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4-2(P27)

刑事ドラマの取り調べでしか見たことがない部屋の中で俺はパイプ椅子に座らされていた。テーブルを挟んだ対面上にはパトカーで護送していた刑事さんが眠そうな顔をして座っている。そして俺の目の前には出前で頼んだと思われるカツ丼が置かれていた。出来立てなのか、美味しそうな湯気と食欲を誘う香りが恨めしい。


「なあ、本当に食べなくてよかったのか」


いいえ、本当ならば喉から手が出るくらいに食べたいです。だが断る。ここで食べれば炭水化物抜きを行っていた我慢をせき止める堤防が決壊する。心の中で涙を流しながら俺は刑事さんに頷いた。

ああ、本当にいい匂いがしてやがる。ダイエットをしてなければ貪るように食べていただろう。なにしろこちらはすでに朝ご飯を消化しきっている。だが、ここで悪魔の囁きに乗ってしまえば後で泣きを見ることになるのは目に見えていた。加えてインフィニティさんの理論的な説得が効果的だった。


『一般にカツ丼のカロリーは約800kcalと言われています。成人男性の一日の基礎代謝による消費カロリーの平均は1800kcal。朝のウォーキングによる消費カロリーが200kcalと考えるとこのカツ丼を食べることは朝の苦労が全て水泡に帰すものと予想されます。よく考えてから決断してください』


決断しろと言っているが、食うなと言っているようなもんじゃないか。俺の顔とカツ丼ををしばし交互に見た後に刑事さんはため息をついた。


「ふむ、冷めるのもなんだからな。こいつは俺が貰っておくか」

「え?マジですか」

「なんだ、やっぱり食いたいのか」

「いえ、大丈夫です。どうぞ召し上がってください」


刑事さんは俺の前からカツ丼の載ったお盆を手元に引っ張ると手を合わせた後に食べだした。実にうまそうな食いっぷりだった。最初はサクッというカツを噛み切る音、そしてハフハフとカツ丼をほお張る音と咀嚼音が取り調べ室に響き渡る。


うわーん、やっぱり食っておけばよかった。


俺の決断を非難するかのように腹の虫が取調室に空しく響き渡る。一通り食べ終えた後に刑事さんは手を合わせると煙草に火をつけた。俺の視線に気づくと無言で煙草を勧めてきた。丁重に断ると刑事さんは煙草に火をつけて深く吸い込んだ後にゆっくりと煙を吐き出した。取調室に煙草の煙が浮かんで消えていく。


「食後の一服ってのは最高だな」


煙草を吸ったことがない俺にはよく分からないのだが、そんな俺から見てみても本当にうまそうに見えた。食後の一服はうまいというからな。刑事さんの表情から察するにその一服は至福のものなのに違いない。刑事さんはしばし煙草を堪能した後に俺に語り掛けてきた。


「どうだ。全部吐く気になったか」

「いや、あの、そもそも犯罪に手を染めた覚えはないんですが」

「ぶあっはっは。冗談だよ。ワンコと同じでからかいやすい奴だな」

「司馬さん、何度も言いますが、私はワンコではなく壱美です」


憮然とした表情で刑事さんの傍らに立つ女刑事が告げる。だが司馬さんと呼ばれた刑事さんは気にも留めない。それどころか焚きつけることを言う。


「おまえが直情のままに動くうちは半人前のワンコだよ」


うわあ、やめてくれ。何故かワンコさんは貴方ではなくこちらを睨んでいるのだからあまり焚き付けるのは本当にやめてほしい。食いつかれるような視線に耐え切れなくなって下を向いていると司馬さんが声をかけてきた。


「さっきお前さんが聞いていた異世界ディーファスへの戻り方なんだがな。悪い、俺たちでは力になれんわ」

「それは何となく察してました。可能性としてあるかなと思って一応聞いてみただけです」

「すまんな。場合によっては召喚された場所とは別の場所にゲートが出現することもあるんだが、お前さんの場合は特殊なケースだからな。珍しいんだぞ、世界から弾き出さられる勇者なんて奴は。召喚条件を満たさない限りはこちらからの界境渡りは無理だ」


司馬さんの話だとこの辺りの地域でも年に数十件は異世界召喚のトラブルが発生していて猫の手を借りたい状況なのだという。

しかし本当に知らなかった。俺が知らない世の中の裏で司馬さんたちのような組織が編成されて秘密裏に動いていたなんて。興味が出てきた俺は司馬さんになぜこの仕事についたのか聞いてみた。すると司馬さんは深いため息をついた。


「俺も被害者だったんだよ。異世界召還のな」

「司馬さんも勇者だったということですか」

「いや、俺の場合は勇者の召喚に巻き込まれたケースだった。勇者として選ばれたのは俺の親友の男だった。いい奴だったよ、あんなことがなければ今頃は幸せな家庭を築いていたんじゃないかな」


司馬さんの視線はどこか遠くを見つめているようだった。もしかしたら思い出したくない過去なのではないかと思い、それ以上を聞くのをやめた。ということはワンコさんも異世界召喚の関係者なのだろうか。俺がそう尋ねると司馬さんは笑って否定した。


「あいつは違うよ。元々この世界の人間じゃなくて異世界間交流の一環としてうちの世界に派遣されてきた人間だ」

「え、ワンコさんは異世界人なんですか」

「君までワンコというな!…私は君たちの世界によく似た白虎神界という世界から来たんだ」


ワンコさんが言うには白虎神界は百年近く前に人間と昆虫に似た巨大生物による戦争があったらしい。とある英雄の行動によって戦いは終結し、現在は落ち着いているのだという。最近に技術進歩が進み、世界間の壁を乗り越えられる技術が開発されて他の世界の存在を知ったのだということだ。そして異世界間同盟に加盟するようになった。その交流の一環として彼女は交換留学生のような形でこの世界に派遣されてきたのだという。


「普通の人間に見えるが、ワンコは孤狼族という獣人の血を引いている。俗にいうクォーターってやつだな。普通の人間よりかなり高い戦闘能力を持っているから怒らせるなよ」


孤狼族という名は可愛らしい響きなのにワンコさんの凶暴さはどういうことなのだろうか。俺はそう疑問に思いはしたが敢えて聞かないことにした。だって怖いんだもん。


「まあ、そんなわけだ。お前さんが異世界にお姫さんを送り届ける直接の力にはなれないが相談くらいは聞いてやれる。何か困ったことがあったら遠慮なく連絡しな。」


そう言って司馬さんは名刺を差し出して俺に手渡した後に人懐っこい笑みを浮かべて手を差し出してきた。何だろうと思って戸惑っている俺に司馬さんは苦笑した。


「握手の仕方くらいは分かるだろう」

「あ、そうか。すいません、察しが悪くて」


俺は顔を赤らめた後に司馬さんの手を握った。その瞬間、手を握りつぶされそうな強さで握手されて俺は必死に握り返した。司馬さんの手は本当に力強かった。




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