表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/36

第30話 アフリカ人? インド人? 日本にいた黒人砲兵部隊

第29話では日本にいた黒人の侍について書きました。

こういった人間は例外的な存在ではありません。


日本の戦国時代は世界史において大航海時代。

世界中の人々が日本にやってきました。


のちに著作を残した人物だけでも、イエズス会の東インド管区長だったアレッサンドロ・ヴァリャノリーノ(日本巡察記)、そして日本について大量の報告書を残したルイス・フロイス(日本史)がいます。




1584年に九州で『沖田畷おきたなわての戦い』が起こりました。


肥前ひぜん国の竜造寺隆信りゅうぞうじたかのぶ薩摩さつま国の島津家久しまづいえひさの合戦です。


この合戦で竜造寺隆信りゅうぞうじたかのぶは戦死。

竜造寺軍は総崩れになりますが、逃げずに戦場に残り、島津軍に大量の砲弾を打ち込んだ砲兵部隊がいました。



「ところでその場には砲手がいなかったので、一人のアフリカのカルフ人が弾丸を込め、一人のマラバル人が点火していた。そうした厄介な操作にもかかわらず砲は見事な協力のもと発射を始めた。何分にも敵兵は大群であったから弾丸が当たり損ねることがなく、敵の一群が木端微塵に粉砕されると……」

(中公文庫 ルイス・フロイス著 日本史 第五三章 松田毅一・川崎桃太訳 P284)


立派にしんがり(・・・・)の役目を果たしたことになりますね。


では「アフリカのカフル人」とはいったいどんな人でしょうか?

澁澤龍彦「太陽と月の王」には、

「カフルとはアラビア語起源の言葉で、アフリカ東南岸モザンビク周辺の住民を漠然とさしている」

とあります。

「マラバル人」とはインド南西地域の呼称で、当時の東西貿易の拠点だったカリカットがあった地帯です。

いまの言葉では「インド人」と言ってよいでしょう。


竜造寺軍には、モザンビークの兵士とインドの兵士が参加していたのですね。


しかも特別な知識の必要な砲兵部隊所属ですから、貴重な人材だったのではないでしょうか。


モザンビークにもマラバルにもポルトガルの拠点があったので、ポルトガルの船に乗って極東の日本までやって来たのだろうと思います。


戦国時代の日本はやはり世界に開かれていたのですね。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ