第23話-1
小国に過ぎないシュタリオンが大国であるバルバトス帝国と互角以上の戦いを繰り広げている。その噂は旅人や吟遊詩人によって周辺各国へともたらされていた。実際のところ、帝国は戦力の大部分を集中させた空中要塞で武力侵攻した挙句に返り討ちに遭っているのだ。
シュタリオン国は帝国と戦うだけの力を有している。
帝国の圧政から逃げ出した人々や迫害によって住処を奪われた獣人たちは自然とシュタリオン国を目指すようになっていた。いつ帝国が襲ってくるか分からない状況にも関わらず、人々が集まるようになったのはそれだけ帝国が人々を苦しめていた証拠であった。
人づてに伝わる噂というものは怖いものでとんでもない噂がまことしやかに流れていた。シュタリオン国の守護者である『藤堂晴彦』は空を覆うほどの空中要塞を投げ飛ばす巨人であり、人にとっては有害である魔界の瘴気を食って生きている魔界の古き神である。帝国が攻めてきたとしても晴彦とその眷属たちが守ってくれる。晴彦本人が聞いたら冗談ではないと否定するところであるが、この噂にすがるようにして大勢の難民がシュタリオンの庇護を求めているのだから皮肉なものである。
増えたのは難民だけではなかった。藤堂晴彦が新たに作り上げた大迷宮に挑もうとする冒険者達がシュタリオン国の城下町に長期滞在するようになったのである。
冒険者たちが長期滞在するようになった目的はただ一つ。シュタリオン国に新たに発生した【奈落】というダンジョンを攻略するためである。
奈落は晴彦が仲間たちの強化を行うために作った迷宮である。前に作っていた『藤堂晴彦の不可思議なダンジョン』をベースにシュタリオン領内の地下にあった様々な迷宮を【ブラックウインドウ】の力でアイテムボックスの中に取り込んだ後、最後の仕上げとして空中要塞内で発見した【ブラックボックス】ごとインフィニティが晴彦に無断で混ぜ込んだものである。要は様々なダンジョンをちゃんぽんにしたものである。
【ブラックボックス】がいけなかったのか、それとも生きた魔力溜まりである迷宮たちを混ぜたことがいけなかったのか、晴彦とインフィニティですら予想していなかった事態が起こった。様々な迷宮の中に渦巻く魔力たちが化学反応じみた変化を引き起こし、融合を繰り返した後に凶悪なモンスターと希少アイテム、そして新たな階層を次々に生み出し始めたのである。
この時になってインフィニティは自分が仕出かした失態に気づいたが、晴彦に折檻を受けるのを恐れて報告を怠った。晴彦が異常に気づいた時には制御不能な危険な迷宮が誕生していたのである。
唯一幸いだったのは迷宮の入り口に施された強力な結界によってモンスターが街に溢れ出さないこと、そしてベースになった『藤堂晴彦の不可思議なダンジョン』にも適応されていた『迷宮内で死亡した場合は生き返ってスタート地点に戻される』という術式が生きていたことである。何しろ、高レベルの冒険者ですら気を抜くと一瞬で死亡するような罠と凶悪なモンスターが野放しになったデスダンジョンである。死ぬのが前提というリスクが高すぎるダンジョンでは生き返るという仕組みでもない限り、挑もうとする者はいなかっただろう。
異常すぎるダンジョンであったが、それでも挑もうとする者は後を絶たなかった。例えるならば死ぬのが前提のクソゲーをクリアすることに何よりの喜びを感じるマゾ冒険者たちの心をグッと掴んでしまったのである。
そして今日も命知らずの冒険者たちが【奈落】に潜っていくのだった。
◇◆◇◆◇◆
駆け出しの冒険者であるアルトも【奈落】の噂を聞いてシュタリオン国に訪れた一人である。入国したばかりの彼はその日の宿を求めて冒険者宿である『羽ばたく鳥亭』に訪れていた。この宿は一階が酒場であり、二階が宿となっている。昼からやっている酒場という事もあり、柄の悪い連中の屯場になっていた。アルトが恐る恐る扉を開けて中に入ると凶悪そうな冒険者たちの視線が一斉に彼の方に集まった。思わずたじろぎそうになったアルトであったが、背中が何か柔らかいものにぶつかったことに驚いて振り返った。そこにいたのは銀髪の少女であった。背中までかかる美しい髪が風によってふわりと流れる。アルトは呆気に取られてしまった。少女の顔に見とれてしまったからだ。
アルトが呆然とするくらい、目の前の少女は美しかった。見るものの目を引くのは宝石を思わせるような美しい瞳、そして鼻すじが通った整った顔は純粋な人間でなく、妖精もしくはエルフの血が混じっているのではないかと思えるほど美しいものであった。
彼女はアルトがじっと自分を見ていることに気づいて怪訝な顔をした。
「どうかされましたか」
「いえ、別に!」
見とれてしまったことに気恥しくなってアルトは俯いた。少女は小首を傾げた後に言い放った。
「用がないなら道を開けてもらえますか」
「あ、はい、すんません」
女慣れしていればもっと気の利いたことも言えるのだろうが、生まれてこの方、自分の母親と姉くらいしか異性と会話したことがないアルトでは戸惑いながら謝るのが精一杯であった。おずおずと道を譲ったアルトの横を通り過ぎていった銀髪の少女が『羽ばたく鳥亭』に入った瞬間に場内が騒然となった。
「銀髪だ…銀髪が来やがった」
「こんなところに何の用だ…」
「目を合わせるな、何をされるか分からないぜ」
銀髪の少女は酒場の中を見渡した後に奥にいる大男に向かって指を指した。
「そこの冒険者。昨日、大広場の露店で老人にケガを負わせた挙句、その場から逃亡しましたね。我が主より捕縛命令が出ています。大人しく捕まりなさい」
「ああん、なんだあ、てめえは」
「私のことを知らないとは。どうやら新入りのようですね」
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ、このくそアマ」
大男は椅子から立ち上がると周囲の制止を振り切って少女に目掛けて近づいていった。単純に考えて大男の身の丈は少女の二倍近くあった。まずい、止めないと。少女の身の危険を察知したアルトはなけなしの勇気を振り絞って大男の前に立ち塞がった。急に横から現れたアルトに対して大男は苛立ちを露わにした。
「なんだ、てめえは」
「こ、この人に一体何をするつもりだ」
「どいてろ、クソガキが」
横殴りの一撃がアルトの顔面を襲った。鈍器で殴られたような衝撃を頬に感じながらアルトは床に吹っ飛んでいた。鼻から血がドクドクと溢れる。口の中に鉄の味が溢れた。何か異物感を感じて血と共に吐き出したのは折れた奥歯だった。生まれてこの方、ここまでの暴力に遭遇したことのなかったアルトは心の底から恐怖を感じた。足ががくがくと震えてしまい、上手く立ち上がることができなかった。殺されるかもしれないことを実感して恐怖のあまりに立ち上がれなくなったのである。
アルトがそれ以上立ち上がってこないことに満足した大男は凶悪そのものの表情を浮かべて次の標的である銀髪の少女に襲い掛かろうとした。だが、次の瞬間に信じられないことが起こった。大男の腕が少女の細腕によって掴まれたかと思うと次の瞬間に宙を舞っていたのである。まるで紙のように舞った大男はそのままの勢いで宙を舞った後にテーブルに座っていた酔客たちを巻き添えにして床に転がった。一撃で完全に意識を失って白目を剥いていた。
少女は表情一つ変えないまま、手提げ袋ほどの大きさの麻袋に大男の身体を押し込み始めた。その大きさの袋に人間は入らないのではないかと思えるものだったが、魔法の品であったのか男の体は収納されていった。その様子を周囲の人間達が見ながら恐怖の表情を浮かべていた。
パンパンと服の埃を払った後に銀髪の少女は何事もなかったかのようにアルトに近づいていった。大男を一瞬にして投げ飛ばした銀髪の少女に戸惑いと若干の恐怖を感じていたアルトに対して少女は懐から何かを取り出して振りかけた。頬の痛みが一瞬にして消えたことで、何らかの薬を使われたことをアルトは自覚した。少女はアルトの頬を優しく撫でた。ヒヤリとした冷たさを感じたが、不思議と嫌ではなく、むしろ心地よさを感じるものであった。
「怪我は治りましたね。無策無謀でありますが、見どころはあるようです」
「あなたは一体」
「私のことを知らないのですか。どうやら貴方もこの街に来たばかりのようですね」
少女は何か含んだ笑みを浮かべると立ち上がった。そして立ち去ろうとした。彼女を引き留めたい、直感的にそう感じたアルトはなけなしの勇気を振り絞った。
「あのっ!名前を教えてください」
「…私の名前はイン…いえ、そうですね。フィニーと呼んでください」
「フィニーさん…また会えますか」
アルトの質問にフィニーと名乗った少女は少しだけ驚いた顔をした。そして悪戯っぽい表情を浮かべた。
「私は最近【奈落】に潜っています。あなたが【奈落】の奥深くに辿り着くことができるようになれば、もう一度会えるかもしれませんね」
銀髪の少女はそう言った後に「ふふふ」と意味ありげな笑みを浮かべた後に立ち去っていった。アルトは彼女が立ち去っていくのを見惚れながら見送っていた。そんな彼の頬には彼女に触れられた感触がうっすらと残っていた。
今回は一人の少年の視点からシュタリオンの人々と晴彦、そしてインフィニティを客観的な視点で描いた物語を描いていきます。




