9-4(P91)
それからすぐに俺は元の姿に戻ってシェーラの介抱を行った。全くインフィニティさんのポンコツっぷりも困ったものである。見るものにトラウマを与える存在など生んでどうしろというのか。あの姿は術者の俺でさえ見るのを躊躇うものであった。初見であんなものが現れたら悪夢以外の何者でもないだろう。
しかし、虎の子と考えていた切り札がなくなってしまうと途方に暮れてしまう。そんな俺に何者かが声をかけてきた。
【晴彦君、晴彦君。何か大切なことを忘れていないかい】
誰だろう、この声は。どこかで聞いたことはあるんだが。首を傾げていると声の主は焦ったような声を出した。
【嘘っ!それは本当に言ってるのかい。もう一度暴れれば思い出すかな】
「はは、冗談に決まっているじゃないですか。それだけはやめてくれませんかね。元デモンズスライムのクリスさん」
げんなりしながら俺は答えた。こちらも不義理だったかもしれないが、冗談でもやめてもらいたい。俺の体内で話しているのは魔神獣デモンズスライムとなって街を襲った勇者クリスさんである。かつて自我を失って暴走したクリスさんは自分の国を喰らいつくそうとして封印された。長い間眠っていたらしいが、何者かに起こされたクリスさんは勇者を抹殺するように魔法で操られていたらしい。戦って負けたことで肉体を失った彼は魂の状態となって俺の身体の中に宿っている。
【防御に心配があるなら魔剣ティルヴィングを使えばいいよ。あれは使用者の技巧を補ってくれるから。僕も現役の時はよくそれに助けられたものさ】
そうか!それをすっかり忘れていた。魔剣ティルヴィング。けして錆びることなく鉄をも容易に切り裂き、狙ったものは外さない風の魔剣。クリスさんから受け継いだ魔剣の存在を今の今まで忘れていたぞ。流石は元勇者。役立つ情報を与えてくれるものである。
【あとさ、迷惑ついででお願いがあるんだけど】
「はあ、なんでしょう」
【君に迷惑はかけないから少しだけ人間の姿で外に出たいんだ。だから外に出る許可と幻体を作成するための魔力を少しだけ分けてくれないかな】
「え、それって大丈夫なのかな」
いきなり不安になる提案をしてくれるものである。元勇者と言っても自我をなくして街を破壊した魔神獣だぞ。俺が躊躇っているとクリスさんは哀しそうな声をあげた。
【実はさ、長い間を封印されて荒んでいたんだけど君の心の中にいて癒されたんだ。君を取り巻く周囲には常に心地いい風が吹いている。正直なところ、君や周りの人間達が暮らしているこの世界が羨ましくなったし、純粋に協力したくなったんだ】
そう言われて俺は戸惑ってしまった。もしかしてこの人は長い間を孤独に過ごしていたのかもしれない。かつて引きこもっていた俺のように。そう考えると本性がデモンズスライムといっても邪険に扱ってしまうのも可哀そうかもしれない。
「…いいですよ。人に迷惑をかけないと約束できるなら協力しましょう」
【本当かいっ!!】
俺が承諾するとクリスさんは凄く嬉しそうに俺に礼を言っていた。何だかその子供のような無邪気さに俺も思わず笑顔になった。
◆◇◆◇◆◇
俺の魔力を消費して作られたクリスさんの幻体は見た目が小学校くらいの少年にしか見えなかった。本来ならば成人男性らしいのだが、万が一に暴走する可能性を危惧したクリスさん自身がこの姿にするように願い出たのである。
「わあ、凄い!人間の姿で外に出るなんて何年ぶりだろう」
「一応この翻訳用の耳飾りを渡しておきます」
シェーラの予備用の耳飾りを渡すとクリスさんは嬉しそうに礼を言った。その後で躊躇いがちに言ってきた。
「あのさ、晴彦君。お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「外に出ては駄目だろうか」
「うーん、今はシェーラの介抱をしてますからもう少しだけ待ってくれませんかね」
「うーん、そうだよね。分かった。待つよ」
クリスさんはそう言うとテレビの前に正座して座った。その後で小首を傾げる。
「あれ?目の前に座っても映らないんだね」
どうやらテレビが見たいらしい。苦笑いしながら俺はリモコンを操作してテレビの電源をつけてあげた。ちょうどテレビCMがやっていたらしく、画面の向こうでは美味しそうなピザのCMがやっていた。
「うわああっ!!なにこれ、凄く美味しそうだ!!食べたい、これ食べたい!」
「ダイエット中だから駄目です」
「ええ―。晴彦君のけちー」
ケチと言われてもダメなものは駄目である。ダイエット中にそんなもの食べてみろ。本当に取り返しのつかないことになるわ。家主だって我慢しているのに我儘は許しませんよ。そうはいっても画面を食い入るように見ているクリスさんを見ているとなんだか気の毒にもなってきた。
結局司馬さんに電話して半日だけ面倒を見てもらうように頼むまでは時間が掛からなかった。