第二十一話-6
帝国の勇者。そう名乗った黒髪の青年は狙い通りに衝撃波が大爆発を起こしたのを眺めていた。反撃が来ないことを確認した後に構えていた剣を背中の鞘に収めた。そんな青年の手は実に奇妙な姿をしていた。生き物のように変形した小手と腕が同化しているかのような姿をしていたのだ。異形の腕は剣を収めると同時に元の小手の姿に戻った。
「逃がしたか。だが、あの傷では助かるまい」
爆発の瞬間、青年は黒煙の中から一頭の馬が高速で飛び去って行くのを見逃さなかった。その背には傷ついた藤堂晴彦を背負っていたが、刃を交えた彼にとって藤堂晴彦はすでに恐れるに足らない存在であるという認識に変わっていた。
放置していても問題はないだろう。全身を刻まれた挙句、自分の放った瘴気に侵されているのだ。瘴気に侵された人間は回復魔法やスキルを使用しても傷の治りが遅くなる。自然回復を待つしかないのだ。あれだけ深い傷であれば致命傷に近い。恐らくは長くはもつまい。そんなことを青年が考えていると青年の影から染み出すように一人の少女が現れた。銀の髪に褐色の肌をした美しい少女だった。人形のように整った顔をした少女は青年を咎めるような目で見た後に声をかけた。
「おい、ヤマト。どうしてあいつを逃がしたのだ」
「あれだけの傷だ。深追いする必要もないだろう」
「まさかとは思うが、同郷のよしみで手心を加えたのではあるまいな」
「貴様が俺のお目付け役であることは理解している。だが、あまり舐めたことを言うと首と胴体を切り離すぞ。アールマティ」
ヤマトと呼ばれた青年はそう言って振り返ると少女の首元に剣を突き付けた。だが、アールマティと呼ばれた少女は全く動じることはなかった。冷ややかな目で青年を眺めながら冷笑を浮かべた。
「記憶の無い貴様を救ったのは帝国だ。そして、元の世界に帰れない貴様の居場所は帝国にしかない。私の本体である『魔神の心臓』が貴様の体の中に存在する限り、貴様は私を害することはできない。私を殺せば貴様も死ぬのだからな」
「どうだかな。全てに嫌気がさして凶行に走るかもしれんぞ」
青年は剣を突き付けたまま、少女を睨みつけた。その首すじには今にも剣の切っ先が少女の柔肌に触れそうになっていた。
「貴様にはできないだろう」
「なぜそう言い切れる」
「できるわけがない。人質を置いて自棄になるとは思えないからな」
そう言った少女の顔が別人のそれに代わる。それは青年と同じ黒髪の幼い少女の顔であった。
「ねえ、お兄ちゃんは私のことを見捨てないよね」
「き、貴様…」
不安そうに青年の方を見つめる少女の姿に青年の切っ先が鈍る。その姿を満足そうに見つめながら少女は剣先を掴んで首元から下ろした。
「それでいいのさ、お優しいヤマトお兄ちゃん」
元の姿に戻った少女は青年の耳元で囁いてからその場から去っていった。ややあって青年は渾身の力を込めて建物の壁を殴りつけた。凄まじい怒りの籠った八つ当たりだった。人間離れした力の影響で建物の壁は粉々に崩れ落ちたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
血が足りない。意識が遠のく。爆発に巻き込まれかけた俺を救ったのは駆け付けたスレイプニルだった。傷だらけの俺の胴体をくわえると同時に背に乗せたスレイプニルは凄まじいスピードで空を駆け始めた。スレイプニルの背に乗りながらも体中から熱いものが流れるのが分かった。目を閉じると火花がバチバチと散っているのが分かる。
人間、不思議なものであまりに酷い怪我になると冷静になるようだ。死にかけている。薄れゆく意識の中で俺はそれを自覚した。
「マスター!しっかりして下さい!!」
死にかけた俺の身体から実体化したインフィニティが泣きそうな声をあげる。回復魔法を一生懸命にかけているようだが、先ほどの攻撃で纏わりついた瘴気の塊が邪魔をして傷口が塞がらない。
「やめろ…魔力の無駄遣いになるだけだ」
「いいえ!絶対にやめません!やめるもんですか!」
いつになく聞き分けのないインフィニティの目には涙が浮かんでいた。その涙が彼女の悲痛な叫びと共に舞い散る。冗談ではない。そんなキャラクターではないはずだ。お前は。不慣れなことをすると、それが死亡フラグになって死んでしまうぞ。
あれ、でも鑑定スキルさんと俺は一心同体だから、この場合は俺が死ぬのか。漠然とそんなことを考えながら俺は意識が遠くの方に逝きかけるの感じた。今、意識を失うと二度と戻ってこれないような気がした。
インフィニティは俺に回復魔法が効かないことが分かるとアイテムボックスからエリクサーをやほかの回復アイテムを手当たり次第に取り出しては試し始めた。だが、そのいずれもが俺の傷を治すには至らない。瘴気の影響がなければ【瞬間再生】で回復できるはずなんだがな。
「塞がれ!塞がれ!塞がれ!なんで塞がらないんだ!」
インフィニティは半狂乱になりながら傷口にエリクサーをかける。だが、傷口は塞がる気配がない。不条理さに涙するインフィニティを眺めながら、自分が彼女にとって大切な存在であったことを理解した。普段はめちゃくちゃするから叱ることが多かったが、もう少し仲良くしてやればよかったかもしれない。だが、もう遅い。
彼女との思い出が走馬灯のように流れていく。そんな中で頭の隅をよぎったのはマイナススキルの克服だった。瘴気が俺の体の傷を治すのを邪魔している。一種の呪いに近いのだろう。であればイチかバチか克服すれば何とかなるかもしれない。
「…インフィニティ、俺の考えていることが分かるだろう、シュタリオン城の地下に…」
「分かりました!すぐに連れていきます!だから死なないで、マスター」
インフィニティは必死に俺の手を握りしめながら呼びかけ続けた。その声が俺の意識をかろうじて繋ぎ止めたのだった。




