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一方、その頃。ワンコはWMDの中にある訓練施設で厳しい訓練を行っていた。訓練場の中はあらゆるダメージを外に逃さない魔導障壁が付与された壁が何重にも張られており、WMDのエージェントたちはこの場所ならば自分の全力で戦うことができるのだ。舞い散る汗を体に感じながらワンコは刀を振って剣舞を舞っていた。訓練を始めてからかれこれ2時間近くは通しで行っている。常人の体力では不可能な運動量だった。荒い息をしながらもワンコは自らの不甲斐なさを呪った。
(私がもっとしっかりしていれば)
自らに与えられた力さえ制御できない歯がゆさと情けなさを感じた。正直なところ、自分は負けたことが悔しかったのだ。ゆえに実力が伴わないにも関わらず剣狼の鎧の封印を解こうとして大蜘蛛に魅入られた。ハル君を危険に晒したのは自分のせいだ。そう思うと自身を痛めつけずにはいられなかった。
とっさに汗で剣狼が手から抜け落ちた。横薙ぎにフルスピードで振っていたために剣狼は恐ろしい勢いで飛んでいくと防御壁に突き刺さった。
(…何をやってるんだ、私は)
溜息をつきながらワンコは剣狼を引き抜こうと歩み寄ろうとした。そんな彼女の目の前に陽炎のような幻影が現れる。人の面影をしていたが、面持ちは狼のような顔つきをしていた。
『無駄な努力が好きな奴だな、さっさと俺に乗っ取られちまえよ。そうすれば楽になるぜ』
「…お前は誰なんだ」
『誰でもないさ。お前をあざ笑いに来た幻影とでも思えばいい』
「ふざけるな!」
ワンコは幻影に殴りかかった。拳が当たる瞬間に一瞬だけブレたものの幻影はすぐに元の姿に戻った。素通りしたことで物理攻撃が通じないことが分かったワンコは若干冷静に戻りながら幻影を無視することにした。
『その刀を手に取ってどうするつもりだ。蜘蛛になっちまうぜ』
「…貴様の思い通りになるものか」
そう言ってワンコは刀を引き抜いた。瞬間、抜けた刀の刺さっていた隙間から凄まじい邪気があふれ出す。邪気に触れた瞬間、ワンコの腕が人間のそれではなく化け蜘蛛のものに変貌する。それを見た瞬間にワンコは悍ましさから吐き出しそうになって思わず剣狼を落とした。床に転がった剣狼を眺めながら幻影は嗤った。
『いくら強がったところで結果は同じだ。お前は化け蜘蛛に自我を食われる。じっくりと待っていてやるよ。お前があの小僧の肉を喰らう瞬間をな。』
幻影はそう言ってワンコを見下ろしながら笑い続けた。ワンコはその嘲笑に身を震わせながらじっと耐えるのだった。
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アパートの呼び鈴が鳴って玄関のドアを開けた俺の前にいたのは凄まじく疲れた表情をした司馬さんだった。気のせいか若干やつれているような気がするぞ。
「おう、晴彦…、これ返すわ」
「あ、はい、ありがとうございました。せっかくだからお茶でも飲んでいきますか」
「また今度な」
司馬さんはそれだけ言ってふらついた足取りで立ち去っていった。アパートの鉄筋階段を下りていく音を聞きながら俺は残されたクリスさんに尋ねた。
「あのさ、なんかやらかしたのか」
「べっつに―。色々と食べさせてもらっただけだよ」
そう言ってクリスさんは舌なめずりをした後に部屋の中に入っていった。一体何を食べてきたのだろうかは分からないが、満足したようで何よりだ。司馬さんには今度お礼を言っておかないといけないな。俺はそう思いながらクリスさんの後を追うように部屋の中に入った。すでに部屋の中に入ったクリスさんはシェーラが見ていたテレビを同じように眺めていた。歩き回って疲れたのか欠伸をしている。そろそろいいかな。
「なあ、クリスさん。疲れているようだし、そろそろ俺の中に戻るかい」
「うーん、そうだね。お願いするよ」
クリスさんはそう言って光の粒子となって俺の中に入っていった。瞬間、自身の身体がやけに重くなったのを感じた。あれ、おかしいな。ウエストの辺りがやけに苦しいぞ。というか、何も食べてないはずなのに満腹感が半端ない。
『マスターッ!!至急、ステータス確認することを進言いたします!』
珍しく慌てた様子でインフィニティが俺に伝えてきた。何事だと思っているとシェーラまでがこちらを見ながら青ざめた表情をしている。一体どうしたというのか。嫌な予感がした俺はステータス画面を開いてみた。いくつかあるステータスの中である項目だけ悍ましい数値が表示されていた。
肥満体質【103/58】➡肥満体質【186/58】(危険水域!!)
ひいいいいいいいいいっ!!!
103kgしかなかった俺の体重が恐ろしいことになっている。誤表示だよな、え、違う、だったら原因は何だというのだ。パニックになりかけた俺にインフィニティが冷静に語り掛ける。
『恐らくは幻体であるクリス氏が栄養補給したものを取り込んだ影響かと。一刻も早く体外に彼を出さないと現在の体重がそのまま身に付きます』
それだけはやめてくれえ!!泣きながら俺がクリスのいる精神世界に行って即刻に体外へ出て行ってもらったのは言うまでもない。
我が家に新しい居候が増えた瞬間だった。




