9-2(P89)
剣狼。それはかつてワンコの祖父の愛用していた刀であり、祖父の名を付けられた特別な一振りだ。彼女の祖父は彼女の世界にある王家の近衛兵の一人であり、その愛刀は国王より直々に賜った特別なものであったという。
彼女の世界はかつて異次元より現れる『混虫』と呼ばれる巨大な怪物の侵略を受けていた。それを討伐するために彼女の祖父は戦っていたのである。彼女の祖父は他の兵士に比べて特別な力を持っていた。己が体内に敵である『混虫』の力を移植された混虫兵士としての力である。鋼鉄の弾丸すら跳ね返す混虫の装甲、人間離れした獣の如き怪力、そして再生能力。それらの異形の力を持って彼は仲間である『鋼鉄の狼』と呼ばれる列車部隊と共に混虫との戦いに打ち勝ち、混虫をその世界から追い払った英雄なのだという。ワンコさんは幼い頃から祖母にその話を聞かされて育った。だからこそ免許皆伝となった時に父より祖父の名を継ぐ剣狼を受け継いだ時は本当に嬉しかったし、祖父のような英雄を目指すことを誓った。だが、祖父の刀を受け継いだ時に父から聞かされていたことがあった。剣狼の真の力を受け継いだものは混虫の力を秘めた鎧を召喚することができる。だが、ワンコがどれだけ厳しい修行を行っても鎧を召喚することはできなかった。
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長い沈黙の後にワンコさんは自らが昨日俺に襲い掛かってきた白い化け蜘蛛であることを明かした。こちらとしては信じられない思いであったが、冗談として笑い飛ばすにはあまりに状況証拠が揃いすぎていた。なぜならば剣狼と呼ばれる彼女の刀の鞘には俺の背中にあるものとそっくりな文様が刻まれていたからである。
ワンコさんが言うには剣狼の力を解き放とうとして刀の声に耳を貸した後に意識が遠のいて、気づいたら大きな蜘蛛にその姿が変化していたというのだ。半分は夢を見ているような微睡の中にいたらしいのだが、うっすらとした記憶の中で確かに俺を襲ったことだけは覚えていたらしい。俺が逃げた後に意識を失った後は自室のベッドで寝ていたらしい。流石に夢だったのではないかとも思ったが、自分の腕を見て仰天したそうだ。腕には凄まじい量の蜘蛛の糸が巻き付いていたという。これはただ事ではないと司馬さんにすぐに連絡を入れて調べてもらい、今回の一件が全て自分の所業であることを自覚したというのが今回の一件の顛末である。
その話を聞き終えて俺はどう答えていいのか躊躇った。というより当惑していた。あの恐ろしい蜘蛛と目の前にいる女の人が同一人物であると信じたくなかったからだ。だが、蜘蛛の力がワンコさんを操っているというなら操れるようになるまで隔離すればいいのではないか。そう提案するとそこまでの説明を終えた後にそれまで司馬さんが口を挟んできた。
「あいにくとそう簡単にはいかないんだよ、晴彦。」
どういうことだと言うのか。その疑問を口にしようとしたらインフィニティが代わりに話しかけてきた。
『恐らく司馬は呪紋様の期日があることを懸念しているのでしょう。』
期日があるってどういうことだ。俺がそう質問するとインフィニティさんによる呪いの説明が始まった。一般に呪いというものは呪い殺すまでの期日が決まっており、その期日までに呪った相手を殺すか解呪させないと呪われた人間は例外なく死に至るらしい。万能スキルの解析結果から得られた俺の残された時間は残り一週間という事だった。つまり、一週間の間にこの呪いを解かない限り、俺は死ぬことになるという。不吉すぎるだろう。戸惑いながら俺はワンコさんを見た。自分が助かるために俺はこの人を殺せるのだろうか。無理だ。あの時に自らの腕を犠牲にしてまで自分を救ってくれた恩人をわが身可愛さで殺すほど俺は人間が腐ってはいない。
今の俺にできることをしよう。俺は自らにそう言い聞かせた。
「…大丈夫ですよ。インフィニティに今聞いたら呪紋様で殺されるまでは一週間あると分かりました。ワンコさんがその間に蜘蛛の力を制御できればいいんですよ。」
「簡単に言うなっ!これは遊びではない、君の命がかかっているんだぞ。」
「こっちだって遊びでこんなことを言いませんよ。」
「しかし…。」
それ以上何か言わないように俺はワンコさんの口の前に人差し指を置いて制した。
「デモンズスライムの盾になってくれた時、ワンコさんは俺を見捨てませんでしたよね。だから俺もワンコさんを見捨てません。だってあなたは俺にとってかけがえのない仲間ですからね。」
その瞬間にワンコさんは泣き出しそうになった。そのやり取りを見ながら司馬さんが諦めたように溜息をつく。来るなら来てみろ、化け蜘蛛。ただではやられない。こちらも死なないように準備してやる。俺は心の中でそう決意した。