録用の簡易魔法を封じるだけといっても魔導書の一種には違いなく、それには魔法学の知識は勿論、錬金術と紋章術においても卓抜した高度な技量がなければ作成できないのだ。それを、ギルドの受付業務で惜しげもなく使っていることに、エリーは驚いていた。
――学園都市のギルドでも使ってなかったのに……さすが城塞都市アレクサンドリのギルドね。それとも、ここのギルドマスターがそれだけ凄い人なのかしら。
アレクサンドリは辺境とはいえ王国でも有数の大都市。冒険者の数も多く、有名なパーティーやクランも多数登録している。
エリーが学園に在籍中も、魔法科の同級生たちがよく噂していた。しかし、アレクサンドリのギルドマスターに関しては、殆ど噂を聞いた事がなかった。
カウンターの上に置かれた用紙を見詰め、エリーはそんな事を思い出し、感心と同時に不思議に思うのだった。
――とにかく、この用紙にカゲヒサさんが署名すれば、ようやく終わるのよね。
まだ朝の早い時間。ギルドに訪れてからも、それほどの時間が経っている訳でもないが、既に丸一日は動き回ったかのような徒労感に包まれていた。
――やれやれ、一時はどうなるかと思ったけど、カゲヒサさんの登録さえ終われば、後はギルドに併設されているサロンで足を伸ばし、アンヌ先輩が来るまでのんびりと待とう。
そんな肩の荷が下りた思いで、エリーの心も軽くなる。
『カゲヒサさんは、自分の国の言葉なら書けるわよね。後少し説明を聞いて、この紙にサインをしたら――』
後ろのカゲヒサに声を掛けつつ、エリーはカウンターの上に置かれた用紙に手を伸ばす。
が、しかしその時、ドンッと鈍い音を鳴らしてカウンターが揺れた。
それまでサラの横に黙って立ち、カゲヒサと睨み合っていた厳つい男性が用紙の上に拳を叩きつけるように載せ、エリーの手を遮ったのだ。
「ちょっと待ちな、嬢ちゃん。俺たち審査部は、そうすんなりと登録させる訳にはいかねぇぜ」
――え、審査部。
ギルドの審査部といえば、依頼や冒険者のランク分けを行う部門。まだ駆け出し初心者のエリーには、あまり関わり合う機会のない部署でもある。だから、時には犯罪に手を染める冒険者に懲罰部隊を差し向ける、怖い部署との認識しかなかった。
今まで「この人は誰?」と怪訝に思っていた男性が審査部の人だと知って、ギルドに訪れて早々に受付責任者のサラに続いて審査部にまで目を付けられたと震え上がる。
それも当然だった。
エリーたちは、カゲヒサの冒険者登録をする前から、ギルド内で騒ぎを起こしていたのだから。
だが、「マジですかぁ」と驚くエリーより真っ先に反応したのは、厳つい男性の横で立つサラだった。
「ガンツ! どういうつもりなの!」
「ん、どうもこうもねぇだろ。冒険者相手に喧嘩を売るぶんにはまだ見逃せるが、仮にもギルドの職員相手に恫喝混じりに剣を抜こうとしたんだぜ。さすがにこいつはお咎めなしじゃ、他の冒険者にも示しがつかねぇだろ」
「って、それは当事者でもある私が赦したのよ。これは明らかな審査部による受付業務への越権行為よ」
「おいおい越権行為って、そこまで言うことねえだろ。俺はお前のことを心配して駆け付けたのに」
「それは有難うと一応の礼を言っておきます。ですが、それはそれとして、これ以上の受付業務への口出しは拒否させてもらいます。もし、彼女たちに罰を与えるというのなら、次の会議の席で議題にあげて査問にかけさせていただきますからね」
「お、お前、それはちょっと酷くねえかぁ――」
と今度はカウンター内で、サラとガンツと呼ばれた審査部の男性が睨み合って言い争いを始めた。
そんな二人を眺め、
――ガンツ……アレクサンドリのガンツって、もしかして爆炎のガンツ!
と、エリーは驚きをさらに大きくしていた。
それもそのはずで、学園時代にアレクサンドリの冒険者ギルドに関して真っ先に噂に上がっていたのが、爆炎の二つ名で呼ばれていたガンツ・ジェイコブソンその人だったからである。
――Sランク昇格を目前に、災害級モンスターの合同討伐で他の冒険者を庇い大怪我。その後は引退したって聞いてたけど……まさかのギルド職員になってたんだ。
目を丸くするエリーの前では、二人の言い争いはまだ続いていた。
「――大体が、見るからに怪しげな身なりの流れ者だぞ。幾らいかれた連中が多い冒険者でも、はい、そうですかと信用できるかよ」
ガンツが顔をしかめ大声で言い放つ。
――ちょっとぉ! 本人であるわたしたちの前で、よく言えるわね!
とエリーは怒りを覚えるも、実際は身を縮めかしこまった態度で心の中でのみ叫んでいた。そして、どうやらサラがエリーたちを庇い擁護していることに気付くと、
――いけーサラさん! がんばれー!
と、やはり心の中で応援するエリーであったが、そこで、ふと思い出す。
――あ、忘れてた。
とマリアンヌから身元の保証にと、ガーネット伯爵家の紋章入り短剣を預かっていたことを。
慌てて短剣を取り出すと、恐る恐るといった様子で、そっと二人の前に差し出す。
「あ、あのぉ……これを」
言い争う二人の会話に割って入ったことによって、その二人から「なに!」と険しい視線を向けられた。
「ひいぃ……せ、先輩が困った時にはこれを見せろって……」
エリーが一気に話して、逃げるようにカウンターから一歩飛び退くと、サラとガンツの二人はカウンターの上に置かれた短剣を怪訝な面持ちで眺めた。
「これは……」
「え、えーと……わたしたちの身元は伯爵家が保証してくれるって……」
それを聞いた二人は思わずといった様子で、お互いの顔を見合わせる。
そして、次の瞬間には、
「それを早く言え!」
「言いなさいよ!」
見事にハモった怒声をエリーに浴びせた。
「ひゃぁぁ……ごめんなざーい」
またしても涙目になるエリーだった。