◇◆ 剣豪、異世界に降り立ち、魔導師、大いに驚嘆する。
下総の国は小金原にある原野において、一抱えもありそうな岩の上に初老の武士が腰掛けていた。その眼前では、二人の精悍な若武者が刀を構え対峙している。
片方はすっきりとした顔立ちの、いかにも育ちの良さそうな若者。もう一方は対照的に、野卑た顔立ちの荒々しさが際立つ若者だった。
既に数刻に及ぶ死闘を繰り広げ、両者共に多数の傷を負って息遣いも荒い。
「これで最後じゃ、鋭!」
野卑た顔立ちの若者が、もはや勝負を決せんと渾身の力で上段から太刀を振り下ろす。と、もうひとりの若者が「応!」と答えながら、こちらも上段からその太刀に被せるように刃を繰り出した。
ギリギリと鋼が音を鳴らし鎬を削ると、後から繰り出されたはずの太刀が、先に振り下ろされていた太刀の軌道を逸らす。そして勢いそのままに、刃は相手の手首に食い込み斬り落とした。
これぞ流儀の基本にして極意、斬撃と受けが一体化した『切り落とし』である。間合い、拍子、精度と力強さの全てが絶妙の間で重ならなければ成立し得ない極意なのだ。
しかも、刃の勢いはまだ止まらない。低空を滑る飛燕がぱっと体をひるがえすが如く、斬り下げた刃の切っ先もぴんと真上に跳ねあがる。
たちまち周囲に飛び散る血飛沫。切っ先が相手の首筋を切り裂いていたのだ。その血飛沫を避けるように、育ちの良さそうな若者がその横を駆け抜けていく。
そして若者は、十分な間合いを取った所で振り返り、太刀を正眼へと戻した。
所謂、残心である。
油断無く険しい眼差しを向けたまま、粗野な若者が倒れ伏すまで眺めていた。その後は動かなくなったのを確かめるべく慎重に近寄ると、最後は心の臓へと刃の切っ先を突き立て止めを入れる。
残酷に思えるかも知れないが、これもまた武士の立ち合いでの作法でもあるのだ。
「うむ、見事じゃ」
初老の武士が立ち上がり厳かな声で告げるも、勝ち残った若者はその整正な顔を歪め、地に倒れ事切れた若者を眺めていた。
「これも剣者の運命、仕方あるまい。いずれにしろ典膳、そなたが我が流儀の道統を受け継ぐ事と相成った。この秘伝書と瓶割刀はその証としてそなたに授けよう」
そう言うと、初老の男は懐から一本の巻物を取り出し、腰にさしていた刀と共に若者へと差し出した。一瞬若者は躊躇するも、視線の先を地に倒れる男から振り切るように外すと、すぐさま恭しく頭を下げて受け取った。
「ありがたく頂戴いたします」
「うむ。これよりは一刀流を名乗り、さらなる精進をいたせ」
「はっ。して、お師匠様は此よりいかがなされまするか?」
「そうよのぉ……わしも老いた。剣者としてはこれまでのようじゃ。それに――」
初老の武士が、地に倒れ事切れている若者に視線を落とし、僅かに眉を下げる。倒れている若者もまた、初老の武士が手塩に育てた弟子であったのだ。いま眼前で争っていた若者二人は、初老の武士の元で剣技を磨いた同門の弟子。剣の運命とはいえ――宗家の道統を受け継ぐため、兄弟弟子で相争う事となったのである。
「――剣を取っての闘争にも飽いた。これよりは山奥にでも隠棲しようぞ」
その時だった。
初老の武士の足下で怪しく眩い光が輝き始めたのである。その光は瞬く間に、初老の武士の全身を覆い尽くしていく。
「むむっ、なんじゃこれは。妖怪変化の類いか!」
「お、お師匠様ぁ!」
それは本当に瞬く間、数瞬のことであった。
逃走することも叶わず、振り払う手立てを講ずる暇もなく、光と共に初老の武士は消え去ったのである。
後に残された若者の叫び声が、空しく小金原の原野に響きわたるのであった。
◇
「うひゃぁ……なに! 何よこれ!」
エリー・ヴァンドールは馬車の後部にある荷台から飛び降りると、思わず悲鳴をあげた。何故なら、目の前の足元に数本の矢が突き立ったからだ。
慌てて周りを見渡すと、
「襲撃だぁ! 賊の襲撃だぁ!」
隊商の連なる馬車群の周りでは、大勢の人が声を張り上げ走り回っていた。
そして数多くの、いかにもといったむさ苦しい男たちが、街道沿いの繁みから飛び出して来るところだった。しかもそれぞれが、剣や槍を手に持ち馬車に襲い掛かろうとしていた。
それを見たエリーの表情が引きつり青くなった。
――う、うっそでしょう。盗賊か山賊だか知らないけれど止めてよね。
それがエリーの正直な気持ちだった。
というのも、今回の護衛依頼は魔法学園を卒業し、冒険者になって直ぐの最初の依頼だったからだ。
こんなことになるなら、素直に薬草採取の依頼でも受けていれば良かったと嘆く。でもそれはもう遅い。後悔は先に立たずである。
そして、まだ冒険者としては駆け出しのエリーが、隊商の護衛のようなランクが上の依頼を受けている理由。それは、魔法学園を卒業してギルド登録時に学園の先輩でもあるアンヌから、「護衛依頼だけど一緒にどう?」と誘われたからだった。アンヌはいつもは女性ばかりの六人でパーティーを組んでるのだが、今回はひとり欠員が出たとの話だった。
それでもどうしようか迷っていると、
「今回は人も大勢だから安全だと思うわ。エリーにも無茶はさせないし、良い経験になるわよ」
と言われ、エリーも気軽に参加する事にしたのである。
その依頼の内容は隣国であるアレス王国の王都まで、十両の大型馬車を擁する隊商とその荷を安全に送り届けること。そしてこの依頼にはアンヌたちのパーティー以外にも、他に三組の冒険者パーティーが参加していた。護衛だけでもニ十人、隊商の人員まで合わせると、総勢で60人を軽く越える大所帯。そこらにいる盗賊も手を出すのを控え、だから安全だと思われたが――――国境を越えた所で陽も落ちかけ、今日は野営をするという事で少し拓けた場所で隊商を止めたのだ。ちょうど皆がほっと一息ついた、その間隙をついて盗賊たちが襲い掛かってきたのである。
――何でこんな事に……簡単で安全な仕事だと言ってたのに。先輩、恨みますよ。
エリーがどうしたものかと、おろおろと周囲を見回しているそこへ、アンヌの険しい声が飛んでくる。
「エリー、何をぼぉとしてるのよ! あなた召喚魔法がレベル5で大鬼の召喚が出来ると言ってたでしょう。早く何でもいいから召喚してよ!」
「あっ……はい!」
うわずった声で返事をするものの、エリーは更に慌てふためく。
何故なら、
――あわわわっ、どうしよう。思わず返事したけど……先輩、ごめんなさい。嘘をついていました。私の召喚魔法のレベルは2です。見栄をはっていました。すいません。
と、エリーは大嘘をついて、アンヌのパーティーに加わっていたからだ。実際は小鬼のゴブリン程度しか召喚出来ず、しかも今までまともに召喚できた事すらなかった。学園内でも完全にみそっかす扱いだったエリー。学園の卒業も、困った先生たちがお情けで卒業証書を与えたようなものだった。
――ひえぇ、どうしよう……。
焦りまくるエリーの前では、アンヌが召喚までの時間稼ぎにと、飛んで来る矢を斬り払う。だが周りでは、護衛の者がひとりまたひとりと倒れていく。何故か賊の数は減るどころか、更に増え今では数えきれないほどになっていた。
本来、盗賊といえば十数人程度が普通。食い扶持が増えれば、当然のことだが仕事の数も増える。そうなれば兵士に捕まるリスクもまた増えるのだ。盗賊にしてみれば、十数人程度がほどよい数。商人もそれを見越して護衛を雇う。しかし今回は、想定外に大規模な盗賊団だったのである。
――泣き言を言ってる場合じゃないわね。やるしかない。
エリーも、ここにきてようやく覚悟を決めた。泣きそうになるのを我慢し、召喚魔法の呪文を唱える。それほど多い魔力を持っている訳ではないが、もう後がないと全ての魔力を注ぎ込む。
「我は、鬼界に呼び掛ける。我の言葉が聞こえし大鬼オーガよ、我が呼び掛けに応え我が前に出でよ。サモン、モンスター!」
詠唱と共にエリーの体から魔力が喪失し、その脱力感に思わず膝を突く。在学中でも、危険だからとこれ程の魔力を注いだ事はなかった。だが今は、この召喚に全てをかけるしかない。大鬼クラスの魔獣であれば、数十人程度の盗賊ごときであれば軽く蹴散らす事ができるはずなのだ。
だから崩れ落ちる体を両足で踏ん張り支えると、気力を振り絞ってよろよろと立ち上がった。と、前方に魔方陣が浮かび上がる。
しかし、そこでエリーはいつもと違う違和感を覚えたのである。
――あれっ、なんだか何時もの魔方陣とは違うような。
目の前の魔方陣には、エリーが今まで見たこともないような魔法語が描かれ七色に輝いていた。しかもそれだけではなかった。魔力と共にエリーの体が、魔方陣へとジリジリと引っ張られていく。
――うっそぉ、もしかして暴走してるの? ひえぇ、もう駄目ぇ!
と、エリーがぎゅっと目を閉じた時、唐突に引き寄せようとする力が消え失せた。
「あれっ、もしかして成功した……のかしら」
そう呟くと、エリーは恐る恐るといった様子でゆっくりと目を開けた。
「えっと……誰?」
呆気に取られるエリー。しかしそれは無理もなかった。何故ならそこには――見たこともない衣装を身に付け、これもまた見たこともない剣を腰に差した青年が立っていたからだ。
その青年は身長こそエリーと変わらない高さだったが、強烈な意思の強さを宿した瞳で、エリーをじろりと眺める。この辺りの国では見かけないのっぺりとした顔立ちに、精悍な体つき。そしてもっとも奇妙なのは、その髪型だった。
――禿げてる。いえ、剃ってるのかしら。
と、エリーは驚く。
青年は頭頂部だけを剃りあげ、その中央に小さく纏めた髪がちょこんと乗っかっているのだ。
「えぇと、私は何を召喚したのでしょうか。どう見てもヒューマンに見えるのだけど」
思わず自問自答するエリー。
すると、その青年が知らない異国の言葉で話し始めた。
「#$%&&’+*」
「あわわわっ、どうすれば……あっ、そうだ」
そこでハッとエリーは思い付く。召喚魔法には、知恵のある魔物を呼び出した時に意思の疎通を図るための共通言語の魔法があった事を。
慌てて、さっそくそれを試してみる。
「コモーン、ランゲージ!」
『娘御、ここは一体どこなのじゃ』
エリーが呪文を唱えると、直ぐに青年の言葉がわかるようになった。だからまず尋ねたのである、人であるかを。
『あなたは何者? ヒューマンなの?』
『ヒューマンというのはわからぬが、それがしは伊藤一刀斎景久じゃ』
これが、エリーと奇妙な異界人カゲヒサとの初めての出会いだった。