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9-1(P88)

その日の深夜、俺は突然の地響きによって起こされた。何か巨大なものが近くに降りたような地響きだ。不穏なものを感じて周囲の魔力を探ってみる。その瞬間にゾッとなった。とてつもない大きさの何かが付近に現れたとしか思えなかったからだ。この大きさは明らかに人間のものではない。

一体何が起きている。不穏なものを感じた俺は隣室で寝ているシェーラを起こそうとした。こういう時に限ってこの子は起きないのだ。溜息をつきながら俺はパジャマ代わりのジャージ姿で外に出た。そして絶句した。アパートの目の前にアパートと同規模の真っ白な大蜘蛛がいたからである。多分これは悪い夢だ。目をこすれば消えるに決まっている。そう思って目をごしごしとこするのだが、蜘蛛の幻は全く消えることはない。

あっはっは。だいぶ疲れているな。そう思っていると何故か蜘蛛と目が合った。ああ、たくさん眼があって羨ましいな。複眼というやつだったか。そんなことを思いながらも視線は自然と目の下の方についている鋭い牙にいってしまう。大きな口だ。こいつは一体その大きな口で何を食べるんだろう。人間、かな。そう思った瞬間、蜘蛛は俺の視線を理解したように凄まじい咆哮をあげてその鋭い牙を大きく開くと襲い掛かってきた。


『キシャアアア――ッ!!!』


冗談じゃない。俺はお前のディナーではないぞ。そう思いながらその場から走り出す。よせばいいのに蜘蛛は他の標的には目もくれずに俺を追ってきた。部屋の中にいたシェーラが狙われなかったのは幸いだが、真っすぐにこちらを追ってくるのは勘弁してほしい。しかも巨体の癖に凄まじい速さだ。とっさに神速を使った俺に八本の足を器用に動かしながら追いついてきている事からも普通の速さではない。

やめておけ。俺なんか食っても腹を壊すだけだぞ。頼むからどこかよそに行ってくれないかなと思うのだが、蜘蛛は俺を食う事としか考えてないようだ。口から光線のような勢いで次々と放たれる蜘蛛の糸に道路やビル、信号機などが容赦なく絡み付いていく。粘着性が非常に高そうだから一度捕まったら逃げることは困難だろう。

突然に俺のいるところよりも更に先を狙って蜘蛛は糸を放った。糸は高層ビルの一角に絡みつく。はは、どこ狙ってるんだ。そう思って内心で馬鹿にしたのだが、すぐに表情が凍り付いた。白蜘蛛がその糸を起点にして大きく跳躍したからだ。まるでゴムの伸縮を利用するように一瞬にしてビルまで飛翔した。俺からしてみれば背後にいた敵が突然に眼前に現れたようなものである。ガクブルもいいところである。


「クロックアップ!」


余りの恐怖から俺はスキルを使用した。途端にスローモーションになる蜘蛛に対してアイテムボックスから取り出した小刀で攻撃を繰り出す。まずはその足を斬って動きを鈍くさせてもらおうか。

そう思いながら繰り出した斬撃はことごとく蜘蛛の分厚い表皮によって弾かれた。固ってええ、何なんだ、こいつの表皮は。鉄でも殴ったような感触だったぞ。

攻撃が効かないことを悟った俺は大きく距離を取ることにした。クロックアップの制限時間限界まで神速で走り出す。蜘蛛からかなり離れた位置の建物の影に隠れると気配を押し殺した。

突然に眼前から消えた獲物に蜘蛛は戸惑ったようだが、獲物がいないのではしょうがないと諦めたのかカサカサと音を立てながら闇に消えていった。蜘蛛が完全にいなくなったことを確認した後に俺はその場にへたり込んだ。何なんだ、あの化け物は。魔神獣?いや、それにしては邪気がないようにも感じられた。あんなもの野放しにしているなんてあまりにも恐ろしすぎるぞ。そう思って魔力感知で蜘蛛の気配を探った。

その時になって俺は異常を再確認した。いない。どこにもあの蜘蛛の魔力が感じられない。一体どこに消えたというのか。その時になって俺は初めて得体の入れない恐怖を感じた。





               ◆◇◆◇◆◇





次の日、シェーラと共に早朝ウォーキングを終えてアパートに戻ってくると部屋の前に司馬さんとワンコさんが待ち構えていた。随分と怖い顔をしている。一体どうしたというんだろう。疑問を口にすると司馬さんは静かに頷いた。


「晴彦、昨晩この辺りにバカでかい蜘蛛が現れなかったか。」

「どうしてそれを知ってるんですか。」


俺が驚くと司馬さんは掌で顔を覆った後に溜息をついた。そして隣にいたワンコさんの方を見た。ワンコさんはいつもの元気な様子からはかけ離れた様子で俯いている。何かあったのだろうか心配になった。俺がそれを尋ねようとすると司馬さんに制止された。


「ここで話すのもなんだ。中に入っていいか。」

「あ、はい。構いませんが。」


来客が来るとは思っていなかったが、いつも通りに部屋は片付けてあるので大丈夫だろう。シェーラと共に彼らを招き入れて居間に集まったのだが、ワンコさんも暗く、司馬さんもいつもの冗談を言わないものだから部屋の雰囲気が暗くなってしょうがない。シェーラも重苦しい雰囲気に耐え切れなくなったのかお茶を入れるために中座した。ずるい。俺も連れて行ってくれよ。そう思いはしたものの話があるのは例の蜘蛛の一件であろうから席を立つわけにもいかない。しばしの沈黙の後にワンコさんが急に頭を下げてきた。


「すまないっ!今回の一件は全て私が悪いんだ!」

「ええっと、話が良く見えないんですが。」

「順を追って話さないと駄目だろう。ワンコ。晴彦、最初に聞いておくが、昨日の化け物蜘蛛を見たんだな。」

「ええ、見ました。地響きがしたんで外に出たらこのアパートぐらいの大きさのでかい奴がいましたよ。怖かったなあ、いきなり襲ってくるんだもん。」

「奴はお前さんの身体に何かマーキングをしなかったか。」

「いえ、特には何もないはずなんですが。」

「ちょっと見せてもらうぞ。とにかく上の服を脱げ。」


司馬さんはそういうなり、半ば無理やりに俺の服を脱がせにかかった。ワンコさんの手前もあって恥ずかしかったのだが、司馬さんは強引に俺の服を脱がしてしまった。いい歳をした上半身が裸のおっさんが同じようなおっさんに触られる映像というのは絵面的にどうなのだろう。

腕や脇の下をじろじろと見た後に首の後ろまで確認したところで司馬さんは溜息をついた。


「やっぱりマーキングされられていたか。」

「どういうことです。」


俺がそう尋ねると司馬さんは黙って手鏡を俺に背中に差し出して見るように言った。手鏡越しには普段あまり見ない俺の背中が映っていた。だがそこに見慣れないものがあった。血のように真っ赤な色で何やら不気味な文様がつけられているのである。見ようによっては蜘蛛の顔にも見えなくはない。いったいこれはなんだ。


「これは生贄の紋章さ。」


疑問を持つ俺に司馬さんは説明してくれた。生贄の紋章とは人ならざる化生が獲物の身体につける一種の呪いという事だった。要は自分が食うから手出し無用という意味合いがあり、ほかのものが手を出せばその者には恐ろしい災いが降りかかるのだという。問題は何故あの蜘蛛の化け物が他者ではなく俺を標的に選んだのかという事だ。その疑問を口にすると何故か司馬さんはワンコさんの方を一瞬見た後に言葉を濁した。いつもの司馬さんらしくないな。そう思っているとワンコさんが申し訳なさそうに謝ってきた。


「…すまない、ハル君。その紋章を君につけたのは恐らくは私なんだ。」

「どういうことです。」


何を言っているのだろう、この人は。昨日会ったのは昼間だったが、その時にこんな紋章をつけたというのか。そんな暇などなかったはずだ。それともまさか昨晩の大蜘蛛がワンコさんだったとでもいうのか。俺はそう言って笑い飛ばそうとした。だが、ワンコさんも司馬さんも真顔のままだった。


「嘘…ですよね。」


その質問に二人は答えることはなかった。冗談ですよね。そう言って笑い飛ばそうとする俺の声だけが部屋に空しく響き渡った。




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