◇魔導師、大いに驚く(3)
冒険者の朝は早い。朝一番にギルドの掲示板に張り出される依頼の中から、出来るだけより良いものを得るため、冒険者たちは押し寄せるのである。特に駆け出し冒険者にとっては依頼の成否が生活に直結し、生死さえ分かつことさえあるのだ。だから必死に成らざるを得ない。この日も朝の早い時間から大勢の冒険者が詰め掛け、ギルド内のロビーは騒然として戦争もかくやとの有様である。
だが、先を行くカゲヒサを追いかけ、エリーが一歩ギルド内へと足を踏み入れると、その喧騒も潮が引くようにさぁっと静まっていった。
――あぅ、やっぱり注目されてる。
二人に最初に気付いた者が、傍らにいる者に耳打ちし、たちまちギルド内に広まっていったのだ。今ではこの場にいるほぼ全員から、二人は耳目を集める存在となっていた。
そうなるとエリーとしては、湧き上がる羞恥心と生来の気の弱さが頭をもたげ、外にいた冒険者たちに睨まれた時以上に声を失い、またしても体を硬直させるのであった。
――あわわわ、ど、どうしよう。
と、思わず怖気づくエリーだったが、ギルド内にいた冒険者たち全員が二人に注視し関心を向けるのも、尤もな事でもあったのだ。何故なら――二人が街では見かけない顔というのもあるが、やはり一番大きいのはその容姿。エリーはゆったりとした白い衣服の上下に、その上から安っぽい革製の鎧やグローブを身に着け、同じく革製のブーツを履いている。さらに右肩から斜めにかけた雑嚢袋に、背には半弓を負い、腰の後ろに括り付けられるのは幅広のククリナイフである。
いかにも駆け出し弓使い(アーチャー)の装い。
しかも、この辺りでは珍しい端正なエルフ顔な上に、地方によっては不吉を招くと噂される赤い髪なのだ。本来、エルフの髪は薄い緑。エリーの髪の色はかなり珍しい。ヒューマンであれば珍しくはあるが、地域によってはいないこともない。しかし、エルフの中では皆無。エリー自身も、自分以外には見たことも無いほど。或いはハーフであるヒューマンの部分が、悪い方向に顕在化したとも思っていた。
赤い髪は、それほど珍しいのである。
実際、周囲から漏れ聞こえてくる囁き声もこうである。
「げ、赤毛のエルフ。なんて不吉なんだ」「うわぁ、今日はもう依頼を受けずに帰ろうかな」「あ、馬鹿! お前ら、エルフを差別するような発言をすれば、ギルドマスターにどやされるぞ!」「いや違う。俺は別にエルフのことをどうこう言ったんじゃなく、赤毛のことをだな……」
等々、囁き合う声が漏れ聞こえて来るのである。
そして、エリーひとりでも目立つ所を、さらにその傍らに問題となる存在がひとり。
そう、カゲヒサである。見かけない顔どころか、見るからに異相な上に異装。黒髪黒目の、のっぺりとした顔立ちに頭頂部だけを剃り上げ、小さくまとめた髪が載っていた。衣服もまた奇妙なものだった。腰に剣らしきものを差すものの、前で合わせる布製のものを何枚か重ね着し、ゆったりと袖口が大きく開いた濃い藤色の衣服を羽織る。ズボンもだぼっとしたものだったが、膝の辺りから足首にかけて、これもまた布製の脚絆で動きやすいように絞っていた。また、履いている靴も皮ではなく、草を編み上げたものなのだ。
もはや異国風なのを通り越し、怪しげな異相に異装の男を、赤毛のエルフが引き連れてギルドに乗り込んできたのだ。目立たないはずがない。
「妙な野郎だ……」「どこの国から来たんだ、あの男は」「エルフと一緒にいる男は何者だ」「こいつら……この街で何かしでかす積もりか」
と、冒険者たちの目を引き、興味を覚えるのも無理もないものだったのである。中には瞳に警戒の色を浮かべる者さえいた。
というのも――かつて遠い昔、人口の増加に伴い大陸中に生活範囲を広げるヒューマンと、森の中に隠棲し自然と共に歩む民エルフは、種族の生存すらかけて激しく争う時期もあったのだ。そんな両種も今現在は、歩み寄り表面上は平和な関係を維持していた。特にアレス王国では近年、戦力向上のためにと魔法に秀でたエルフを国内へと取り込もうとさえしていた。実際、その試みはある程度の成功をみていたのである。森での生活に飽き、刺激を求めて里から飛び出すような一部の変わり者のエルフではあるが、アレス王国内の都市部でも少数のエルフが生活していた。その中でも、つとに有名になったのが現在の王国魔法兵団のトップでもあるマーベリ兵団長なのだが、このアレクサンドリにもひとり、あまり人には知られていないもののエルフが暮らしているのである。
だが歴史的な経緯から、国民感情の底の部分には今でもエルフを軽視し忌避する感情もくすぶっているのだ。それが今回は赤毛のエルフが怪しげな男を伴って現れたのだから、一部の冒険者からは警戒や侮蔑ともとれる感情が噴出し、敵意ある視線を向けるのであった。
ギルド内に張り詰める空気。最初は、突然現れた奇妙な二人組みに興味を覚えるだけだったものが、エルフ、赤い髪、怪しい男とのキーワードも重なり、一部の冒険者のみだった敵意が伝播していく。そして、エリーのいかにもな駆け出し冒険者の装備や、二人の見た目の若さ――エルフは元々その端麗な風貌から若く見られ、カゲヒサもまた若返っている上に、この大陸では見られないおうとつの少ないのっぺりとした顔立ちが幼く見せるのである。
この場にいる冒険者たちからは二人が十代半ばにも見え、新人らしい駆け出しの装備と相まって侮りを産み出す。それがまた、敵意に拍車をかけていた。
ぴーんと張り詰める空気に、エリーは思わずカゲヒサの背後の隠れ、その指先は無意識にカゲヒサの袖口を摘まむように掴んでいた。が、掴まれるカゲヒサは違っていた。
『くくく、某には馴れ親しんだ、心地良い気配でござるな』
『カ、カゲヒサさん……?』
含み笑いと共に呟くカゲヒサに、エリーは困惑した声で返す。袖口を摘まんでいた指にも力がこもり、知らず知らずの内にぎゅっと握り締めていた。
『だ、だめよ。ここには登録に来ただけだから、他の人と争ったりしたらアンヌ先輩にも怒られるし、私も困っちゃう』
『別に某も、破落戸ではござらぬからな。むやみやたらと此方から仕掛ける積りはござらぬよ』
と笑顔で答えるカゲヒサではあるが、その目は笑っていない。それどころか答えると同時に、ぶわりとただならぬ気配が漂い出る。
『されど、降りかかる火の粉は払わねばならぬであろう』
――うぅ……やる気満々じゃない。
エリーの嘆きをよそに、カゲヒサから漂い出る気配が一気に加速する。周囲に向かって放たれる気配、そこにあるのは圧倒的な暴威。長年、剣術の研鑽を積み重ね、剣聖とまで呼ばれる高みまで登り詰めた者だけが放てる、殺気混じりの死の気配。
「ひいぃ……」
側でその気配を感じたエリーは、悲鳴を発してカゲヒサにしがみついた。
直接気配を向けられた訳でもないエリーでさえ、これである。周囲で注視していた冒険者たちは――蛇に睨まれた蛙の如く、その体を硬直させる。中には呻き声をあげて、腰砕けに尻もちをつく者までいる始末。
だが、いくら朝の早い時間といえど、全ての者が駆け出し冒険者ばかりではない。朝の喧騒を嫌うはずの、中堅冒険者たちや上位冒険者も僅かではあるが、この場に存在していた。敵意を剥き出しにした駆け出し冒険者たちの後ろで、興味深く成り行きを傍観していたのだ。カゲヒサから放たれた死の気配にも、僅かに眉をひそめ瞳に浮かべる警戒の色を強めるのみである。
しかし、どこにでもはねっかえり者、或いは目立ちたがりの空気を読めない男はいるものなのだ。
「おうおう、今のは【威圧】のスキルでも放ったのか、この野郎! 俺様も、ちょっと痺れちまったぜ。だがなぁ、何の積りか知らねえが、この俺様、Bランクのハンス様がたまたまこの場にいたのが運のつきだ。ガキがぁ! 俺たちアレクサンドリの冒険者をなめんじゃねぇぞお!」
と、ひとりの男が怒鳴り声と共に飛び出し、ギルド内の緊張した空気を切り裂いた。
――うわっ、変なのでたあぁ!
カゲヒサの背後からエリーがそっと眺めると、ハンスと名乗った男は長剣を背負った、見るからに戦闘特化の前衛職。年齢は二十代後半ぐらいの青年で、茶色の頭髪を短く刈り込み、細身ながらしなやかな動きでカゲヒサを威嚇していた。
そして、ギルド内にいた若い冒険者たちからは、「ハンスの兄貴、たのんますよ」「そのくそ生意気なガキを叩きのめして下さい」と声援が飛び、意外にも人気が高い。
学園に在学中も、この手の者は何人も見てきたエリーである。妙に明るく、ある意味軽薄。面倒見の良さと、その乗りの良さから同級生や下級生からは人気があるのだ。当時はまだ陰を引きずった状態のエリーには眩しく映り、どうにも苦手な存在だった。そんな者たちと、目の前に立つハンスの姿が重なって見えてしまうのである。
『ど、どうしようカゲヒサさん。この人、かなり怒ってますよ』
『そのようじゃな。言葉は分からなぬが、どうやら某に勝負を挑みたいようなのは分かり申す』
焦るエリーに、カゲヒサは余裕の様子で満面の笑みさえみせる。
『ちょっと、分かってるの。このハンスとかいう男の人は、Bランクなのよ。Bランクっていったら、中堅冒険者でも上位になるんだから』
『ほう、Bランクというのはちと分からぬが、エリィさんの様子からして、若いながらも相当の実力者ということでござるな』
『そ、そうよ、だから……』
『それは重畳。若い者に勝負の厳しさを教えるのもまた、先達の役目でござるからな。この勝負、受け申す』
そう言うと、エリーがしがみ付いていたはずの手の中から、どうやったのかカゲヒサはするりと抜け出し、ハンスに向かって一歩踏み出した。
『あ、カゲヒサさん……若いって、周りから見たらカゲヒサさんの方が、まだ子供に見えるんだからぁ!』
――あわわ、どうしよう。後で絶対に先輩に叱られるぅ……うぅぅ。
エリーも実際には、カゲヒサが簡単に負けるとは思ってもいない。盗賊相手とはいえ大勢の人を斬り捨て、“草原の狼”の四天王のひとり剛力のガークさえあっさり倒したのだ。あの悪鬼のような姿を見ていれば、例えBランクの冒険者といえど、とてもカゲヒサには敵わないと思うのである。ただ、ここにはギルドに登録して身分の証となるカードを作りに来ただけなのだ。このまま大勢の冒険者と争うことにでもなれば、それこそ「はい、そうですか」と難無く登録してもらえるとは思えないのだった。
しかし、カゲヒサと相手のBランク冒険者ハンスは、もう止まらない。
「おう、やる気になったか。そのくそ生意気な、どこまでも伸びきった鼻を俺様がへし折ってやるぜ」
と、やる気十分な態度をハンスが示せば、周りからは他の冒険者からも声援が飛ぶ。対するカゲヒサも余裕の笑みを浮かべたままだ。
両者が歩み寄って一触即発となり、エリーが「もう駄目ぇ」と思ったその時だった。
「あなたたち、そこで何をやっているの!」
厳しさを伴った女性の声と同時に、パンパンと手のひらを打つ音が、ギルド内のロビーに鳴り響く。
意外にもその細い声と甲高い音が喧騒を切り裂き、この場にいる皆をギョッとさせ身を竦ませた。
声と音がしたのは、入り口近くにいるエリーから見れば、喧騒の中心となり皆が集まるロビーを挟んだ反対側にあるカウンターの中からだった。そして、そこにいるのは腰に手をやり、険しい眼差しで皆を睨みつける細身の知的美人である。
――今のは風魔法を帯びている?
驚くエリーをしり目に、
「ちょっと目を離すとこれだから。さぁ、依頼を受けた人はさっさと仕事に行く! まだの人も、さっさと自分に合った依頼を探しなさい!」
と、女性がもう一度手のひらを打ち鳴らすと、冒険者たちは肩をすくめ蜘蛛の子を散らすように周囲からいなくなった。
「で、ハンスはどういう積りでそこにいるのかしらね」
「いや、そのサラさん、このガキがどうにも――」
「どうもこうもないでしょう。分かっているのハンス。あなたはこの間の依頼で厳重に注意を受けたばかりなのよ」
「でもよう、あれは依頼をした貴族の野郎が――」
「でももへったくれもない! 例えどんな変態貴族でも依頼主は依頼主なの! それをあなたは後さき考えずに殴り飛ばしたのよ。後で、わたしたちギルド職員がどれだけ謝ったことか。今度また騒ぎを起こしたら、次はランク降格処分なのよ。それが分かっているの、ハンス!」
「お、おう……」
「今回はまだ暴れる前だから大目にみるけど、これ以上騒ぐようならギルドマスターに報告しますから」
「わ、わかった。悪かった。謝るから、ギルマスにだけは報告しないでくれ」
突然の状況変化に付いて行けず、完全にエリーはポカーンである。エリーとカゲヒサはかやの外に置かれ、サラと呼ばれた知的美女によって当事者の片方であるハンスが、一方的にやり込められているのだ。
『エリィさん、どうなっているのであろうか』
と、エリー以上に訳の分からないカゲヒサも、首を傾げていた。
『どうやら、このギルドの職員さんが騒ぎを知って、皆を静めたのよ。もしかしてあの女性は、職員の中でも偉い人なのかも』
『そうでござるか……なれば遺憾ではあるが諦めねばなるまい』
とりあえず喧嘩にもならなくて良かったと、エリーはホッと胸を撫で下ろす。その横では、いかにも残念そうに口をへの字に歪めるカゲヒサの姿があった。
そんな二人にハンスが、
「ちっ、お前たち運が良かったな。いつかそのくそガキの鼻はへし折ってやるからな」
と去り際にぼそりと囁く。が、直ぐにまるで地獄耳のようなサラに聞きとがめられ、「ハンス!」と叱声が飛ぶと、ハンスは首を竦めて慌てたように去っていった。
「で、あなたたちだけど」
――う、やっぱりこっちにも矛先が……。
カウンターの向こうからサラが「こちらにいらっしゃい」と手招きしていた。
――行かないと駄目だよね。カゲヒサさんの登録の事もあるし……。
荒くれ集団の冒険者たちを、言葉で静めて従わせたのだ。戦々恐々とした思いでエリーはカゲヒサの腕を掴み、重い足取りでカウンターへと向かう。
そして、カゲヒサに向かってお願いする。
『いいカゲヒサさん、今度こそ揉め事は無しだから』
『某は最前も申したように破落戸ではござらぬ。此方から喧嘩を売るような真似は致さぬよ』
『どうだか……』
さっきもそんな事を言いながら、エリーも震えそうになるほどの殺気を放っていたのである。そのことを思い出し、このまま無事にギルドで登録できますようにと願うエリーだった。