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夕方になった段階で俺の手は血豆が潰れた後だらけになっていた。回復薬に浸して傷は治るものの豆だけはなくなることはない。我ながら短期間の間に随分とごつい手になったものである。
司馬さんの訓練に比べてワンコさんの訓練は人間味のあるものであった。疲労しすぎればちゃんと休みを取るし、構えのおかしいところがあればそれが治るまで根気よく教えてくれる。師匠として非常に向いている人に思えた。
それでもきついものはきつい。休憩時間にしゃがみ込んでくたばって休んでいるとワンコさんがペットボトルの飲料水を差し出してくれた。
「ダイエットしているとはいえ、少しくらいは糖分を取った方がいい。疲労回復になるからな。これを飲みたまえ。」
「…ありがとうございます。」
礼を言ってペットボトルを受け取って蓋を開けると一気に飲み干した。
やべえええ、超うまい!!疲れたて乾いた喉に冷たい飲料水が染み渡る。五臓六腑に染み渡るとはこのことか。マジで天使だ、ワンコさん。そんなことを思いながら横の壁にもたれかかりながら自分用のペットボトルを飲み干すワンコさんを見た。最初に会った頃に比べて随分と物腰が柔らかくなったよな。そんなことを考えていると彼女も俺の視線に気づいたようである。
「どうかしたか。」
「いえ、最初の印象に比べて随分と変わったなと思いまして。」
ワンコさんは目を丸くした後にくすくすと笑い出した、何かおかしいことを言っただろうか。その疑問を口にするとワンコさんは教えてくれた。
「いきなり笑ってすまない。実のところ、最初は君のことを人の形をした化け物にしか思っていなかったんだ。」
「化け物って酷いなあ。僕は無害なデブですよ。」
「すまない。今まで司馬さんと接したことのある∞スキル持ちは自身の能力を上げるためなら平気で一般人を犠牲にする屑のような人間ばかりだったんだ。君も同じ存在だから同様の化け物だと思い込んでいた。野放しにしないためにもどこかに閉じ込めようと考えていたんだ。」
だからあんなに冷たい対応だったのか。幾らなんでもいきなり捕まえるなんておかしいと思ったもんな。しかし今の話で気になったのは現在もそういう風に考えているのかという点である。ワンコさんに尋ねると笑いながら首を横に振った。
「安心してくれ。司馬さんはどうか知らないが、私ももうそんなことをするつもりはない。君が危険を顧みずに高校生の女の子を助けた時から私の中での認識は変わった。君は勇者として相応しい男だという認識になったんだ。正直な所、君の人間性は尊敬に値する。」
そう言って俺を見るワンコさんの瞳はどこか熱っぽいものが含まれていた。そんなことはじめて言われたよ。マジマジと見られたことで俺は照れくさくなった。怒っている時は分からなかったが、この人は真顔だと透き通るような肌をしていて奇麗なんだよな。気の強い眉に目鼻立ちがしっかりしているため、通りすがったら振り向いてしまうくらいの美貌をしている。さらに白の剣道着が良く似合う。汗ばんだ肌が健康的な魅力を醸し出している。内心の動揺を隠すために俺は話を変えることにした。
「ワンコさんの師匠ってどんな人だったんですか。」
「私の師匠は仙人だ。真面目で丁寧な教え方をする人なのだが、少々女好きでな。暇さえあれば私の尻を触ろうとする困った人だった。」
「うわあ…エロ仙人ですか。」
頭の中ににやけ顔をした仙人の姿が浮かび上がる。俺の想像を大体予想できたのかワンコさんは続けた。
「しかし、指導方法はまともだぞ。なんでも先代の仙人に無茶な修行をさせられたせいで自分はそうならないようにしようと考えて数々の教えを伝授してくださったんだ。」
「参考程度に聞きたいんですが、無茶な修行って何したんですか。」
「真冬の寒い中を狼の群れに追い回されながら薄氷の上を走ったりさせられたらしいぞ。氷がすぐ割れて凍え死ぬかと思ったそうだ。」
「なんだそりゃ…俺、ワンコさんがそんなことする人じゃなくて本当に良かったですよ。」
無茶な修行にも程がある。そんなことをしたら心臓麻痺で死んでしまう。ワンコさんがそんなことをする人でなくて本当に助かった、俺はそう思ったのだった。




