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第31話 太平洋を大航海した謎の男、小笠原貞頼

みんな大好き戦国時代。

今よりずっと礼儀作法に厳しい時代でした。

当時の武家の間では「小笠原流」という礼儀作法が使われていました。


この小笠原という名字の武家は日本中にありますが、

とくに有名だったのが信濃国しなののくにの小笠原氏です。


武田信玄に滅ぼされてから、信濃しなの小笠原氏はいくつかの家に分かれて徳川家に仕え、親藩として小さな大名になりました。


その中でも一風いっぷう変わった人物が、小笠原貞頼(さだより)です。


貞頼さだよりは徳川家康の家臣で、遠江国高天神城とおとうみたかてんじんじょうの戦いや天正壬午乱てんしょうじんごのらんで活躍したとも、徳川家の水運責任者だったとも言われています。


彼は、様々ないくさに従軍しながらも、十分な恩賞を得られませんでした。

それなら新しい土地を見つけようと船で太平洋に漕ぎ出しました。


彼は、豊臣秀吉と徳川家康から、島を発見した際にはその領有権を認める約束を取り付てると、江戸から南に一千キロも離れた海域にいくつかの島を見つけ、そこを小笠原諸島と名付けました。



現在の東京都小笠原村です。



あの広い太平洋に島を求めて探検に出るなんてずいぶん無謀な行為に思われます。


しかし当時の日本にはポルトガルやオランダの船が来ており、フィリピンとメキシコの間にも太平洋を突っ切って定期連絡船が就航していたくらいですから、あながち無謀な冒険でもないのかもしれません。


この時代の日本人は現代より心映えが大きく、冒険的であったようです。




この話には後日談があります。

それから134年後、貞頼さだよりの子孫の小笠原貞任(さだとう)が島をよこすように江戸幕府に訴え出ました。

しかしこの貞任さだとうという人物、どうやら経歴を偽っていたらしく、厳しい詮議のすえ、追放されてしまいました。


現代でも、自称「武田信玄の子孫」のキャバ嬢やら、自称「何とかの宮の子孫」やら、自称「南朝の正統な後継者」やらが、雨の後のタケノコのように湧いて出ては大騒ぎが起きますが、人間のやることは時代が変わっても大差ないようです。

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