◆ 剣豪、異世界の都市に到着する(3)
しばらくの間、景久がこの地の国や町についてエリィに尋ねていると、ようやく順番となり門を潜ることとなった。
前後には南蛮の武人や商人が並び、順番に役人から詮議を受け何もなければ解放される。このあたりの雰囲気は異国であろうと、日ノ本の関所と何ら変わらない。
そんなことを考えていた景久だったが、ふと気付く。それは間違いであると。
前に並んでいた南蛮商人たちが、門脇の詰所前に置かれた石の前で手を翳す。その後は、横に控える役人らしき者に一言二言、挨拶する程度であっさりと解放されていたのだ。そばには数人の兵も警戒しているが、何も言わず南蛮人を通している。
幾らマリアンヌが有力者の娘であったとしても、町に訪れる者を詮議する役人であれば、出身地や目的等々もう少し問い質すべき事もあるはずと、逆に不審を覚える。更にいえば兵法者の目で眺めると、それはあまりにも奇妙な光景でもあるのだ。
景久の聞く所によると、橋を降ろし門を開けるのには、まだ早い時刻だとの話であった。俗に夜討ち朝駆けは武士の習いとも言われるが、実際には朝駆けが多く、本来の意味で夜半の闇の中で行なわれる襲撃は少ない。暗闇の中では、奇襲を仕掛けたはずの寄せ手側にも混乱をもたらす事となり被害も大きくなるからだ。うっすらと辺りの様子の判別がつく明け方、或いは夜明け前の暁闇に準備を整え戦闘が始まる頃には夜が明けるのが望ましいとされ、それは源平の合戦の頃よりの戦の常法ともされてきた。
はっきりといえば、景久たちが詮議を受けるこの時刻が、守兵には最も警戒すべき時刻でもあるのだ。もし仮に景久たちが奇襲を仕掛ける側の間者であれば、郭内への潜入に成功、または詮議の終わった者が背後から襲い掛かかり、門周辺の制圧に動く事も可能なのである。
時間外に訪れた者たちを取り調べるにはあまりにも杜撰、先ほど見た射手たちなど町を守る兵の練度の高さとの違いが際立つ。
例え異国の地であろうと、人の営みにはそれほどの違いはあるまいと思っていた景久には、慎重さと怠惰な油断が同時に混在する守兵側の態度に、奇妙さを感じてならないでいた。
そして順番が迫るにつれ、更なる異様さにも気付く。
――あれは勾玉。
古来、日ノ本の国でも数多くの水晶が産出されていた。多くは勾玉など宝玉へと加工され、神仏への奉納や儀式、高貴なな方への贈り物など様々な場面で用いられていた。中には御神体として祭られる宝玉さえあった。
そんな水晶を加工した宝玉に、詰所前に置かれた奇妙な石がよく似ていた。
大きさは一尺(約30センチ)程度の丸く加工された白濁とした宝玉。それが腰の高さぐらいの簡素な机の上に、無造作に置かれていた。
景久が、前に並ぶ南蛮商人の動きをよくよく眺めていると、懐から薄い板のようなものを取り出し、それを持ったまま宝玉の上へと手を伸ばすのである。そして、微かに宝玉に触れるかと思われた途端、宝玉自体が青白い燐光を放ったのだ。
あまりにも妖しげな光景。
これにはさすがの景久も驚き、思わずエリィに話しかける。
『あれは、何でござろうか』
『あぁ、聖結晶石ですね』
『聖結晶石?』
『はい、あの中にはローディグの魔法が封じられてるんですよ』
『ローディグ?』
『そうですよ。だからあーして少し触れるだけで、犯罪歴なんかが……って、またですか』
訝しげな表情を浮かべる景久に、エリィは呆れた声を出した。
『聖結晶も知らないって、本当にカゲヒサさんは何処から来たのかしら』
エリィの疑問に、景久は少し考えてから答える。
『……ふむ、某のいた日ノ本の国は島国でな、都には遥か遠く海の彼方の異国より、神の教えを説くと申して宣教師なる者も訪れておった。たぶん、その者たちの母国が、この辺りなのであろうな』
『へぇ……聖神教の司祭様や神官の人たちかしら』
『某は興味も覚えなんだで詳しくは知らぬ。が、どうやら一年以上の時をかけ荒れる海原さえ越え、やっとの思いで辿り着いたとか申しておったそうな』
『うへぇ、船に乗って一年って……カゲヒサさんの居た所って、そんなに遠くの国なんだ』
他人事のように感心した声をあげるエリィに、景久は苦虫を噛み潰したかの如く顔をしかめてみせた。
『しかし、最前も申したように、この地に呼び寄せたのはエリィさんであって、某にはこの地について何も分からぬし、日ノ本の国への方角すら分からぬ』
『あ、そうだったわね』
ぺろりと舌を出すエリィ。憮然とする景久に、『ごめんなさい』と謝りつつも、今度はころころと愉しげに笑いだした。今まで里や学園では誰よりも下に見られ蔑まされてきただけに、“景久に教える事がある”そのこと自体が楽しくて仕方ないのだ。
『あの聖結晶とか申す宝玉……某のいた日ノ本の国にも似たような宝玉はあったのでござるが、あれは何をしているのでござるかな』
石に向かって南蛮人たちが何かしているようなのだが、景久にはそれが何であるかが見当もつかないのであった。
『ふふふ、あれはね、聖結晶の中に封じられてるローディグの魔法を発動させて、その人の過去の犯罪歴や手配されてないかの確認と、それに街の出入りもチェックもしているのよ』
『そのようなことが出来るのでござるのか』
景久にしてみれば、エリィの話す言葉の意味の半分も分からない。が、それでも南蛮の秘術でもって、あの宝玉が人別帳の類いの代わりをしているのであろうと、おぼろ気ではあるが理解できた。
しかし、土地が違えば風俗や習慣もそれぞれに異なるといっても、それにも限度はある。
――果して、そのような事が可能なのであろうか。
と、景久には信じ難く首を傾げるしかないのである。
――しかし、元々は種子島も南蛮の国から我が国にもたらされたと聞く。やはり、我が国は物作りに掛けては、南蛮諸国に比べて立ち遅れておるのか。
そんな戸惑いをみせる景久の腕を掴み、エリィはにっこりと笑う。
『論より証拠。ほらぁ、次はわたしたちの順番よ。ギルドのカードを示して……あっ!』
そこで何かに気付いたのか、エリィが叫び声をあげた。
『いかがしたのでござるか』
『肝心なことを忘れてたのよ……せんぱーい!』
と、エリィが焦った様子で、先に解放された南蛮商人と話し合っていたマリアンヌを呼び寄せた。
その後はエリィとマリアンヌ、それに宝玉の横に控える役人を交えた三人で何やら話し合うが、景久にはその内容までは分からない。しかし、時おり景久を指差し何度か言葉の応酬を交わすと、役人が顔をしかめまま僅かに頷く。
その後は、直ぐにエリィが景久へと顔を向け、
『本当は、初めて都市に訪れた人は身分を証明するものが必要なの』
と、胸元から一枚の板を取り出す。それは手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさをした青銅色の金属片。細かな鎖に繋がり、エリィの首からぶら下げられていた。
『ほら、わたしはギルドのカードがあるから良いけど、カゲヒサさんには何もないのよね。でも、先輩が保証人になってくれたので、聖結晶に手を翳すだけで良いって』
と言われても、訳の分からない景久は戸惑うばかりである。が、そんな躊躇する様子さえみせる景久の腕を取り、エリィは『何も危険はないから』と、強引に宝玉へと近付ける。
もとより景久も、それほど危険を感じていた訳ではない。前に並んでいた南蛮商人たちは、躊躇いもなく自然に行っていた動作でもある。そこには、エリィが言うように何の危険もないのだろう。ただ、燐光を放った宝玉に、景久は一抹の不安を覚えてしまうのだ。
エリィに促されるまま、ゆっくりと手を伸ばす景久。
そして、指先が宝玉に微かに触れた、その刹那。
――むぅ、これは。
その時、景久が覚えたのは、激しく頭を振った後かのような軽い酩酊感。強いて例えるなら、何者かが頭の中に指先を差し込み、激しく掻き回したかのような感覚。
だが、それは数瞬の僅かな時間でおさまる。
『なっ、な、今のは何でござるか』
と、驚嘆する景久。しかし、驚くのはそれだけではなかった。
他の南蛮人たちが触れた時は僅かな燐光を放つだけだった宝玉が、激しく明滅を繰り返し、青くどこまでも青い輝きが閃光となり周囲を埋め尽くす。
そして驚くのは景久ばかりではない。傍らにいたエリィは勿論、マリアンヌも門を守る兵士たちや役人も、呆然とした表情を浮かべていた。
『カ、カゲヒサさん、いったい何をしたのよ』
『某は何も……』
景久が慌てて手を引っ込めると、不可思議な現象――宝玉から放たれていた青い光も急速に収まっていく。
途端に、周囲にいる南蛮人たちはお互いの顔を見合わせ騒然とし出した。
だが、それは悪い意味での騒ぎではない。
この場にいるエリィを除く南蛮人たちの、景久に対する意識をがらりと一変させたのである。
宝玉の横にいた役人らしき者や兵士たちも、驚きの表情を浮かべつつも僅かに頭を下げる。そこに有るのは、景久に対して悪意を抱くようなものではなく、どちらかといえば恭しさを伴うものだった。
言葉は通じなくとも、景久にも人々の様子から宝玉の今の光り方が尋常ではなかったことは分かる。
『えーと、カゲヒサさんはお国では高位の聖職者……って、訳はないわよね。盗賊相手にあれだけ大暴れしてたし……』
戸惑った声を出すエリィの向こうでは、マリアンヌも困惑した表情を浮かべていた。