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魔神獣。それは異世界ディーファスに古代から生息する勇者の天敵である。異世界に召喚された勇者に呼応するかのように現れる魔獣は人間を滅ぼすことを本能として暴れ狂う。その性質は残虐にして極悪非道である。何故ならばかつて現れた魔神獣は出現と共に厳かに鳴り始めた鐘が七度鳴り終えた瞬間に付近一帯を消し飛ばしたからだ。魔神獣が何故勇者を追って現れるかは定かではない。一説には勇者と敵対する魔王の放った刺客であると言われている。
魔神獣が出現する前兆としてドクシマトカゲという不気味なトカゲが現れる。魔界を生息地とするドクシマトカゲは魔神獣の出現に合わせて不安定になる空間の裂け目から染み出すように現れ始めるという。
このトカゲが現れれば魔神獣が出現するのは時間の問題である。ゆえにあのトカゲを見たらすぐに対象地域を離れるというのがディーファスに住む人間の共通認識である。
「どうして…どうして地球に魔神獣が現れるのですか!」
『推測ですが、勇者であるマスターを追って出現したものと考えられます』
「はは、こちとら異世界から弾かれた勇者だってのに熱烈なファンがいたものだな」
自分で言っていてうすら寒くなった。綺麗な美女の追っかけならともかく、付近一帯を吹き飛ばす爆弾のような生き物など現れるだけ迷惑だ。シェーラの取り乱す様子から察するに魔神獣の存在は非常に危険であることを理解した。
「まあ、待つんだ。似ているだけでただのトカゲかもしれないぞ」
『シェーラ姫の記憶と照合するとドクシマトカゲで間違いありません』
「やっぱり!どうしましょう、ハル!!」
ああ、インフィニティさんが火に油を注ぎやがった。落ち着かせようとしていたのに余計なことを言ってくれる。空気を読まないインフィニティさんにため息をつきながらシェーラに尋ねた。
「ドクシマトカゲの出現からどのくらいで魔神獣は出現するんだ」
「文献によれば一週間程度です」
なんてことだ。準備をするにも時間がなさすぎる。流石にレベル4の見習い勇者である俺が自分だけで人類を滅ぼす化け物に立ち向かえるとは到底思えないし、かといって敵の狙いが勇者という以上、逃げ出すわけにもいかない。さて、どうするか。
『WMDの司馬に相談するのがおそらく一番の得策かと思われます』
「だよなあ」
インフィニティさんのいう事はもっともだった。異世界召喚のトラブル解決をしているという事は恐らく荒事にも慣れていると思いたい。そう思いながら俺はスマホを取り出すと司馬さんに連絡を取った。
「…ああ、司馬さん、俺です、晴彦です。明日ちょっと時間あります?相談したいことがありまして。違いますよ、なんでそんな話になるんですか。そう、そうです。はい、よろしくお願いします」
俺は通話を終えるとシェーラに告げた。
「明日、司馬さんが来てくれた時に魔神獣対策について考えよう。あれ、どうしたんだ、シェーラ」
「いえ、てっきりハルは逃げるのだと思ってました」
「正直言うと凄く逃げ出したいよ。でもこの街は俺とシェーラがこれまで暮らしてきた街だから。訳の分からない怪物に壊されたくないんだ。だから戦うよ」
正直な所、時限爆弾付きの勇者殲滅用生体兵器などとはかかわり合いたくもない。だが、この街にはシェーラや司馬さん達がいるのだ。長年引きこもった恨みつらみもある街だが、シェーラと暮らすようになって嫌いではなくなってきた。突然出てきた化け物に彼女との思い出のある街を壊されたくはない。俺の返答が意外だったのかシェーラは少し呆けた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「どうしたんだ、シェーラ、嬉しそうな顔をして」
「いえ、いつもと違ってハルが凄く凛々しく見えたものですから。…その、勇者様みたいでカッコいいです、ハル」
いや、一応は勇者なんですが。心の中でツッコミを入れながらもシェーラに釣られて顔が赤くなった。そんな俺達のやり取りをまるで無視するかのようにインフィニティが質問してきた。
『勝算はあるのですか、マスター』
「わからん。だが、やりもせずに逃げ出すのは違うだろう」
相手のことも分からない状況で勝算などあるわけがないが、自分自身にどんな能力があるのかもよく分かっていない。孫氏いわく『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という言葉がある。今の俺の実力がどのくらいかを知る必要があるのだ。
◆◇◆◇◆◇◆
次の日、俺のアパートを訪れた司馬さんに魔神獣の話をした後で自分も戦うつもりであるという事を伝えると非常に難しい顔をし始めた。予想外のリアクションに戸惑っていると司馬さんは大きなため息をついた。
「兄ちゃん、悪いことは言わない。この件は俺達に任せておけ。それがお互いのためだ」
「いや、待ってくださいよ。俺だって戦えます。こないだだって誘拐犯から女子高生を助けたじゃないですか」
「素人に毛が生えた見習いが生意気言うんじゃねえ。こういっては悪いが、にいちゃんでは役に立てないよ」
ドスの利いた声と睨みに俺はたじろいだ。だが、ここで引くわけにもいかない。怖かったが、俺は必死に食い下がることにした。司馬さんの目を真っすぐに見つめ返した後に俺は返答した。
「…試してください」
「なんだと」
「本当に役に立たないかどうか試してください」
俺の言葉に司馬さんは呆気に取られた様子だった。暫くぽかんとした後に大きな声で笑い出した。馬鹿にされているような気がして恥ずかしくなったが、ひとしきり笑った後に司馬さんは急に立ち上がった。
「分かった。だったらついてこい」
どこへ行くというのか。状況を読めずに戸惑っている俺を連れて司馬さんは部屋を後にした。