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晴彦が立ち去った後にシェーラとワンコは顔を見合わせた。なんだったんだろう、今のは。こういう風に部下を弄ぶ上司の事を真っ先に思い出してしまい、何となく事情を察したワンコは苦笑した。多分、いや、間違いなく司馬さんの仕業だ。今度会ったら文句を言ってやる。
「ハルはどうしてしまったんでしょう。」
「ああ、見なかったことにしてあげた方がいいよ。多分本人も今頃のたうち回っているはずだから。」
敢えて触れてあげないことが優しさだ。ワンコはそう自分に言い聞かせた。あんな風な失態を見せてもワンコは全く晴彦のことが嫌いになれなかった。むしろ、あんな風に騙される可愛い人だと思ってしまう。ちょっと考えればおかしいと思ったはずなのに。純粋な人だ。だからこそ他人には譲りたくない。あばたもえくぼと言えばそこまでだが、それほどワンコの心の大半に晴彦がいるのだから驚きである。
晴彦の事を思いながらワンコはシェーラを見た。シェーラも女の勘でワンコが何を言おうとしているかある程度察しているようだった。
「あのさ、さっき言おうとしたことだけど。」
「はい。大事な話があったんですよね。」
「うん、シェーラ姫。私にとっても貴女にとっても大事な話だ。」
ワンコはそう言った後に一息置いた。その間は彼女自身が心の準備をするためのものだ。今から言おうとしていることを考えると顔が赤くなるのが自覚できた。だが、勇気を出して言わなければならない。
「正直に言おう。私はハル君のことが好きだ。」
その瞬間、シェーラ姫が息を吞むのが分かった。その反応を見てワンコは思った。ああ、やっぱりか。やっぱりこの子も自分と同じなのだ。何となく察してはいたものの分かってしまうと辛いものがあるな。そう思った。シェーラは黙ったまま、口を開こうとしなかった。返答をしないことに若干の不満を感じたが、もし自分が同じ立場に置かれたらどう思うかと考えたら責めることなどできなかった。だからシェーラの本心を知るために切り出した。
「ごめん。後から出てきて勝手なことを言って。でも言わないのはフェアじゃないと思ったからこうして直接伝えようと思った。」
「…どうして私にこの話をしたんですか。」
「…言いたくなければいい。でも、君もそうだと思ったから。」
「ハルにはこのことを。」
「言ってないよ。何も言わずに抜け駆けするのは姑息なやり方だと思ったから。」
シェーラはワンコの質問に躊躇いがちに暫く沈黙した後に観念して告白した。
「貴女のいう通りです、私はハルに惹かれています。」
「やっぱりそうか。正直に話してくれてありがとう。」
シェーラの返答にワンコはあっけらかんと笑ったが、シェーラにはワンコの意図が分からなかった。だから警戒を解かない。身構えるようにしながらシェーラは尋ねた。
「…私からハルを取るつもりですか。」
「そんなつもりはないよ。ハル君の心はハル君のものだ。でも許されるなら貴方の事だけでなく私の事も想ってほしい。そう思っている。」
「嫌です、と言ったら。」
「その時は正々堂々と戦おう。」
ワンコの言葉にシェ―ラは呆気に取られたようだった。まさか正々堂々と宣戦布告をしてくるとは思っていなかったんだろう。恋敵ながら竹を割ったような性格のワンコをシェーラは憎むことができなかった。
「…なぜでしょうか。ワンコさん。私は貴女の事が嫌いになれません。」
「不思議だな、私もだ。お互いにいい友人になれそうだな。私たちは。」
「ええ、とっても。」
そう言って二人の少女はお互いの手を握って固い握手を交わしたのであった。
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一方その頃。晴彦は生まれてきたことを反省していた。なぜあんなことをしてしまったんだろう。魔が刺したとしか思えない。どうかしていたのだ。完全にやらかした学生のノリじゃないか。自ら夜の屋上でのたうち回りながらコンクリートの床にごろごろと転がった。そのたびに失態の光景が頭をよぎる。その様は傍から見れば樽のようだった。夜空には奇麗な三日月が浮かんでいた。
こんな奇麗な空の下で俺はこんなに醜く見苦しい。このまま消えてなくなりたい。脳裏に浮かぶのは二人の生暖かい視線と対応だ。それが余計に晴彦のプライドをズタズタにした。そんなことを考えながら夜は更けていった。そして晴彦が立ち直るまでは数日かかったのだった。