◇魔導師、大いに驚く(6)
次に起きるだろう惨劇を想像し、思わずぎゅっと目を閉じていたエリーだったが、
『ぬぅ、体が締め付けられる。これは……金縛りの術か……』
とのカゲヒサの苦し気な声に、そっと目を開けると――右足を前へ踏み出し体は半身に開き鞘走る刃は半ば以上が抜かれた、その状態でカゲヒサは仄かな青い燐光に包まれ動きを止めていた。
『……カ、カゲヒサさん?』
『これも、エリィさんの術なのでござるか』
『え……何を……うひゃ!』
何が起きたのかよく分からないままカゲヒサに手を伸ばす。とたんに青い燐光がパンっと弾けて消え失せ、エリーを驚かせた。そして拘束していた力も喪失したのか、カゲヒサはがくりと膝を突いた。
『カゲヒサさん、大丈夫なの』
エリーが慌てて手を貸そうとするも、カゲヒサは首を振り『大丈夫でござる』と口にしながら、よろよろと立ち上がった。その表情は先ほどの険しい表情からさらに、苦々しさを含んだように口を歪め、その声には僅かに非難めいた響きさえも混ざる。
『先ほどのエリィさんの叫びは、某の心底に突き刺さり、魂そのものを揺るがすが如しの厳しい衝撃でござった』
『へ、わたしは何も……』
一応の否定はするものの、お腹の底から絞り出すような大きな声を発したのは、生まれてから今日が初めて。と同時に、叫んだ時に体の奥底で魔力らしき塊が大きくうねるのを感じていたのだ。
それは今までで感じた事もない程の膨大な魔力。
しかし、
――そんなはず……ないわ。
と、エリーはきっと気のせいだと首を振る。
物心がつく頃から、一族の長でもある祖父に「お前にはエルフどころか、ヒューマンの魔導師にも劣る魔力しか内包されておらん」と言われ続け、学園の魔力判定でも最低ランクの成績しか残せなかった。
そもそもが魔法学園に入学できた事自体が奇跡のようなものなのだ。入学試験では散々な結果しか示せず、エリー自身も「なぜ」と不思議に思うほどだった。
幼い頃から「わたしにもっと魔力があったら」と、そうすれば皆の自分に対する態度も変わるのにと夢想する事もしばしばだった。だが、その都度、いつも落ちこぼれエルフだとの現実を突き付けられ、項垂れるように下を向いて生きてきた。
だからエリーも今さら信じられないし、今のはただの勘違いだとしか思えない。
――と、そんなことを考える前に、カゲヒサさんを止めないと。
『えーと、カゲヒサさん……サラさんは魔物ではなく人ですからね』
声をかけながらカゲヒサの腕を掴む。
抜きかけた剣は鞘の中に戻されていたが、まだ柄を握ったままだったからだ。
そのカゲヒサが眉をひそめて見つめ返す。
『むぅ……エリィさんは人と申すが、あのように頭から獣のような耳が生えておる。もしやすると、エリィさんには見えておらぬのか』
『ちゃんと見えてるわよ、私にも』
『であれば、エリィさんは化かされておるのではないか』
『化かされるって、何よそれ。あのね、サラさんは獣人なの』
『ん……獣人?』
『そうよ、歴とした狐人族の女性だから狐の耳が生えていても当たり前でしょう』
エリーの語気は、途中から叱るように鋭いものへと変わっていく。
――何故だか不思議と、カゲヒサさんには強い口調で言えるのよね。
頭の片隅でそんな事を考えるエリーの前では、カゲヒサが呆気にとられた様子で目を白黒させていた。
『狐人? それは……』
『うわぁ、やっぱり分かってなかったのね。獣人も知らないって、今さらだけどカゲヒサさんの居た所はどんだけ辺境なのよ』
『むむ、獣人の事は知らぬが、この地では妖怪変化と人が共に暮らしているとでも申されるのか』
『妖怪? もしかしてそっちでは獣人がそんな風に呼ばれてるとか……それでカゲヒサさんも迫害してる側だったら、わたしはカゲヒサさんの事を軽蔑するわよ!』
『いやいや、そ、某も話に聞くだけで、実際には出会うた事はござらぬ』
さらにヒートアップするエリーの熱量に押されて、カゲヒサもたじたじと後退る。
『ふーん、それなら良いけど。まぁ、こっちの大陸でもエルフや獣人を亜人と呼んで蔑む人も、未だにいるみたいだからね。でもいい、エルフには植物の因子が少し混じっているように、獣人も獣の因子が少しだけ混じっているだけで、普通の人と何ら変わりはないのよ!』
『むむむ……』
『何が、むむむよ。分かったなら「はい」と返事するの。それと、魔物呼ばわりして剣を向けようとしたサラさんにも、しっかりと謝りなさい』
まるで子供を叱るかのように、エリーがびしりと指差し言うと、さすがのカゲヒサも首を竦めていた。
エリーにしてみれば、自分自身も幼い頃から迫害され差別を受け続けてきたのである。その苦い思いが、辛い想いが重なり、召喚のお陰で魔力線で繋がる気安さからか、カゲヒサに向けて感情を爆発させたのだった。
しかし、
『ほら、一緒に謝るわよ』
とカゲヒサの手をを引きカウンターの方向に向いたまでは良かったものの、そこでエリーの動きがはたりと止まり固まった。
何故なら――カウンターの向こうにいたのはサラひとりだけではなかった。その横には頭髪をつるりと剃り上げたスキンヘッドの大柄な男が腕組みをし、苦虫を噛み潰したかの如く顔をしかめてエリーたちを睨み付けていた。
そして、
「もっともなご高説を賜った所で悪いが……で、結局お前らは何者で、なにしにこのギルドに来たのか教えてもらえるのかな」
と低く野太い声で話しかけてきた。その声は常日頃、他人に命令することに慣れた響きを伴い、苛立ちと怒りを含ませたものだった。
――うひゃぁ、また新しい人が出てきたよ。しかも見るからに怖そうな人……。
そして、そっと周囲を見渡せば、またしてもロビーはシーンと静まり返り、この場にいる全ての人たちから注目を浴びせられている事に気付くのであった。
――うぅ……もう、カゲヒサさんの馬鹿ぁ!
心の中で叫びながら、小さな体をさらに小さく縮ませるエリーだった。
まだエリーさんのターンが終わらない(汗