◇魔導師、大いに驚く(2)
陽が昇り始めたばかりの、まだ人の姿もまばらな早朝。大通りに面して立ち並ぶ石造りのしっかりとした建物も、一般の客相手の店舗が殆どではあるが、この時刻はまだ入口は固く閉じられひっそりとしている。時おり見掛ける人影も、陽が昇るとほぼ同時に活動を始める冒険者を相手にした屋台を営む者などが、その準備を始めているぐらいなものであった。
そんな閑散とした大通り、そこに敷かれた石畳上に二つの足音が鳴り響く。エリーとカゲヒサのふたりが、冒険者ギルドの建物へと向かっていたのである。
その途上、カゲヒサがふと足を止めた。
『エリィさん、あのような小さな石の固まりを積み上げて、この家はよく崩れぬものだのう』
カゲヒサの視線の先にあるのは、赤レンガを積み上げ建物を覆った家屋である。
『えーと、それはレンガといって焼き固めたってか、カゲヒサさんいちいち立ち止まらないで』
先ほどの結晶石での驚きも冷めやらぬまま、エリーがちらりとカゲヒサを窺う。すると、カゲヒサにはよほど町並みが珍しいのか、促されてまた歩き出してからも、頻りに首を捻りつつ不思議そうにしていた。
『私もアレクサンドリの街は初めてだし、ギルドで登録した後に二人でゆっくりと見物してまわるのも良いかもね』
エリーがそう言うと、納得して頷くも、カゲヒサはそれでも周囲をきょろきょろと見渡しながら歩いていた。
――カゲヒサさんは聖結晶石の事も知らないような土地で生活をしていたみたいだし、無理もないと思うけど。
聞けば、遥か海の彼方の別大陸で暮らしていたとの話だった。もしかして、さっきの聖光もカゲヒサとは直接の関係はなくても、或いは出身地と何か関係があるのかもと考え、エリーはたずねてみる。
『カゲヒサさんのいた土地では、ご家族の方や家柄が神様に仕えているとかは……』
『いや……あいにくと某は、二親の顔を知らぬのでな、しかとは分かり申さぬ』
『あ、ごめんなさい……変なことを聞いちゃって』
途端に、エリーは顔をくもらせ謝った。エリーもまた、生まれた時に母親を亡くし、父親に関しては生きているのか死んでいるのかも、何も知らないのである。だから両親の顔すら記憶になく、カゲヒサも同じような環境で育ったと知り、また少し親近感が増すのであった。
そんなエリーに、カゲヒサは朗らかに笑ってみせる。
『いや、それはもう良いのだ。二親の事など気にもせぬようになったのは、もう随分と遠い昔のことじゃからな』
『え、そうなの……』
――やっぱりカゲヒサさんは、私よりもずっと歳が上なのかしら。
そんなことをエリーが考えていると、今度はカゲヒサが聖結晶についてたずねた。
『ふむ……それよりも先ほどから、某と神仏との係わりを気にしておるようだが、最前の宝玉やそこから放たれた光と何か関係がござるのかな』
『え、あ、はい。青は聖なる光だと、この辺りでは……というか、私の知る限りではこの大陸では当たり前のように言われているの』
『ほぅ、宝玉からもれ出た光は神聖なものだと申されるか』
『そうよ、聖結晶石の判別法は、別名「魂の裁決」と呼ばれる特別なものなの。善なる心の持ち主は限りなく澄んだ清らか青に、悪しき心の持ち主はその程度によって段階的に濁っていくの』
『ふぅむ、なんと心の中まで見通すことが出来ると申されるか……なんとも信じ難い胡乱な話でござるな。それが真実であれば、南蛮国の秘術、技術には驚き至ると申すしかないが……某も常に刃の下に身を曝してきた武人。これまで曲がったこともした積りもないが、善なる心の持ち主かと申せば、ちと心もとない』
『んー……でも、さっきの光なんだけど、あの大きさの清らかな青にもなると、それこそ神々から加護を賜った【聖印】の持ち主クラスの光かた……』
話をしている途中で、盗賊の戦いの最中にカゲヒサが見せた、夥しい量の血流を浴びた姿をエリーも思いだし、それもないかと思い直す。
確かに、神官や司祭の中にも冒険者の登録をし、魔獣討伐に赴く者もいる。それら以外にも聖神教団などには、独自の戦力として聖騎士団を抱えていたりもするが、神々からの加護の証たる【聖印】を賜る聖人は、また特別なのだ。しかし、あの戦いでのまるで悪鬼のようなカゲヒサの姿は、あまりにも【聖印】を賜る聖人からはかけ離れた姿だったのだ。
『よく分からぬが、某のいた日ノ本にも、聖域にこもり人ならざる存在より教えを受けての流儀の開眼や天啓を得たと申す武芸者は数多くおったが、某は終ぞ、そのようなものに出会わなんだ。故に己の流儀を喧伝するための、ただのまやかしかと思うておったが……』
『へぇー、カゲヒサさんの国では戦士や剣士が加護を受けるんだ。もしかすると、そっちの大陸では武神エヌル様が加護を与えてるのかもね』
『こちらでは、そのような事が信じられておるのか……』
『そうよ、実際に加護を受けてる人もいるもの』
『ふぅむ……にわかには信じられぬが……』
『でも、本当のことだから。あ、カゲヒサさんも武神エヌル様の加護を受けてるとか?』
『いや、最前も申した通り、某は開眼や天啓を受けた覚えはござらぬ……されど、強いて挙げるとすれば、幼少のおり三島神社の床下を塒にしておったぐらいか。その際に、武芸者との立合いに勝利して祠官より宝刀を授けられたが、その瓶割刀も今はすでに弟子の典善に譲り渡しておるな』
『あ、それかも……でも、加護を受けるにはちょっと弱いわね』
『ふぅむ、いずれにしろエリィさんの秘術によって、この地に招かれてからは、この体も、先ほどの結晶石も、この町並みも、周りの全てが驚くことばかりでござるよ』
『え、この体もって、もしかして……』
『うむ、某の体は、エリィさんの秘術によって若返っておる』
『えぇー、やっぱりって、そして私のせいぃー……と、その前にごめんなさい』
と、エリーはぺこりと頭を下げる。
エリーは里でも学園に入学してからも皆から除け者にされていた。それだけに、周囲には知り人もいない見知らぬ土地に一人放り出され、風習や習慣も何もかも違う異文化の只中にいるカゲヒサの気持ちに、ようやく思い至ったのである。
――私だったら、とてもではないけど心細さに耐えれそうにない、と。
『ううぅ、私って……今まで気付かないなんて、馬鹿、バカ、ばか!』
そう叫ぶと、エリーは涙目となり、突然に自分の頭をポカポカと叩き出す。
これにはカゲヒサも驚きの表情を浮かべた。
『これこれ、エリィさん、急にどうしたのでござるか』
『だって、私ったら、カゲヒサさんのことは何も考えないで自分のことばっかりで……私って、本当に駄目だから……』
『エリィさん、某は怒ってもおらぬし、気にもしておらん。むしろ、感謝したいぐらいじゃ』
『……本当に』
『うむ、まぁ、多少は戸惑っておるがな』
と言うと、カゲヒサは「カッカッカッ」と、大口を開けて哄笑する。と同時に、暖かなものがエリーに流れ込み、心からホッとさせた。そして、そんなカゲヒサの姿が、エリーには眩しく見るのだった。
――何でだろう、私ったら変。少し胸がどぎまぎするんだけど……。
『ところで、エリィさん――』
『あ、はひぃ!』
『――ここが、そのギルドとか申す所ではござらぬか』
『えっ……』
カゲヒサに促されエリーが視線を前に向けると、目の前には周囲の建物より一際に大きく立派な建物が聳え立っていた。
『あ、剣に盾の看板。こ、ここが確かに冒険者ギルド。でも、カゲヒサさんには、なぜ分かったの』
『武人が集いし場所と聞いておったのでな。周囲を見渡せば、一目瞭然でござろう』
言われてエリーが周囲に目を向ければ、閑散としていた大通りの中で、ギルドの周辺のみは大勢の人が群れ集っていた。そして、身に着けている装備から、その殆どがこのギルドに所属する冒険者たちのように見えた。
建物近くにいた者たち――まだ若い冒険者らしく荒々しさを隠そうともせず、反対にぎらつかせた瞳をエリーたちに向け肩を怒らせていたのである。
――うわぁ、完全に私たちを威嚇してるよね。
エリーがギルドに登録したのは、学園都市でのことであった。当然ながら魔法学園のお膝もとのギルド、対応も卒業生には優しく、所属する冒険者も卒業生が殆どだった。だから、人見知りのエリーでも問題なく登録できたのである。
先輩のアンヌも「学園都市のギルドは甘いけど、他の場所のギルドでは色々と厳しいから」と言っていた。他にも「特に早朝は、少しでも良い依頼を受けようとする駆け出し冒険者たちが鎬を削る場だから、かなり荒々しいので気をつけなさい」と言っていたのを思い出した。
――明らかに見かけない新参者への示威行為……これが噂に聞く、ギルドの洗礼ってものなの。
その時、立ち竦むエリーの肩を、ぽんとカゲヒサが叩いた。
『大丈夫でござるよ。某がおるのでな』
そう言うと、カゲヒサがチラリと若い冒険者たちを眺める。それだけで、冒険者たちが視線を逸らしていくのである。
『カ、カゲヒサさん、何をしたの』
『なーに、少しばかり殺気を放ったのでござるよ』
にやりと笑ってみせるカゲヒサ。
その笑みが、盗賊との戦いの時に見せていた悪鬼のような笑顔に似ていて、エリーの背筋をぞくりと寒気が走った。
『はてさて、異国の武人が集いし場所。鬼が出るか蛇が出るか、楽しみなものよ』
『ちょっ、ちょっと、カゲヒサさん。ここには登録に来ただけだからね』
笑顔のまま入り口へと歩み寄るカゲヒサの後を、エリーは慌てて追いかける。
――本当に大丈夫だよね、カゲヒサさん。
と、一抹の不安を覚えるエリーであった。